会期:2025/12/04〜2025/12/08
STスポット[神奈川県]
公式サイト:https://www.kamomemachine.com/

「私たち」の過去の過ちについて、私はどう語ることができるのか。私にとってそれを語るとは一体どういうことなのか。かもめマシーン『南京プロジェクトvol.6』(構成・演出:萩原雄太)を観てから折に触れそのことを考えている。

かもめマシーンは2022年から南京大虐殺についてのリサーチをはじめ、早稲田大学での留学生へのインタビュー、台湾でのワークショップ、イギリスと沖縄でのワークインプログレス、2024年12月の横浜での観客参加型パフォーマンス『南京プロジェクトvol.4──〈再演〉教育委員会』とプロジェクトを展開してきた。一連のプロジェクトの集大成として位置づけられた本作『南京プロジェクトvol.6』は、舞台作品の上演と観客を交えた座談会(参加は任意)の二部構成となっており、キャッチコピーとして掲げられた「南京大虐殺をめぐるわたしたちの話し方」を文字通りに思考し試行するための場として構想されていることがわかる。

[撮影:荻原楽太郎]

第1部の上演にはかもめマシーンの伊藤新と清水穂奈美の二人の俳優が出演。いわゆる物語や役が明示されるわけではないのだが、その佇まいから二人は夫婦のように見える。妊娠しているらしい女はロッキングチェアで揺られながらときに茶を啜り、せんべいを齧る。男は観客からは見えない舞台奥の空間から現われ、電話を取り、あるいは茶を淹れるなどし、しばしの後に去っていくことを繰り返す。俳優は二人とも開場中から観客と空間を共有し、案内の声をかけたりもしており、存在としての俳優と役とは地続きにも感じられる。

最初に聞こえてくるのは天気予報を告げるラジオの声だ。予報が釧路、旭川、札幌、と南下していくうち、黒電話が鳴り出すが、ロッキングチェアの女は反応しない。電話が切れ、予報は続く。再び電話が鳴り、女はやはり反応しないのだが、入ってきた男が受話器を取るとそのまますぐに切ってしまう。やがて天気予報は中国地方に至り、そのまま混線するようにして北京、上海、南京の天気を告げる。三度電話が鳴り出す。女が電話に近づいていくと、舞台奥の壁には南京大虐殺に至るいくつかの出来事の説明が──例えば「柳条湖事件 1931年9月18日の謀略的満鉄線路爆破事件。満州事変の引き金となった。」というかたちで映し出される。電話は男によって再び切られる。

[撮影:荻原楽太郎]

二人がお茶を飲み出すと、スピーカーを通したような音声で「我が国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました」という言葉が聞こえてくる。台本上は「町内放送」と書かれたそれは、壁面にも示されるように、戦後50周年記念式典に際して時の総理大臣・村山富市によって発表された「村山談話」の言葉だ。男は去る。

[撮影:荻原楽太郎]

再び電話が鳴り出す。女が近づいていくと、今度は日中戦争終結・日中国交正常化・中国GDP世界2位・南京大虐殺の世界記憶遺産への登録についての説明が壁面に映し出されていく。女はついに受話器を取る。「もしもし」という言葉に続いて聞こえてくるのは、南京大虐殺に加担した元兵士たちの証言、あるいはそれを読み上げる声だ。女と観客が三人分の証言を聞いたところで再び入ってきた男が電話を切ってしまう。見つめ合う二人。

[撮影:荻原楽太郎]

このような上演を通して私は、南京大虐殺をめぐるさまざまな言葉と、私が個人として独りそれらと向き合うときとは異なる関係を結ぶことになる。劇場空間にいる人間とともにそれらを受け取るという点においてだけではない。例えば女と男の電話に対する態度の違い。電話を切ってしまう男はそこから聞こえてくる言葉を聞きたくない、あるいは聞かせたくないように見え(それは女になのかその子になのか)、一方の女は腰は重いながらも耳を傾けようとしているように見える。そこにある差異は、自ずと私のそれとの差異と比較され、私自身の態度を省みるよう促すだろう。

やがて女は自ら電話をかけると「先の大戦に対して、日本政府はどのような歴史認識を持っていますか」と問いかける。そこからの一連のやりとりは外務省の「歴史問題Q&A」に掲載されているものだ。答えは壁面に文字として示される。やがて女の問いの主語は日本政府から「あなた」へ、そして「わたし」へと変わっていくだろう。答えが映し出されることはない。先ほどは電話から聞こえてきた南京大虐殺を生き延びた人物による証言が女によって、「あなた」という主語のもとに繰り返される。「どうしてあなたの家族が、わたしたちに殺されなければならなかったのでしょうか」という問いが、繰り返される「もしもし」によって観客へと託されて上演は終わる。

[撮影:荻原楽太郎]

さて、しかしこの上演を経てなお、第二部の座談会で私は何を話すこともできなかったのだった。座談会で話された内容はその場かぎりに留めることになっているので詳細に触れることはしないが、内容よりはまず設えの問題が大きかったように思う。「わたし」として語るのはいい。だが誰に? そしてなぜ? それを抜きにして私は「わたし」として語り出すことはできなかった。客席の人数構成からすれば日本人としての「わたしたち」に、と考えるべきか。そうであるならばしかし、「わたしたち」のあいだに蟠っているのは南京大虐殺についての語りづらさであると同時に、政治的なるものの語りづらさでもあっただろう。いや、だからこそ、まずは語る主体として「わたし」を取り戻すところから、だったのかもしれない。

[撮影:荻原楽太郎]

鑑賞日:2025/12/07(日)


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かもめマシーン「南京プロジェクト」:https://www.kamomemachine.com/%E8%A4%87%E8%A3%BD-moshimoshinoti


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