シンガポール独立60周年となる年に、「pure intention(純粋な意図)」というテーマのもと開催された第8回シンガポール・ビエンナーレ2025。巨大倉庫に移転中のシンガポール美術館(SAM)や街なかの分散型展示、そして東南アジアの牽引役として美術史を体系化するシンガポール国立美術館の取り組みを踏まえ、多層的な都市の歴史と多文化共生が息づくシンガポールの現在を、五十嵐太郎さんが読み解きます。(artscape編集部)

巨大倉庫に移転中のシンガポール美術館

会期が3月29日までなら、ぎりぎり間に合うと判断し、第8回となるシンガポール・ビエンナーレ2025を鑑賞すべく、渡航した。同国の訪問は3度目であり、およそ10年ぶりとなる。ちなみに、シンガポール・ビエンナーレは2006年に始まり、第1回と第2回は南條史生が芸術監督を務めた。当初はナショナル・アーツ・カウンシルが主導し、2011年からシンガポール美術館(SAM)に引き継がれている。2025年は国家の独立60周年にあたるタイミングであり、シンガポール・ビエンナーレはSG60という記念事業のひとつとして位置づけられた。SAMのキュレーターチームによるテーマ「pure intention(純粋な意図)」は、その言葉と矛盾する裏側にも目を向け、多層的に形成された都市が計画的であると同時に発見的であり、驚きに満ちていることを、あらゆる階層の人たちにさまざまな場所で体験してもらうことを意図している。全体としては、60組のアーティストによる100点以上の作品が展示され、やはりアジア系の作家が多い。

メイン会場はSAMだが、現在は改修中のため、海辺の巨大倉庫に移転中だった。すぐ隣にはガントリークレーンが並び、高架の高速道路に挟まれた立地であり、あまりアクセスは良くない。もっとも、ビエンナーレに割りあてられた展示室はそれほど大きくない。むしろ、街なかの5つのエリアで分散的に展開し、普段アートに関わりがない人が作品に触れる機会を積極的に創出していた。なお、メイン会場以外は入場無料である。

SAMやギャラリーが入った巨大倉庫「Sea of Flags」[著者撮影

さて、SAMの会場は、コレクションも活用しつつ、おそらく人工的な国家であるシンガポールを意識し、破壊と発展、あるいは不在のイメージにまつわるものが集められており、建築や都市に関する作品が一定数含まれ、個人的には楽しめた。例えば、監視塔、映画館、立ち退きに抵抗した家、火災現場の跡、コンテナ、ガーデンシティなどである。ピエール・ユイグの「オフスプリング」は照明とスモークの効果をもつ演者がいないミニチュアのバレエ劇場であり、じっと眺めていると、奇妙な気持ちにさせる。

アーメット・オーグットによる、立ち退きに抵抗した家の作品[著者撮影


CAMP「メタボリック・コンテナ」[著者撮影

ピール・ユイグ「オフスプリング」[著者撮影

SAMでは、ビエンナーレとは別に複数の企画展も開催していた。3階のエリア・ヌルヴィスタ&バグース・パンデガの二人展「Nafasan Bumi ~エンドレス・ハーベスト」、パフォーマンスの記録をテーマとするソウル市立美術館・クイーンズランド州立美術館との共同展「リビング・ルーム」、日常生活の作品化に注目する「トーキング・オブジェ」展、そして1階の子供向けの「ラーニング・ギャラリー」などである。

共同展「リビング・ルーム」にてジェレミー・ヒアの作品展示風景[著者撮影

なお、巨大倉庫にはギャラリー群も入っており、ニューアートミュージアム・シンガポールでは、開館記念の企画として、隈研吾の「『負ける』建築:リズムと粒子のエコロジー」展を開催していた。長谷川祐子がキュレーターとして参加し、2000年以降の21のプロジェクトをとりあげる。実はヴェネツィア・ビエンナーレ国際建築展2023のときにパラッツォ・フランチェッティで鑑賞した隈の個展と同じような内容かもしれないと思ったが、シンガポールで進行中の作品を含む、中国、インド、インドネシア、カタール、日本など、アジアの仕事が中心になっており、ほとんどかぶっていない。特にソニーコンピュータサイエンス研究所と協働して開発した創作活動を支援するシステム「Tomonami(トモナミ)for KKAA」が興味深い。「ぱらぱら」「つんつん」「ぐるぐる」など、6つのオノマトペのパラメーターを操作することで、リアルタイムに造形をシミュレーションできるのだ。そして最後に岡博大監督のドキュメンタリー映画「粒子のダンス」を紹介していた。

「Tomonami」による造形シミュレーションの展示[著者撮影

街なか会場をまわる

おそらく、効率的かつ集中的にまわれば、1日ですべて鑑賞できるかもしれないが、ほかに見たい建築や博物館などがあり、2日に分けて、シンガポール・ビエンナーレの街なか会場をまわった。週末には各エリアをつなぐ無料のシャトルバスも用意されていたが、それほど本数が多いわけではなく、またMRTやバスなどの公共交通機関を使えば、十分にアクセスできる。

まずフォート・カニング・パークのエリアは、かつて砦が築かれた小さい丘の上であり、眺めもよく、観光地なのだが、ビエンナーレのおかげで初めて訪問した。このエリアを散策しながら、作品を探していると、必然的に近代の灯台、植民地の総督の家を再現したラッフルズハウス、砲台、地下壕なども見ることになり、歴史を学ぶことができる。例えば、多様な文化が共存する街のシルエット、戦闘機のスクラップを用いた作品、ルワンダの独立を記念する門、歴史を刻むタペストリーの地図、外来種の侵入を示唆する彫刻などだ。

ちなみに、フォート・カニング・センターにおける要塞の歴史の常設展示では、太平洋戦争のときに日本兵が“やらかした”ことが紹介されている。アジアの共通の記憶なので、各地でよく出会う内容だが、これを日本国内でやると、必ず怒ったり騒いだりする人が出てくるため、加害の歴史は忘却されようとしている。


多様な建築の輪郭をつなぐアイーシャ・シンの「Continuous Coexistences」[著者撮影]


戦闘機の廃材を用いたジャクリーヌ・キヨミ・ゴークの「HNZF IV」[著者撮影

大型の商業施設がひしめきあう繁華街のオーチャードのエリアでは、ラッキー・プラザとファー・イースト・ショッピングセンターにおいて、空き店舗を生かした内容の展示が行なわれていた。例えば、カラオケ(フェミニズム系の映像)、今では懐かしいインターネットカフェ(パソコンでさまざまな映像作品を見せる)、宣伝のスタンド、不動産の広告(中国で販売用に使われたマンションの模型を再利用)などを意識した作品がある。またエスカレーターの下に位置しているリクリット・ティラヴァニのプロジェクトは、来場者が無料で持ち帰れる「自由は模造できない」というメッセージ付きのTシャツを用意し、すべてなくなったらそのステンレス製の直方体の台がミニマルな彫刻に見えるというものだった。

アイサ・ホクソン「The Filipino Superwoman X H.O.M.E. Karaoke Living Room」[著者撮影

そこから坂道を登り、オーチャードの高級マンション群を抜けると、ポストモダン建築の旧学校の教室や体育館がビエンナーレの会場になっていた。やはり、普段は入ることができない施設を体験できるのが、街なか展示の醍醐味である。日本からは高山明(シンガポール国立大学の建築学生とワークショップを行ない、街並みを表現するボードゲームを作成)と今津景が参加していた。また校庭ではシンガポールに拠点を置くランドスケープデザイン事務所のサラダドレッシングによる植栽の作品「スクエア・フォレスト」、音楽室では第8回横浜トリエンナーレに出品していたオズギュル・カーの「Death with Clarinet」「Death with Flute」「Death with the Little Bell」(骸骨が楽器を演奏する作品)が設置されていた。空間の性格と作品を連動させている。

高山明による街並みを表現するボードゲーム[著者撮影

今津景の作品と、その奥に見えるタク・ヨンジュンの映像[著者撮影

レイルコリドーのエリアは、地下鉄(MRT)でコモンウェルス駅を降りて、歩くことになる。新旧の集合住宅が並んでおり、観光客が足を運ぶことは少ないだろう。作品を求めて散策すると、郊外の公営住宅地のマーケットの空き店舗、シンガポールを横断する旧マレー鉄道の廃線、すなわちレールコリドー沿いの道、まわりの自然、植民地時代の大邸宅ブレンハイムコートなどに遭遇する。ここでは政治や社会的なテーマの作品が少なくない。

ケイト・ニューバイの「時を貫く道」は、レールコリドーのリニアな空間に沿って、セラミック製の小さな排水路を30mにわたって制作されたもの。アピチャッポン・ウィーラセータクンらの屋外インスタレーション「海を覚えている二人」は、突如広がる緑の風景において、ふたつのフレームに銀色の旗が風にたなびく。邸宅では、アーティストが新しくブレンドした飲料の自動販売機や、社会的な問題を考えるフィールドライブラリーを設置するほか、かつて抗日運動に参加した済州島の海女などを題材とする作品が展示されていた。


ケイト・ニューバイ「時を貫く道」[著者撮影

アピチャートポン・ウィーラセータクンらの屋外インスタレーション[著者撮影

東南アジアの牽引役と多文化共生

巨大なシンガポール国立美術館にも、ビエンナーレ関係の作品がいくつか設置されていた。これ以外の複数会場でも設置されていたメッセージ付きの寄贈風ベンチのほか、屋上にはトゥアン・アンドリュー・グエンによる鐘が鳴るカルダー風の彫刻「テンプル」(ベトナム戦争の個人的な記憶にもとづく作品)と、赤瀬川源平による超芸術トマソンの写真などである。

1階と地下では、子供ビエンナーレという企画も開催されていた。ちなみに、国立美術館は、市庁舎と最高裁判所ふたつの古典主義建築をリノベーションして合体させた巨大な建築である。4階には「建築に耳を傾ける」という展示セクションが設けられており、デザイン、意匠の細部、歴史、国際コンペ、過去の報道記事などを詳しく説明していたことに感心させられた。

イザット・アリフ「In Loving Memory」[著者撮影

トゥアン・アンドリュー・グエン「Temple」[著者撮影

ふたつの建築をつなぐ国立美術館の吹抜け空間。右端にアピチャートポン・ウィーラセータクンの作品[著者撮影

国立美術館の展覧会も紹介しよう。前に訪れたときもそう思ったが、全14室のコレクション展示は、近代以降の東南アジア全体の美術史を、シンガポールが中心となって体系化する強力な意志を感じる。カンボジア、ヴェトナムなど、他国の美術館がまだきちんと整備されていないからだ。例えば、第11室は、1970年代におけるマレーシア、インドネシア、フィリピンの前衛芸術運動を紹介しており、とても興味深い。

インドネシアの前衛芸術運動を紹介する展示[著者撮影

また小特集としては、西洋的なロマン主義絵画をきわめたインドネシアのバスキ・アブドゥラに焦点をあてていた。本来、日本でも、東アジアの美術史やデザイン史で、こうしたミュージアムを成立することができたはずだと思う。企画展では、「権力を恐れるな:女性たちが描くもうひとつの可能性」展は、20世紀後半の東南アジア(タイ、マレーシア、フィリピン、インドネシア、シンガポール)から5人の女性アーティストをとりあげ、その作品と活動の連携を紹介する。パプタワン・スワンナクット、ニルマーラ・ダット、ドロローサ・シナガ、アマンダ・ヘンなど、日本では馴染みがない作家だが、時代背景を考えると、必然的に社会的、政治的な側面が強い作品が並ぶ。

ドロローサ・シナガの作品[著者撮影

イメルダ・カヒペ=エンダヤの展示[著者撮影

一方で「シンガポール・ストーリーズ:アートにおける道と迂回路(Singapore Stories: Pathways and Detours in Art)」展は、多様性やコスモポリタンのアイデンティティを確認しつつ、19世紀の海外が想像したイメージから現代の前衛までの国内の美術史を辿る。こちらは関連する映画のほか、アーティストがその役割も担った漫画やデザインもとりあげていた。また小特集は、シンガポールで活躍し日本の爆撃で命を落とした中国人の画家・漫画家のチャン・ジュ・チ(張汝器)を紹介したもの(「Tchang Ju Chi: Tireless Camel」)だった。

「シンガポール・ストーリーズ」展でのアマンダ・ヘンらのパフォーマンス記録[著者撮影

印象的だったのは、入場無料の「ただの傍観者ではない:多文化シンガポールの形成(Not Mere Spectators: The Makings of Multicultural Singapore)」展である。これはアートを展示するというよりは、政治家のスピーチ草稿や教科書なども含み、1950年代から70年代にかけて、多文化主義が構想され、根付くよう努力してきた歴史を振り返りながら、未来を考える企画になっていた。

ところで、古典主義を増改築したシンガポール国立博物館は、現在、地上階の主要なギャラリーはリニューアル中のため、上階からスロープを降りながら体験する没入型の映像と、地階の簡単な歴史紹介の展示のみだった。特に後者は、埋め立てによる都市の拡張や、移住者を受け入れてきた多民族国家としてのアイデンティティとその重要性を説いている。日本では、移民に対する排外主義が跋扈しているが、改めてシンガポールはまったく異なる状況であることがよくわかる。ただ、それは自然とそうなったわけではなく、おそらく教育や文化を通じて、たゆまぬ努力によって獲得したアイデンティティなのだろう。

ところで、4月末、数年ぶりに静岡の「SHIZUOKAせかい演劇祭」に出かけた。ディレクターの石神夏希は、テーマに「『せかい』はあなたの隣に住んでいる。」を掲げている。ブラジルにルーツをもつ住民が参加する「うなぎの回遊」や、移民のメイドと魔女を重ねるアイサ・ホクソン+ヴェヌーリ・ペレラの「マジック・メイド」などを観劇したが、シンガポールとの関係で印象に残ったのが、静岡芸術劇場で上演された「マライの虎─ハリマオ」である。台本はアルフィアン・サアット、演出はモハマド・ファレド・ジャイナルが担当し、日本がシンガポールを占領した時代に制作されたプロパガンダ映画『マライの虎』(1943)を演劇としてリメイクするという設定であり、その稽古の途中、さまざまな検討が行なわれ、議論が繰り返されるというものだ。興味深いのは、シンガポールから3人、日本から2人の俳優が参加していること。ただし、出自がそれぞれ異なり、演劇のスタイルが違うだけでなく、流暢な英語と下手な英語、マレー語、日本語、中国語が飛び交い、多言語による交流となる。テーマそのものは、歴史を解釈することに加え、戦争責任にも及ぶが、コミカルな要素も散りばめることで、重さを回避していることもユニークだった。アルフィアンによれば、異なる見方を提示しつつ、「私たちが歴史的な事件についての『真実』を問うているのではなく、『歴史』がー映画や演劇や言説においてーいかにつくられるかを問うている」ことを強調していた(公演リーフレットより)。演劇関係者だけでなく、もっと多くの日本人に見てもらうべき優れた作品に、多様性の共存という未来の可能性を感じた。

最後まで書いたところで、シンガポール国立美術館で5月22日から開催予定だった展覧会「モンスーンの後で 東南アジアのアートと戦争」が延期されることが発表された。報道によれば、不確実な世界情勢を考慮したという理由のみが記されている。なるほど、現在起きている未曾有の事態は、過去の評価にも影響を及ぼしかねない。すでにコレクションで、各国の戦争を題材とする作品を紹介していたから、さらに本格的なものが企画されていたはずだ。が、それを公開するためには、再び世界が落ち着くタイミングを待つのかもしれない。