会期:2025/03/15〜2025/03/30
会場:浅草九劇[東京都]
公式サイト:https://tarrytown.jp/

『TARRYTOWN』(脚本・音楽・歌詞:Adam Wachter)は2017年にアメリカで初演されサンディエゴ批評家協会賞最優秀新作ミュージカル賞を受賞したオフ・ブロードウェイ・ミュージカル(100席以上500席未満の規模の劇場で上演されるブロードウェイ・ミュージカル)。2023年11月に中原和樹の翻訳・歌詞・演出で日本初演され、今回はトリプルキャストでの再演となった。


[撮影:割田光彦(つづり舎)]

登場人物わずか3人で展開される本作のベースとなっているのはティム・バートン監督、ジョニー・デップ主演の映画『スリーピー・ホロウ』でも有名な「スリーピー・ホロウの伝説」。開拓時代のアメリカで知られた残虐なドイツ人騎士が、斬首されてなお首のない姿でニューヨーク近郊の森で犠牲者を待っているという物語だ。もともと人口に膾炙していたこの話は、小説家ワシントン・アーヴィングが脚色し1820年に「スリーピー・ホロウの伝説」(短編集『スケッチ・ブック』収録)として短編小説化したことでさらに広く知られることになった。『TARRYTOWN』は小説「スリーピー・ホロウの伝説」から登場人物の名前とその関係性を借りながら、舞台を現代に置き換えたものとなっている(ちなみに映画版も小説の脚色だが、舞台は1799年、設定も大幅に書き換えられている)。

小説「スリーピー・ホロウの伝説」は、スリーピー・ホロウに教師として赴任したイカボットと地元の英雄ブロム、そして地元の有力者の娘・カトリーナの三角関係の物語として展開する。その結末は、パーティーの席でカトリーナに冷たくあしらわれたイカボットが失意の帰途で首なし騎士に遭遇、肝を潰して遁走し、そのまま行方不明になってしまうというものだ。カトリーナは結局、ブロムと結ばれることになるのだが、後日譚としてイカボットが遭遇した首なし騎士がブロムの策略だったらしいことが示唆されて幕となる。

『TARRYTOWN』はこの三角関係をブロム/カトリーナの異性愛夫婦とゲイ男性であるイカボットの三角関係へと変奏する。例えばLGBTQ史研究者のマイケル・ブロンスキーが『クィアなアメリカ史:再解釈のアメリカ史・2』(兼子歩・坂下史子・髙内悠貴・土屋和代)で言及するように、「スリーピー・ホロウの伝説」のブロムには、独立からおよそ40年を経たアメリカにおける「強靭で明確に異性愛的な男性性の理想」が反映されていたという。その理想は現代における男性性の理想にも連なるものだろう。つまり、「スリーピー・ホロウの伝説」で描かれていたのは理想的な男性性の勝利だということになる。

一方、ヘブライ語で「不名誉」を意味する名を持つイカボットには身体的な軟弱さと女々しさが付与されている。イカボットが首なし騎士と遭遇する場所に立つ「アンドレ少佐の木」が「一般に愛する男として知られていた、ジョン・アンドレ少佐への言及」であることを踏まえれば、『TARRYTOWN』に登場するゲイ男性としてのイカボットは、すでに「スリーピー・ホロウの伝説」に潜在していたのだとも言えるだろう。

さて、ではこのような背景を踏まえたうえで現代を舞台にした『TARRYTOWN』はこの三角関係をどのように書き換えたのか。


[撮影:割田光彦(つづり舎)]

物語はイカボット(樋口祥久/高島健一郎/村上貴亮)が高校の音楽教師としてタリータウンに赴任してくるところからはじまる。出勤初日に出会ったカトリーナ(水野貴以/武田莉奈/田代明)になぜか気に入られたイカボットはその日のうちにディナーに招かれ、そこで彼女の夫・ブロム(tekkan/山田元/山野靖博)とも出会う。どうやらカトリーナとブロムはあまりうまくいっていないようだ。カトリーナがその不満をイカボットに打ち明け相談するようになる一方、イカボットはブロムに惹かれていき、しかしブロムはカトリーナがイカボットと親しく振る舞うことに不満を募らせる。観客はやがてイカボットが薬物依存を抱え誘惑の多いニューヨークから逃げるようにしてタリータウンにやってきたこと、そしてブロムとカトリーナが結婚の直前に子を流産で亡くしていたことを知ることになるだろう。物語の前半ではままならない人生をそれでも生きようとする三者三様の姿が胸を打つ。


[撮影:割田光彦(つづり舎)]


[撮影:割田光彦(つづり舎)]

しかし事態は悪い方向へと転がっていく。知り合いがひとりもいない土地にやってきたばかりのイカボットにとって、カトリーナとブロムとの友情はかけがえのないものだ。しかし同時に、男として魅力的なブロムはもちろん、アルコール依存のカトリーナもまた、イカボットにとっては逃れようとした誘惑を体現する存在でもある。飲酒はドラッグの再使用を引き起こす引き金ともなりかねないからだ。一方、イカボットの存在に力を得たカトリーナはブロムと住む家を出てイカボットの家に転がりこむ。イカボットに対するさらなる敵意を募らせたブロムはイカボットを排除するために一計を案じ──。

[撮影:割田光彦(つづり舎)]

結末は陰惨だ。カトリーナを捨てて駆け落ちしようとブロムから持ちかけられたイカボットは、勧められたドラッグをキメた挙句、森の中で首なし騎士の幻覚を見て橋から転落し、そのまま行方不明になってしまう。ブロムとカトリーナは一応のところ元の鞘に収まるものの、二人の間のわだかまりは解決しないままだ。小説版をなぞる結末だと言えなくもないが、小説版の結末においてブロムとカトリーナの結婚が二人の(あるいはブロムの?)ハッピーエンドとして提示されていたことを考えれば、イカボットを排除してなお結婚生活が不幸せなものであり続けることが示される『TARRYTOWN』の幕切れに救いがないことは明らかだろう。この苦い結末は三人のそれぞれが自らの抱える問題と向き合いきれなかったがゆえのものだったのかもしれない。


[撮影:割田光彦(つづり舎)]

今回の中原演出はピアノ(中西司/横内日菜子)とビオラ(志村瑠南/中村詩子)のみというミニマムな構成の生演奏での上演となったが(音楽監督:横内日菜子)、難易度の高い楽曲を歌いこなす俳優陣の歌唱力も相まって聴きごたえのあるステージが実現していた。劇場の狭さを逆手に取ってか、イカボットを舞台中央に置いて下手にブロムの書斎、上手にカトリーナの部屋を配し、両者の間で引き裂かれるイカボットを、あるいはイカボットを間に挟んで感情をぶつけ合うカトリーナとブロムを視覚化したような舞台美術(Yoko Ichikawa)もシンプルながら秀逸。三人は基本的に自らが置かれた場所から動くことはなく、言葉を交わしながらもわかり合えない孤独をも視覚化されているようでもあった。プロダクションに関わった俳優・スタッフ──とりわけ小規模かつオフ・ブロードウェイの作品からこのような佳作を見出し、ライセンスの獲得から翻訳・歌詞・演出まで手がけた中原の慧眼に拍手を送りたい。

鑑賞日:2025/03/27(木)