札幌駅から南に約7km。地下鉄自衛隊前駅から精進川沿いの道を歩き、大擁壁で覆われた崖の横の坂道を上った先は住宅街だ。大きな邸宅の並ぶ一角に、2024年秋にオープンしたばかりのアーティストランのオルタナティヴ・スペース、zolin galleryがある。ギャラリーのウェブサイトによれば、ギャラリーの名称はこの地がかつて阿部造林山と呼ばれ落葉松を植林されていたことに由来するという。古民家を改造した、人の住んでいた気配が残る空間だ。

zolin gallery[撮影:佐藤祐治]

当会場で6月から7月にかけて露口啓二(1950-)による写真展「移住」が開催された。昨年発行された露口の写真集『移住』(赤々舎、2024)をもとにした展覧会で、約70点の写真といくつかのテキストで構成されている。大きなプリントとスナップ写真のような小さなプリントが、陽光が差し込む明るい空間に気取りなく展示されている。テキストには「開拓使と東京官園」、「福島原子力発電所事故・帰還困難区域」、「双葉町北広町」、「美竹公園」とある。いずれも、望まない状況で自身の住む土地を追われ、移住を余儀なくされた人々にまつわる場所だ。テキストを手掛かりに写し出されたものを眺めていくが、その歴史が示すドラマチックさからは遠く離れた、日常の風景が続く。大きく引き伸ばされた皇居の写真、ブルーシートで覆われた公園の一角、植物に覆われたもう誰も住んでいない家──。どこかぽかんとした乾いた空気がある。この感覚はいったいどこから来るものなのか。


「移住」展 会場風景[撮影:佐藤祐治]


「移住」展 会場風景[撮影:佐藤祐治]


「移住」展 会場風景[撮影:佐藤祐治]

本稿では本展のもととなった写真集『移住』について、筆者が露口にオンラインでインタビューした内容をもとに紹介する。なお、写真集には露口本人の執筆した素晴らしいステートメント、批評家の倉石信乃氏、哲学者の鵜飼哲氏による詳しい論考も掲載されているので、そちらもぜひあわせて読んでいただきたい。

写真集『移住』、そのはじまり

露口は徳島県生まれ。中央大学在学中に荒木経惟らの撮影助手を経験し、1970年代後半からは札幌で広告写真の仕事に携わるようになる。その後、2020年まで札幌を拠点に活動し、その約30年ものあいだ、北海道のさまざまな土地をつぶさに訪れ撮影を重ねてきた。代表作である「地名」シリーズは、時をおいて撮影された2枚の写真に、アイヌ語と和名の地名を併記するという構成で編まれ、近代国家がその政策のなかで先住民であるアイヌの土地を「北海道」へと収奪する複雑な様相を静かに提示した。「移住」は当作品の撮影を終えたのち、新たなシリーズとして2017年から撮影されたもので、そこには通奏低音として近代国家による植民/移住というテーマが横たわっている。


《恩根内9線/Onnenai 9-sen》(2020)[© Keiji Tsuyuguchi]

本シリーズの制作のきっかけは、北海道の北部に位置する美深町恩根内(オンネナイ)にある「恩穂山新四国八十八ヶ所霊場」を知ったことだという。愛媛からの入植者のひとり、神野槌之丈が独力で天塩川の石を運び、像を刻み生み出した場所だ。いうまでもなく、四国にはその本家である四国八十八ヶ所霊場がある。露口の出身地である四国から、北海道へと移り住んできた人々の生きた証がこの霊場にあった。「移住を余儀なくされた人たちがもともと住んでいた地とその人たちが移り住んだ北方の地」を並列で見せるというコンセプトは、この場所との出会いから生まれた。「オンネナイ」もまたアイヌ語であり、その地名がアイヌの大地に和人が入植したことを表明している。当地を調べるうちに次第に『移住』の構成が決まったという。終わりのない(強制)移住の歴史の多くの事例を北海道に、もっとも直近の事例を福島、そして東京にみる。


写真集『移住』[© Keiji Tsuyuguchi]

写真集は第1章の「開拓使」からはじまり、第2章「対雁 来札 二風谷」、第3章「四国  北海道」、第4章「足尾 谷中 サロマベツ」、第5章「東京都世田谷区 拓北農兵隊世田谷部落」、第6章「夕張 三笠 美唄」、第7章「福島」、そして終章の「皇居」で閉じられる。

はじまりの一枚は、東京。開拓使東京出張所と仮学校の跡地、芝公園だ。


《港区芝公園・開拓使東京出張所と仮学校/Kaitakushi Tokyo Branch Office and Sapporo Honpu and Kari-gakko, Shiba Park, Minato-ku》(2022)[© Keiji Tsuyuguchi]

開拓使は1869年に蝦夷地開拓のために設置された国の機関であるが、その東京出張所の存在はあまり知られていない。開拓使次官、のちに長官をつとめた黒田清隆は、実際そのほとんどはこの東京出張所におり、開拓業務を指揮していたという。明治政府は当地から遠く離れた場所から、アイヌを東京へと移住させ強制就学させるための開拓使施設を作り、樺太・千島交換条約をロシアと締結し、樺太アイヌを北海道へと強制移住させ、アイヌのサケマス漁やシカ猟を禁止し、その文化や尊厳を奪う多くの施策を実施した。いま、芝公園のサイトを覗いても、こうした機関のあった地であることへの言及はなく、当時の面影はないに等しい。


《札幌市北3条通/ Kita 3-jo Dori, Sapporo-shi》(2020)[© Keiji Tsuyuguchi]

ナラティブと写真のあいだに

本書の大きな特徴のひとつは、「年表」が各章に付されていることだろう。これは作家自身が編纂したもので、ナラティブとして捉えられるようひと連なりに記載されている。露口は「年表はすべて引用でできていて、それが重要だと考えている」という。

たとえば「夕張、三笠、美唄」の章で、炭鉱の勃興と終焉を綴るそのなかに、「東京電力福島第一原子力発電所が営業を開始」が差しはさまり、日本のエネルギー政策の転換を示す。そして次章「福島」では記録の残る869年の貞観地震をはじめとし、過去に何度も繰り返し大きな地震が起きている三陸沖の沿岸部に位置する福島で原発の稼働がはじまること、そして2011年に東日本大震災が起きることが列記される。客観的な史実を淡々と積み重ねていくそのなかに、抒情的であったり扇動的であったりといった表現は一切ない。そうであっても、文字の隙間から作者の強い怒り、憤りの炎が見える。

「土地の歴史と写真をあわせて見る」というのは、我々が博物館などで行なう見知った行為であるようだが、この作品を通すとまるで違う体験となる。移住に係わる人々の歩みと土地の歴史。ページをめくると現われる日常の風景。その時間的な隔たり。そのページのはざまにあったはずの、人々の営みはすべて空白になっている。その落差が心を揺さぶるのだ。


《夕張市本町/ Hon-cho, Yubari-shi》(2020)[© Keiji Tsuyuguchi]


《大熊町下野上/Shimonogami, Okuma-machi》(2020)[© Keiji Tsuyuguchi]

平凡な風景から探りあてる「何か」

露口の写真は、「成人した人々の標準的と思われる視線の高さ」で撮影される。撮影には大判フィルムを使う。カメラをセットし、少し離れてシャッターを切る。同じ場所で撮影するのは1枚のみだ。それはその場ひと時限りの空気を感受する儀式なのかもしれない。

露口は自身の風景写真について「写真に撮ると平凡な場所です。平凡なものは平凡に写りますから。でもそれが大事なこと。それはつまり我々の与えられた風景はこういう平凡なもので、たとえば対雁の樺太アイヌがいた風景がそこに行ったら見られるわけではない。むしろ見えないということが大事」なのだという。「誰もが知るような観光名所での体験はたとえそれが自然の畏怖を感じるような体験であっても未知ではない。やはりそれは『知っている』。むしろ日常的で見慣れた風景のなかに何かを見つけて、探り当てるような写真を撮りたい」と続ける。

空虚な空間と「反儀礼」の試み


《皇居/Imperial Palace》(2019)[© Keiji Tsuyuguchi]

最終章は「皇居」だ。この章だけは写真のみで構成されている。皇居、霞が関、丸の内。責任の所在はここにあるのだとその風景が告げる。

学生時代に皇居を訪れたときから、耐え難い空虚さを感じていたという露口。人々はそこへ何を求め、何を見に行くのか。それは福島の帰還困難区域や足尾銅山鉱毒事件で廃村に追いやられた谷中村の渡良瀬川貯水池を見たときの感覚とも同質で、その虚しさは「生の文化が排除された空間」から醸し出されている。

「儀礼」と「反儀礼」という言葉は、写真集冒頭の露口のテキストで繰り返し使われる。「儀礼」は寿ぐ行為をして、何かを隠蔽していく行為であり、また、捏造の行為である。それは日常のなかの諸所の場面で行なわれている。皇室で行なわれる儀礼もそうであるし、福島の事故から回復した日本の姿を見せるために実施された東京オリンピックなどもそのひとつかもしれない。一方の「反儀礼」は「各々の場においてなにかを思い出すためにではなく決して忘れないため」のものだ。それはこの写真集で作家が挑んだ試みそのものであるだろう。


《谷中村・渡良瀬川遊水池/Watarasegawa Reservoir, Yanaka-mura》(2022)[© Keiji Tsuyuguchi]

本作は、近代国家が抱える負の遺産を誠実に見据えている。開拓や侵略をすでに終わったこととして扱うのではなく、それは現在へ続いているのだと示すこと。そしてその権力の構造を露わにし、提示していくこと。

こうした露口の挑戦は、経済、政治、文化、情報などが複雑に絡まりあうグローバル社会のなかで、いかに戦争や紛争に加担せず、自分たちの生活を守りつつ、誰も虐げることなく生きていくことができるのか──多くの難題に直面するわれわれに、目を背けることなく、対峙するための力を与えてくれる。


《対雁/Tsuishikari》(2020)[© Keiji Tsuyuguchi]

参考:
・露口啓二『移住』(赤々舎、2024)
・露口啓二「都市、鉱山、原子力発電所、農地、住居」(『移住』より)
・倉石信乃「写真史の死角から」(同上)
・鵜飼哲「犯罪の現場に戻る」(同上)

・露口啓二『自然史』(赤々舎、2017)
・露口啓二『地名』(赤々舎、2018)
・「露口さんと考える土地の記憶 撮る ずっと忘れないために」(北海道新聞、2024年11月10日)https://www.hokkaido-np.co.jp/article/1086332/
・徳冨雅人「アイヌとセトラー・コロニアリズム : インディアン史とアイヌ史の比較」(『アイヌ・先住民研究 第4号』2024 pp.161–179)

露口啓二「移住」
会期:2025/06/21~2025/07/06
会場:zolin gallery(北海道札幌市南区澄川5条12丁目11−17)
公式サイト:https://zolin.biz/archives/696

露口啓二ウェブサイト:https://www.fremen.biz/

関連レビュー

露口啓二『地名』|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2018年07月15日号)
露口啓二『自然史』|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2017年05月15日号)