
左から作田知樹氏、明貫紘子氏、坂本のどか氏、萩原俊矢氏
30周年記念企画「30年間のアーカイブを読み解く」のシリーズでご執筆いただいた映像ワークショップを主宰するアーキビストの明貫紘子氏と坂本のどか氏、文化政策実務家、文化行政、知的財産法などの研究者である作田知樹氏、そして「特別編集委員による現代アート&デザイン・トピックス」の「30年後のウェブメディアを構想する」の鼎談に入っていただいたウェブデザイナー/ディレクターの萩原俊矢氏にお集まりいただき、artscapeの「アーカイブ」についてお話しいただきました。30年間のテキストがすべて読めるアーカイブは、記事の内容だけでなく、UIや構造などからネットの技術史を読みとることもできます。そして、今後どういった活用の可能性がひろがっているのか。前後編に分けてお届けします。(artscape編集部)
30年間のインターネット史とartscapeの変遷
明貫紘子(以下、明貫)──今日はartscape30周年記念ということで、起点を1995年に置きます。この年はWindows 95の登場によって、インターネットが急速に普及し始めた年で、「インターネット元年」と呼ばれています。WWWという規格自体はそれ以前からありましたが、1995年頃から一般社会に広がっていったと思います。「電脳」や「サイボーグ」といったキーワードで語られる劇場アニメ『攻殻機動隊』が封切られて、国際的にヒットした年でもあります。
さらにメディア史的に見ると、1995年はリュミエール兄弟がシネマトグラフ、つまり映画を開発してからちょうど100年後。その中間の1950年前後がテレビの時代で、日本では1953年にテレビ放送が始まっています。さらに2025年は、日本でラジオ放送が始まってから100年という節目の年でもありました。
メディア技術の大きな転換点を100年スパンで振り返ると面白いかもしれません。例えば、映画とインターネットの間にテレビがあり、さらに衛星放送などの技術が広がっていくプロセスがあります。

「近現代のメディア史とartscapeの変遷」[作成:明貫紘子]
明貫──社会的な出来事で見ると、1995年は阪神・淡路大震災、地下鉄サリン事件が起きた年でもあります。また、日本経済が長期停滞に入った時期に社会に出た世代、いわゆる「ロストジェネレーション」世代の始まりの年でもあります。私自身もその世代に含まれます。
一方で、デジタルアーカイブやインターネット技術は急速に発展していきました。1995年にはamazon.comも開設されています。インターネットが普及し始め、ホームページ文化やオンライン日記が広がっていった年といえるでしょう。1995年のICCイベント「on the Web—ネットワークの中のミュージアム—」では、八谷和彦さんの《メガ日記》という、日記そのものを作品として提示する例もありました。BBS(Bulletin Board System)と呼ばれた掲示板文化も、この時期は非常に活発でした。
作田知樹(以下、作田)──1995年8月22日にNTTの「テレホーダイ」が始まりました。深夜23時から朝8時まで指定した2つの番号間での通話・通信が定額になるサービスです。それ以前は掲示板を使うだけでも接続時間に応じて電話代がかかっていました。テレホーダイによって、インターネットは深夜のコミュニケーションツールとして捉えられるようになった。
明貫──90年代の深夜テレビ番組は非常に面白かったですよね。インターネット前夜の時期に、メディア実験のような試みが深夜帯に多く見られました。衛星放送による多チャンネル化も進みました。今日は、その時代を起点にしながら、法律、社会状況、インフラの変化も含めて見ていきたい。まずは、私と坂本さんが書いた記事の内容を整理しつつ、作田さんのリサーチを重ねていく形で進めたいと思います。
作田さんの記事を読んで驚いたのは、1996年の時点で東京国立博物館がカラー写真検索システムを公開していたことです。当時はまだCD-ROMなどによる「マルチメディア」の時代で、インターネットよりもローカル環境でソフトウェアを動かすインタラクティブな体験が中心でした。そのなかで、artscapeは1995年に比較的早い段階で開設されています★1。
坂本のどか(以下、坂本)──かなり早い取り組みですね。年表 はartscapeのトップページのデザインが切り替わったタイミングを基準に整理しています。「artscape」という名称になる前の時期を、赤と黄色の帯で示しています。
明貫──「ネットワーク・ミュージアム&マガジン(nmp)」の時代ですね。
坂本──「nmp」と「nmp.j」の時代があり、1998年10月から「artscape」という名称で正式にスタートしました。2008年夏までは、号数ごとに整理されたアーカイブが残っています。
明貫──そこまでが第2期ですか。
坂本──おおまかにはそうですね。だた、「artscape」スタート後、2008年夏までの期間をトップページのデザインで分けると、さらに5期に分かれます。その後、2009年1月15日にリニューアルがあり、ドメインとアーカイブ構造が切り替わります。ここから2014年3月までがひとつのまとまった時期です。

坂本のどか氏
明貫──そこから安定期、つまり第6期に入る。2009年のリニューアルまでは試行錯誤が続いていた印象があります。、作田さんの原稿によると、2009年はリーマンショック後であり、政権交代があり、著作権法改正も行なわれた年です。
作田──著作権法は頻繁に改正されていますが、デジタルアーカイブに関わる重要な改正が2009年にありました。
明貫──博物館・図書館・文書館において、許諾なしで保存目的のデジタル化が可能になった点は大きな変化でした。artscapeの安定期が始まる2009年は、インターネット史とも重なっていると思います。1998年にGoogleが創業、それまでURLを直接入力していたインターネットの使い方が、検索中心に変わっていきました。2000年前後にはブログサービスが登場し、記者や編集者の記事制作の独占が崩れ、メディアの多様化が進みます。
作田──それ以前は個人サイトでは、サーバーを作るか借りるかして、そのなかにHTMLを直接置くか、GeoCitiesのようなサービスを使う必要がありました。ブログサービスは、アカウントを作るだけで無料で発信できた点が大きかった。
「ホームページ」という言葉をめぐる議論もありました。ホームページとはトップページを指す言葉だから、index.htmlかindex.htmだけが「ホーム」ページであり、コンテンツの入ってるところ全体は「ウェブサイト」と呼ぶべきだとか、1998年頃に掲示板で盛んに議論されていました。
1999年にはiモードが始まり、「魔法のiらんど」などの投稿サイトが登場します。UGM(ユーザー生成メディア)が拡大していきました。
明貫──その後、Wikipedia(2001年1月)のような共同編集型のプラットフォームが登場します。
萩原(以下、萩原)──アメリカでは2001年の9.11同時多発テロやその後のアフガニスタンの件などをきっかけに、マスメディアへの不信感もあって、個人がブログで情報発信するようになったと言われています。
明貫──そしてSNSの時代に入ります。iPhoneが生まれた2007年にSNSが大躍進し、Facebook、YouTube、Twitter、日本ではmixiなどが普及します。ネットの世界はSNSが中心になり、ウェブサイトの役割も変化していきました。ちょうどこの時期がartscape第6期にあたります。
作田──2012年には韓国のラッパーPSYによる「 江南 スタイル」がYouTubeで再生回数10億回を突破しました。文化の中心地ではない場所から、世界的ヒットが生まれた例です。
明貫──それまでの「スター=欧米」という構図が変わり始めた。2010年代前半にはキュレーションメディアの隆盛と批判があり、「編集とは何か」が再び問われました。
作田──既存の記事を組み合わせる「まとめ記事」も問題になりました。医療情報などで、裏付けのない情報が流通した事例もありましたよね。
明貫──現在のAIによる要約や生成とも通じる問題ですね。「アーカイブ」という言葉も、YouTubeやZoomの機能名として一般化しました。日本で「アーカイブ」という言葉が広く知られたのは、2003年に「NHKアーカイブス」が開設されたことが大きかったのではないでしょうか。
作田──本来、アーカイブとキュレーションは緊張関係にあります。アーカイブは価値判断をせず、とにかく残すことが原則とされてきました。キュレーションは意図を持って価値を見出し、提示する行為です。アーカイブがなければ豊かなキュレーションはできませんが、アーカイブの段階で価値判断を入れると問題が生じる。その関係はいまも議論されています。
アーカイブという作業自体には必ず一定の恣意性が含まれます。その点で、アーカイブと価値判断の関係は単純ではなく、複雑な関係にあると思います。
デジタルデータのアーカイブとしては、「INTERNET ARCHIVE」というサイトがあります。国立国会図書館でもウェブサイトのアーカイブが始まっています。
動的なサイトが増えると、URLだけで保存する方法が成り立たなくなってきます。そうしたコンテンツをどう残すのかという問題にもつながる。
一方で、もともとボーンデジタルのものをアーカイブするという議論もありますが、この時期までに語られてきた「アーカイブ」は、どちらかといえば、アナログで作られたものをどう残すかをオンラインメディア上で議論する文脈が中心でした。artscapeで現在も続いている「デジタルアーカイブスタディ」シリーズなども、主にその文脈の話でした。

作田知樹氏
30年分のメタデータ
明貫──artscapeでは、もともとアナログなものをどう継承するかという「デジタルアーカイブ」が語られてきた一方で、その発信媒体であるartscape自体をどう残すのか、今日はその話題になりますね。
坂本さんと一緒に記事を書く際、artscapeの30年分がオンラインで閲覧できること自体が非常に貴重だと感じました。その振り返りの試みとして、大日本印刷株式会社(DNP)のAIチームにメタデータを抽出してもらいました★2。その結果、年表に見られる試行錯誤や、インターネット技術の変化を乗り越えてきた過程が、メタデータから可視化されました。人間的な試行錯誤の痕跡がそこに表われていると感じました。
作田──見てみると、最初の赤から紫のトップページまでは、ほぼ1年単位で変化しています。そこから徐々に期間が伸びていき、第7期(現在)は長く続いている。このまま続いていく可能性も感じられます。

「近現代のメディア史とartscapeの変遷」[作成:坂本のどか]
萩原──これまでウェブサイト制作に携わってきた感覚としても、以前は頻繁にフルリニューアルを行なっていました。トレンドの変化やレスポンシブ化など、技術や端末の変化が大きく、そのたびに作り直す前提の時代だったと思います。
ただ、スマホが普及した2014年以降は、ひとつのウェブサイトを長期間育てていくという考え方に変わり、フルリニューアルは減ってきたという実感があります。
坂本──第5期から第6期への大きな変化として、トップページのURLが変わらなくなった点があります。それ以前は、号ごとにトップページが変わっていました。
作田──毎回リダイレクトさせていたということですか。
萩原──最新号に誘導する仕組みだったのかもしれません。
坂本──トップページと呼んでいるのは目次にあたるのですが、目次ページの手前にさらに、固定されたトップページが存在していたのかもしれない、と個人的に気になっています。
明貫──いわゆる「ホームページ」が存在していた?
作田──INTERNET ARCHIVEを見れば確認できるかもしれません。
明貫──その号の記事からいきなり始まる構成だったわけですね。
坂本──artscape10周年のタイミングで刊行された書籍『アートスケープ・クロニクル1995-2005 ──アート、ネット、ミュージアム』には、メールニュースの重要性が書かれています。発行されるたびにトップページのURLが変わるため、メールニュースによる告知が重要だったのだろうと想像しています。
明貫──読者と接続する手段がメールだった時代ですね。
坂本──第6期以降は、トップページのURLは変わらず、内容だけが更新されるかたちになったため、各時点のトップページのスクリーンショットが残っています。
明貫──いまとなっては、トップページの記録自体が貴重ですよね。Yahoo!などポータルサイトのスクリーンショットが残っているのと同じ価値があります。
artscape30周年の価値を定量的に見る資料として、さきほど坂本さんがあげたDNP刊行の書籍があります。出版年は2005年。当時のカルチャー系ウェブメディアを一覧化した「アート系Webサイト曼荼羅図」が掲載されています。
この曼荼羅に掲載された60件のメディアのうち、現在も残っているものを坂本さんが確認してくれました。artscapeだけが残っているのではないかと思っていましたが、実際には4割程度残っていました。

『アートスケープ・クロニクル1995-2005 ──アート、ネット、ミュージアム』

「アート系Webサイト曼荼羅図」
坂本──掲載のサイト名とURLを参考にした大まかに確認しただけなので、名称やURLの更新を伴って継続しているものなどは拾い切れていない可能性がありますが。ページは残っていても更新が止まっているものもあります。
明貫──継続の形態はメディアごとに違いますね。「文化庁メディア芸術プラザ」のようなナショナルメディアがなくなっているのは残念です(2012年4月25日閉鎖)。
こうした資料を書籍として残しているDNPマインドがいいですね。キーパーソンは影山幸一さんです。アーカイブ関連はほとんど影山さんによる記事ですね。
作田──影山さんは、現場の動向だけでなく問題意識をartscapeから伝え続けることで、制度整備の遅れについての認識を広めることに長年取り組んでこられました。artscapeがデジタル技術や博物館、アーカイブを扱い続けてきた背景には、影山さんの使命感が強く反映されているように思います。加えて、影山さんのような個人だけでなく、DNPという企業が長期にわたってデジタルアーカイブにコミットしてきた点は重要です。artscapeとDNPは早くからコンテンツと現場、業界全体を横断的、継続して取り組んできた存在だと思います。
萩原──かつて大量のインタビューを掲載していたウェブマガジンが、ドメインごと消えて全記事が消滅した例もありますものね。
明貫──悲しすぎますね。そうした状況のなかで、過去の記事を残しながら現在も更新を続けるartscapeは特異な存在です。
萩原さん、ウェブサイトデザイナー&ディレクターの視点から、artscapeをどう見ますか。
萩原──当時はどこも新しいものを作り、情報発信するモチベーションが非常に高い時代でした。みんな、作るのに一生懸命で、「発信、発信」っていう時代に、artscapeは「残す」ということをデジタルにおいてやろうとした姿勢が非常に重要なんじゃないか。それはDNPっていう会社の本質、特性なのかもしれない。
明貫──出版社ではなく印刷会社であるという?
萩原──印刷して刻印するみたいなモチベーション。それを強く感じました。古文書アーカイブでは、蔵に眠る文書がネズミにかじられた跡や汚れも含めて情報と考えます。同様に、当時のデザインやソースコードがそのまま残っていること自体が、非常に価値のある情報です。デジタルの場合は、意識的にメンテナンスし続けなければ残りません。フルリニューアルで過去を消す例が多いなか、旧サイトを残している点は特筆すべきです。
明貫──一方で、年ごとの記事やコンテンツの総量が、実感として把握しにくいという問題があります。
坂本──URLベースでは約6万件近い数が確認されました。正確な数はわかっていません。
萩原──有効なURLは半分程度ではないかと推測すると、月60本程度の更新ペースになります。
AIを使った「地図」づくり
明貫──価値を実感するには、全体像が見えないと。AIによって、大規模データ解析の精度と速度は飛躍的に向上しています。その力を使って、artscape全体を解析できないかと思いました。今回の調査はその第一歩です。
坂本──メタデータ抽出が難しかった理由のひとつに、個々の記事ページにリリース日をはじめとしたメタデータにあたる情報が記載されていない場合があることが挙げられます。また、artscapeというメディアの名称がない場合も。検索して、たまたまそのページが出てきても、いつ誰が書いたどのメディアの記事なのかがわからないようなケースです。
明貫──特徴的だったのは、サイト内リンクの多さですね。
坂本──詳細情報が同一ページ内別フレームで表示される構造もありました。URLが変わらないため、個別ページの取得が難しい。
萩原──ページをフレームで分割する手法は最近では見かけなくなりました。スマートフォンなどの小さい画面で見る方が増えるなかで、現在はセマンティックなURL構造を重視する傾向があります。
明貫──エクセルデータを少し見てみましょう。リストを見るだけでも、複雑怪奇な変遷が読み取れます。

作田──作り方が大きく変わっています。初期は、後から個別ページを見返すというより、その時々の「ひとつのコンテンツ」として見せることを意識した作り方だったと思います。その後、制作方法が徐々に標準化されるなかで、バックナンバーとして一つひとつが見やすくなっていく。この変化の過渡期が、いちばんわかりにくい。初期は大まかに理解できるし、最近のものも把握しやすい。その中間の時期がかなり見えにくい部分だと思います。
明貫──記事を残すこと自体が何より大事ですが、同時に、デザインやメディアとしてのフォーマットも含めて残すことが大切だと思います。
メディア史で、本の綴じ方、映像のアスペクト比や解像度の変化が重要視されるのと同じように、初期の混乱期におけるデザインや仕様の変化も記録できると面白い。現状では、仕様自体は確認できます。ただ、まとまって全体像を見渡すことができない。一覧や目録のように可視化できれば、artscapeの歴史を別の角度から評価できると思います。
今回抽出してもらったメタデータは多くありません。日付、執筆者、記事タイトル、URLです。URLを入れたのは、人間もAIも再参照しやすいと考えたからです。
──やり方としては、サーバー上に残っているHTMLをまとめて抽出し、一括で処理しています。リンクを辿っているわけではありません。フレームで分かれている構造などは考慮できていません。
明貫──記事の要約はAIがまとめたものですよね。
──そうです。ただ、AIチームには、サイト構成の詳細までは伝えていません。まずはサーバーからHTMLを取得して処理する、第一段階です。
萩原──Googleのような検索エンジンでは、クローラーを走らせて多くのページを取得し、ページ単位ではなく単語単位で索引化しています。たとえば「マルチメディア」という語がどのページに含まれているかを記録し、検索語に応じて即座に結果を返す。学術書の巻末索引のような考え方で、ページそのものより索引を重視しているわけです。
──たとえば、「マルチメディア」という言葉が、30年前、5年後、10年後でどう意味を変えてきたか。「メディア・アート」という表記で「・」が使われなくなっていく過程など、言葉の変化も追えます。
萩原──単語を軸に対応するページを並べていくことで、時代感が見えてくるかもしれません。
明貫──取り組みやすいところから始めるだけでも、価値は大きいと思います。ただ、全文検索や語彙分析とは別に、できるだけバイアスをかけずに全体像を把握する方法も必要です。教科書的には日付ですが、今回はそれが取れない。
萩原──そもそも日付が存在しないページもあります。

萩原俊矢氏(左)と明貫紘子氏(右)
明貫──DNPにとっても、この蓄積をどう価値化し、生かすかは重要なテーマだと思います。こうしたリストが出てくるのは、まさに今だからできることです。将来、10年後や20年後には、さらに容易になるでしょう。だからこそ、まず「見られる状態」にしておくことが重要です。検索で偶然見つかるだけでなく、過去の蓄積側から「訴えかけてくる」ようなインデックスを作れないか。人名や組織名も重要な軸になります。
萩原──最近は、システム側で公開日が自動的にHTMLに残るようになっていますが、以前は手作業更新が多く、ページ形式も統一されていませんでした。サーバーログやメタデータは残っていますが、リニューアルの過程で時系列が失われることもあります。順番がわからなくなる。公開日のような基本情報でも、意識して残さなければ残らない。その事実に驚きました。
明貫──アーカイブを意識していたとしても、日付という基本が抜け落ちていた。雑誌的な発想で、半月ごとに号が出ることが重要だった。個々の記事がいつネットに公開されたかは、重視されていなかったということですね。
坂本──あくまで、目次のあるトップページが入口という想定だったのですね。
萩原──トップページのリンク構造から、おおよその時期は推定できそうですね。HTML構造や各期の特徴を理解して、「このページ群はこの時代」と推定する。
エージェントAIに役割分担させて、構造調査やレビューなどを並行して進められるようになれば理想的です。今まさに劇的に変わろうとしている段階ですが、今後現実的になると思います。
作田──こうした、サーバーの移転などにより作成日が不明になり、HTMLやURLからも日付情報が推定できないコンテンツに日付を推定で付与する作業は、今のAIでもある程度のミスを許容できるなら可能だと思います。
明貫──紙資料を素材や質感から年代推定する専門家と同じように、artscape専門のAIができたら理想的ですね。文脈を踏まえて判断するAIがあれば、記事執筆も補助できる。
今回の記事では、まず「地図作り」を意識しました。全記事を読むことは不可能でも、足がかりを用意することはできる。図書館の書誌情報と同じで、全体像を知るための座標が必要です。
作田──こうした試みを行なうことで得られる知見を蓄積していけば、失われたアーカイブを復元する試みにも応用できるかもしれません。消えたアーカイブをどう救い、再構築するかにもつながる。
明貫──artscapeや90年代からのウェブメディアのデータ構造を理解したエージェントAIができれば、独自の競争力にもなる。地道な作業ですが、過去を掘り起こしながら未来につなぐ動きは重要です。
(後編へ)※3/3公開予定

★1──仮想的な万国博覧会「インターネット1996ワールドエキスポジション(インターネット・エキスポ ’96)」のパビリオンとして開設した。インターネット・エキスポはインターネット博覧会(通称インパク、2000年12月31日〜2001年12月31日)とは別のイベント。
★2──「明貫紘子+坂本のどか|artscapeを旅するための地図──30年間のアーカイブを読み解く(1)」https://artscape.jp/article/51511/(artscape、2025年10月30日)を参照。
収録日:2026/01/19(月)
