会期:2025/04/08~2025/04/13
会場:KUNST ARZT[京都府]
公式サイト:http://kunstarzt.com/Artist/FUJIMOTO/Waca.htm/
美術と工芸、美術と生活、生活道具と儀式、有機的生命体と死。藤本和颯は、日本の捕鯨文化のリサーチを基に、ヒゲや鯨油といった鯨に由来する素材を用いて絵画や陶芸などを制作することで、それらの境界を問い直す作家である。
[撮影:倉西宏嘉]
捕鯨船を係留するドック、解体を待つ鯨の胴体、鯨の生息域のひとつである南氷洋の凍った海面。鯨にまつわる情景をコラージュ風に描く藤本の油彩画は、通常の植物性の溶剤の代わりに、鯨の油を用いて描かれている。《はらう》と題された靴ベラのような形状の作品は、鯨のヒゲ板を細く裁断し、「ホウキ」に仕立てたものだ。鯨のヒゲ板は、人間のツメと同じ「ケラチン」と呼ばれるたんぱく質が主成分であり、弾力性にすぐれ、熱を加えると柔らかくなり加工しやすいことから、プラスチックが普及する以前、さまざまな生活用品に用いられていた。靴ベラ、耳かき、孫の手、歯ブラシの柄、文楽人形のバネ、コルセットやスカートを広げる骨材、難産の胎児を引っ張り出す鉗子など、多様な用途である。藤本は、プラスチックの普及によって日常生活から姿を消した鯨のヒゲ板を、「ホウキ」に仕立てることで、身近な道具として再接近を試みる。同時に、埃などを「はらう」行為は、「邪気や穢れをはらう」といった儀式性や呪術性を帯びてもいる。
《ドック/dock》(2025)[撮影:倉西宏嘉]
《はらう》(2025)[撮影:倉西宏嘉]
こうした生活道具と儀式の分離不可能性は、鯨の油を用いたロウソクと、それを灯すための燭台の形をした陶芸作品にも顕著だ。藤本は、陶土の表面に釉薬の代わりに鯨の油を塗って焼成した。18世紀半ば以降の欧米では、捕鯨産業の拡大にともない、鯨油を用いたロウソクが製造されていた。藤本は、石油や電灯の普及によって姿を消した鯨油製ロウソクに、再び火を灯す。それは、明かりの機能をもつと同時に、燭台の形は祭壇を思わせ、かつて命の一部だったものへ捧げられた追悼でもある。上述のように、鯨油すなわち動物性の油で顔料を溶き定着させる藤本の絵画は、獣や魚類の皮や骨を煮詰めてつくった「膠」を定着剤とする日本画や、油彩画の普及以前のテンペラ画と共通する。絵画の構成要素には有機物が含まれ、「生物の命を利用する」という点においては、ホウキやロウソクといった手工芸/生活道具/儀式の道具と連続しているのだ。藤本がつくった燭台/祭壇は、その見えにくいつながりに、改めて光を当てるものでもある。
この燭台/祭壇の形は、船や船の係留装置を思わせると同時に、「海面上に出た鯨の尾びれ」も想起させる。私たちには「尾びれ」というわずかな一部分が一瞬だけしか見えないが、その水面下には巨大な鯨の体がある。「鯨」という存在もまた、人類史という巨大な射程において、さまざまな事象と連関する。鯨を祀った「鯨塚」のように、捕鯨を営む地域における信仰の対象だったこと。プラスチック普及以前のさまざまな生活道具。近代植民地主義の拡大と捕鯨産業の関係。敗戦後の日本で食料不足解消のために推奨された鯨食。乱獲による激減。動物倫理に反するという捕鯨反対運動と、伝統文化の保存という観点の対立がはらむ政治性。一つひとつは「断片」だが、つなげていくことで、「人類史と鯨」という壮大な射程が浮かび上がる。藤本の作品は、「鯨の尾びれ」が象徴するように、水面下でつながりあった巨大な総体が存在すること、その見えにくさ自体に思いをはせることを改めて示している。
《繋留》(2024)[撮影:倉西宏嘉]
鑑賞日:2025/04/13(日)