会期:2025/07/02〜2025/11/09
会場:森美術館[東京都]
公式サイト:https://www.mori.art.museum/jp/exhibitions/mamproject033/
森美術館の小プログラム「MAMプロジェクト033」では、ベルリンを拠点に活動するアーティスト、クリスティーン・サン・キム(Christine Sun Kim)の個展が開催されている。
音や声そのものを主題として、聴取の枠に留まらないコミュニケーションの可能性や音の非聴覚的な側面を、ドローイングや映像、インスタレーション作品を通して探求するキム。そんな作家は、先天的に聴覚を持たないという背景を持っている。言語中心のコミュニケーション体系の不完全性や、会話の些細なジェスチャー、そして多層的な翻訳に着目した、意味の捉え直しがキムの作品に通底している。
「MAM プロジェクト 033:クリスティーン・サン・キム」展会場風景[撮影:古川裕也][提供:森美術館]
会場全体に描かれた《音の波紋が広がるところ》は、世界でもっとも浸透しているといわれるASL(アメリカ手話)を題材としたインフォグラフィック的なドローイング作品である。手話運動の記し方や強弱、リズムを視覚的なスコア表として置き換えている。4本線を基調としながらも、不定形な線と音符が構成する筆跡は、手話という身体的なコミュニケーションを可視化し、音から広がる意味の多数性を鮮やかに描き出す。
一方、《コミュニティのため息》は、キムが66名のデフ(耳の不自由な人)の友人から集めたため息の音が、5枚のレコードに収められ、重層的に奏でられるサウンド・インスタレーションである。会場に響く個々の苛立ちや感嘆などの感情を含むため息に耳を傾けるうち、人々の集合的な連帯意識や共感が鑑賞者のうちに喚起される。またレコード盤に置かれた陶器製の重りは、個人にのしかかる社会的な圧力や差別、マイノリティコミュニティが置かれる社会的現実を暗示しているかのようである。
キムは、コミュニケーションの非対称性や伝達の齟齬、そして声の主体性を通して、社会における権力の構造を可視化しようと試みている。音を媒介とした人間そのものの翻訳は、既存の社会制度の外側に、ありのままの自己を受け入れる姿勢を共有する場を生み出す。キムの作品は、私たちが当たり前だと考えるコミュニケーションのあり方を揺さぶり、新たな知覚の扉を開く力を持っている。
鑑賞日:2025/09/26(金)