
会期:2025/04/12~2025/06/14
会場:gallery αM[東京都]
公式サイト:https://gallery-alpham.com/exhibition/project_2025-2026/vol1/
武蔵野美術大学市ヶ谷キャンパス内gallery αMにおいて、2026年2月まで続くプロジェクト「立ち止まり振り返る、そして前を向く」の第一弾「IDEAL COPY|Channel: Musashino Art University 1968–1970」が開催された。
本プロジェクトは芦屋市立美術博物館・学芸員の大槻晃実をゲストキュレーターに、全8回の展示を予定している。8つの展示を横断するコンセプトは「美術のための場所」を問うもので、初回に招聘した匿名集団のIDEAL COPYはgallery αM自体、そしてギャラリーを運営する武蔵野美術大学に焦点を当てている。さらに武蔵野美大で60年代末に起こったとされる学生運動に関わる逸話から、レンガを用いたインスタレーションを展開している。

「IDEAL COPY|Channel: Musashino Art University 1968–1970」展会場風景[筆者撮影]
会場の床にいくつものレンガが等間隔で置かれている。そのうちのほとんどはいかにもなレンガ色をしていて、上面にIDEAL COPYと刻印がある。壁面近くにひとつ、色褪せた無地のレンガがある。パンフレットには、それが武蔵野美大に保管されていたものだと記載されている。
そうした状態の床の中心に大きな机がひとつ置かれ、その上に一片50cmはありそうな大きく横に長い写真集が固定されている。会場にはそれ以外のものが(パンフレットを除いては)何もないことと、机と写真集が一体化した構造から、ページをめくることが企図されているように感じられた。学生闘争の記録らしいことはわかるが、コントラストの強いグラフィカルな写真からは、どこの大学の景色かはわからない。
パンフレットにはほかに、本展が武蔵野美大における学生運動をテーマにしていること、かつて武蔵野美大の生徒が都内のデモに参加するために、学内のレンガを掘って持ち出したことが書かれている。そうした手がかりを得てなお、写真集の中の学生運動のイメージと武蔵野美大はつながらない。そもそも美大の学生運動といえば多摩美の美共闘と東京造形の記録が手がかりになるくらいで★1、藝大や関西の動向に関する史実へのアクセス性がよいとは言い難い★2。美大における学生運動の歴史は、写真集の中の黒く潰れた陰影ほどに謎めいている。
IDEAL COPYはプロジェクトごとにメンバーが変わる匿名集団で、1993年にはバーバラ・ロンドンのキュレーションのもと、原美術館で個展を行なっている。外国から持ち帰った貨幣が通貨としての価値を失うことに注目するなど、社会制度的な観念を題材にすることが多い。武蔵野美大からデモに向かったとされる匿名の学生を表象するレンガや、そのレンガをまぎれさせる無数のレンガは、誰だかわからないデモ参加者のアレゴリーに見えると同時に、匿名で活動を行なうIDEAL COPYそのものとも受け取れる。またエピソードにおけるレンガを掘るという行為が、武蔵野美大に眠る歴史の掘り起こしとも呼応している。
本展の制作にあたっては、武蔵野美大の学生運動に関する資料がいくつか参照されたという★3★4。ひとつは写真集の引用元となった『武蔵野美術大学闘争記録 68–70』。本書が学生によって取りまとめられたのに対し、教員側からも闘争を記録した「『武蔵野美術』No.68」。さらに動画として紛争の様子を記録した「崩壊譜 第2版」(約30分)。これら三つの記録において、外部から参照可能なのは「『武蔵野美術』No.68」のみである★5。武蔵野美大は簡易なかたちでも『武蔵野美術大学闘争記録 68–70』を複製し、せめて在籍生がアクセスできる状態で図書館に収蔵すべきだろう。
等間隔に床に並ぶレンガの状態は、本展の第二弾に参加する河口龍夫の「関係」シリーズを想起させる。8回にわたる展示が少しずつつながるようで、次回のプログラム「河口龍夫、今井祝雄、植松奎二|1970年代」(2025年7月19日〜9月20日)も待ち遠しい。
鑑賞日:2025/05/08(木)
★1──美共闘が発行していた「美術史評」からは多摩美のみならず東京造形の様子もいくらか窺える。https://www.momat.go.jp/magazine/192
★2──東京藝大の学食をおよそ80年にわたって運営した北澤悦雄氏は、1970年の安保騒動に際して藝大全共闘と日大芸術学部の全共闘が共闘した歴史を語っている。貴重な証言のひとつだ。https://www.geidai.ac.jp/container/column/relaycolumn_023
★3──https://2029mag.musabi.ac.jp/magazine/post-21/
★4──武蔵野美大における大学紛争の始まりは芸術祭を授業の一環と捉えるか否か、芸術祭出品作に対する批評・指導はよいが採点は拒絶するという授業運営に対する争論からだった。 経緯については『武蔵野美術大学のあゆみ1929-2009』(武蔵野美術大学、2009)にも記載されている。本著は国立国会図書館デジタルコレクションに収蔵され、送信サービスで閲覧可能である。https://dl.ndl.go.jp/pid/13219950
★5──「『武蔵野美術』No.68」(武蔵野美術大学、1969)は国立国会図書館デジタルコレクションに収蔵され、送信サービスで閲覧可能である。https://dl.ndl.go.jp/pid/7932740/1/4