artscapeレビュー
かもめマシーン『俺が代』
2017年03月01日号
会期:2017/02/17~2017/02/19
STスポット[神奈川県]
STスポットの小さな舞台の中央、四角くくり抜かれたところに水が溜まり、上からも水がポタポタ垂れている。その真ん中に置かれているのは、金属でできた2mほどの「木」のオブジェ。生命の生長を感じさせる木が人工物で出来ている。本作のテーマである日本国憲法をかもめマシーン主宰・萩原雄太はこのように象徴化した。舞台には一人、俳優の清水穂奈美がいるだけ。彼女は、誰かの役を演じるというよりは、日本国憲法を読み、また「あたらしい憲法のはなし」(文部省が発布当時作成した憲法の副読本)などを読む。「憲法を読むだけで演劇は可能か?」という問いへのチャレンジにも映るが、それは実際可能だった。清水は、ともかく読むことに徹するのだが、途中で(確か自由をめぐる言葉を読むあたりで)語尾が微妙に疑問口調になったり、ラップのような読み方をしたり、怒鳴るように読むところも、小さな声でささやくようなシーンもあるなど、それによって、憲法が舞台の上で引き開かれ、解剖され、観客の心の中で咀嚼されていった。そこで(日本人の)観客は自らに問うことになる。日本国民である自分はこの憲法という土台のうえに生きているが、これが自分をどう規定し、どう促し、また自分はそれをどう意識し、また意識せずに生きているのか、と。当たり前にあるように思っているこれは、誰かがかつて作ったものだ。作り、そして、憲法の中身が浸透するよう、発布当時に人が人に働きかけ、人力で推し進めようとしたものだ。いまの憲法を変えるべきか否かは置いておくとして、そうした憲法を作り、そこに込めた意味を広める力はいまの自分たちにあるのだろうか? 観客の一人として筆者はそんなことを考えながら見ていた。この舞台に「登場人物」がいるとすれば、それはおそらくこの憲法のうえで生きている日本国民なのだ。タイトルに含まれた「俺」とは、つまり、日本人の観客のことなのだ。日本人の観客は、そうして自分の身にひきつけて、主役である自分とともにこの舞台と対峙することになろう。その状況を生むことこそ萩原の戦略なのではないか。「あなたは日本国憲法をどうするつもりなのさ!」と挑発的に問われるわけではない。ただ、清水が憲法を読む空間で、観客は自分を意識させられる。実は憲法に向き合うようで、自分に向き合うことになる作品なのだった。
2017/02/17(金)(木村覚)