
マッタ《大地はひとりの人間である》
1942年、キャンバス・油彩、182.9×243.8cm、シカゴ美術館蔵
The Art Institute of Chicago / Art Resource, NY/ Scala, Florence / DNPartcom
© ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2026 E6350
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地球と人間
電子メディアの急速な発展が物理的な距離を縮め、世界がひとつの小さな村のように、密接に結びつく社会になる、という予言的な概念「グローバル・ビレッジ(地球村)」を1960年代初頭に提唱したのは、カナダ出身の英文学者でメディア論者のマーシャル・マクルーハン(1911-80)だった。確かにテレビやネットによって、世界は身近になった。しかし、地球村は戦争が収まらず穏やかでない。武力を行使した紛争が世界各地で勃発し、続いている。講和以前の対話を交わす方法を探しあぐねている。そのような地球村を一人の人間にたとえた絵画があった。1942年に制作されたマッタの《大地はひとりの人間である》(シカゴ美術館蔵)である。
SF的な未来風景と微細なミクロ世界が融合したような有機的で不思議なイメージ。画家は、地球と人間を同格にとらえ、その誰も見たことのない姿を視覚化しようと発想したのだろう。肖像画でも風景画でもなく、未知なる迷宮世界を描いたような奇妙な抽象画である。具体的なものは描かれていないが、人や花、太陽に見える形があり、青緑や黄色の中間色を現代的に用いて、エネルギーの流動を感じる。特にその太陽の真下にある黒く細い落書きのような線が、意味不明ではあるが感性を刺激して楽しい。
シュルレアリスム(超現実主義)を中心とする20世紀美術史を専門とし、大学で西洋美術史を教えている長尾天氏(以下、長尾氏)に、《大地はひとりの人間である》の見方を伺いたいと思った。長尾氏は、マッタが関連する著書『イヴ・タンギー──アーチの増殖』(水声社、2014)や『もっと知りたいデ・キリコ──生涯と作品』(東京美術、2024)を執筆されている。千葉市稲毛区の喫茶店でお会いすることができた。

長尾 天氏
シュルレアリスム最後の巨匠
長尾氏は、1980年東京・築地に生まれ、小学校からは柴又で育った。父と母、祖母、兄の5人家族だった。子供の頃は、友達とファミコンをしたり、読書や絵を描いていた。中学校の美術の教科書で、ジョルジョ・デ・キリコ(1888-1978)の不思議な絵と遭遇し、図書館に調べに行った。兄の影響で早くからギターとベースを始めて、高校時代になるとロックバンドで演奏し、「バクチク」や「Manic Street Preachers」を聴き、美術部では50号サイズに、夕方の教室にいる友人たちの中に一人のピエロを油彩画で描いた。
美術史を学ぶため、1999年早稲田大学の第一文学部に入学する。大学院へ進学し、2011年には同大学院文学研究科芸術学(美術史)専攻博士課程修了。卒業論文はデ・キリコでもよかったが、イヴ・タンギー(1900-55)に決めたという長尾氏。「シュルレアリスムの研究をしたかった。デ・キリコは完全なシュルレアリスムではない。純粋なシュルレアリストであって、先行研究が少ないタンギーについて書いた」。修士論文も博士論文もタンギーである。現在、早稲田大学、大東文化大学、明星大学で西洋美術史の非常勤講師を務めている。
マッタとは、シュルレアリスムを調べていく中で出会ったという。「タンギーについて書いていくと、マッタが尊敬する画家としてタンギーとの関係が見えてくる。ニューヨーク近代美術館とヒューストンにあるメニル・コレクションでマッタ作品を数点見たが、シカゴにある《大地はひとりの人間である》はまだ実見していない。マッタは、シュルレアリスムの最後の巨匠である。戦前のシュルレアリスムの代表的な画家としては最後の人。美術史的にも重要な画家」と長尾氏は述べた。
「心理的形態学」
本名をロベルト・セバスチャン・アントニオ・マッタ・エチャウレンというマッタ。1911年南米チリの首都サンティアゴに生まれた。スペイン北西部バスク地方出身の名家で、チリではフランス系の学校に通っていた。1929年サンティアゴ・カトリック大学で建築を学び、キュビスム系統の画家アンドレ・ロート(1885-1962)の弟子であった画家エルナン・ガズムリ(1905–79)の影響を受ける。
大学を終えたマッタは、1933年フランスに移住する。パリで著名な建築家ル・コルビュジエ(1887-1965)のスタジオで働く。翌年からヨーロッパ各地を旅し、スペインでは詩人フェデリコ・ガルシア・ロルカ(1898-1936)と、スカンジナビアでは建築家アルヴァ・アアルト(1898-1976)、ロンドンでは画家ルネ・マグリット(1898-1967)やラースロー・モホイ=ナジ(1895-1946)らと出会った。
1936年に詩人のロルカが、フランシスコ・フランコ将軍の工作員によって暗殺されると、マッタは、亡き友であり英雄への追悼として映画の脚本『大地はひとりの人間である』の執筆に取りかかった。この戯曲の終末論的なイメージ、目まぐるしく変化する視点、そして感情に満ちた台詞(セリフ)は、マッタの視覚芸術の主要な源泉となり、マッタが「インスケープス(心象風景)」あるいは「心理的形態学★1 」と呼んだ初期の作品群を形成し、絵画《大地はひとりの人間である》とも結び付く。
★1──アンドレ・ブルトンの求めに応じて、1938 年秋にマッタが書いた「心理的形態学(Morphologie psychologique)」と題された難解なテキスト。「全ての形態は、運動状態にある内的エネルギーが環境によって創り出された障害に適応する結果生じるグラフィックである。(中略)。私が心理的形態学と呼ぶものは、物体における諸エネルギーの吸収と放出から生じる変化のグラフィックである。そこには心理的測地環境における対象の最初の外観から最終形態までの変化が含まれる」。
時間は空間化され四次元となる
マッタは1937年、パリ万国博覧会のスペイン館の建築家として雇われた。この時《ゲルニカ》を制作中だった画家パブロ・ピカソ(1881-1973)と出会い、絵画に関心を持った。また、マッタは雑誌『カイエ・ダール』の特集記事で、美術家マルセル・デュシャン(1887-1968)が絵画に変化や時間を導入していることを知り、その後デュシャンと会った。デュシャンはマッタを“同世代で最も深遠な芸術家”とコメントした。
詩人ロルカから政治意識を揺り動かされたマッタは、ロルカの親友サルバドール・ダリ(1904-89)を紹介され、ダリはマッタに、シュルレアリストのリーダーで詩人のアンドレ・ブルトン(1896-1966)にデッサンを見せるよう勧めた。ブルトンはマッタに、シュルレアリスムグループへの参加を同意し、「シュルレアリストにとって最も有望な新人の一人。彼の作品には、意図的なものは何ひとつなく、色彩を通して予知する能力を深めたいという願望から生まれている。そして彼はその能力において並外れた才能を持っている」(Web『Roberto Matta ONLINE CATALOGUE RAISONNE』)とマッタを評した。
長尾氏は「マッタは、1938年のテキスト『心理的形態学』において自らが描くイメージを心的エネルギーの運動、変化のグラフィックとして規定している。マッタの世界は、エネルギー論的な世界で、エネルギーとエネルギーがぶつかり合って、その中から瞬間偶然に形ができあがる。運動や変化は時間において可能となるが、マッタは時間を、空間的比喩において捉えており、つまりマッタのイメージにおいて時間は空間化される。これがマッタにおける四次元であり、1938 年から1944年にかけて描かれた一連の油彩作品のひとつの特徴はこの四次元的空間表現にある」と述べた。
目を閉じたまま見る
1939年の夏、友人のシュルレアリスムの画家ゴードン・オンスロー=フォード(1912-2003)が借りていたフランス・アン県のシュミリュー城に滞在し、そこにブルトンやタンギーらと合流した。マッタは、オンスロー=フォードから画材を借りて、28歳で初めてキャンバスに絵を描いた。シュルレアリスムにおける自動記述に触発されて、目を閉じたまま見るという新しい技法で、キャンバスに“布”で絵具を広げ、その上に筆を使って線を引いた。
第二次世界大戦が始まり、マッタは1939年11月戦争から逃れるため、デュシャンやタンギーと共にニューヨークへ亡命。ジュリアン・レヴィ画廊に所属した。英語が堪能だったマッタは、科学論文にも魅了され、相対性理論や第四次元理論の発見にも刺激を受け、透明な宇宙空間を暗示させる独特のパースペクティブを描いた。アトリエにジャクソン・ポロック(1912-56)やアーシル・ゴーキー(1904-48)、ロバート・マザーウェル(1915-91)といった多くの若いアメリカ人画家たちを迎え入れた。目に見えるものではなく、感じたものを描くべきだと語り、キャンバスを、床に置いて描くことを提案し、のちのアクション・ペインティングを導いた。
1941年、夏には友人のロバート・マザーウェルとメキシコを訪れた。マッタは火山の噴火を目撃し、大地の畏るべき力を目の当たりにした。1941年から1943年にかけて制作された一連のカオスコスモミック作品の着想源となり、1942年大作《大地はひとりの人間である》を制作した。
意識の表象
アーシル・ゴーキーを自殺に追い込んだのは妻との不倫だとして告発されたマッタは、1947年ニューヨークを離れざるを得なくなった。パリに戻ったマッタは、同じ理由で1948年10月にシュルレアリスムグループから追放される。
1952年サンパウロ・ビエンナーレに出品し、同年ピッツバーグ国際現代絵画展では賞を受賞。1954年マッタは、デンマークの芸術家アスガー・ヨルン(1914-73)が、イタリアのジュゼッペ・マッツォッティ工房で開催した陶芸の集まりに参加する。1957年ニューヨーク近代美術館で個展「マッタ」が開催され、同年イタリア南部の火山群島エオリア諸島にあるパナレア島に家を購入。1973年9月11日チリで、アウグスト・ピノチェト将軍によるクーデターが勃発すると、マッタは祖国チリとのあらゆるつながりを断ち切った。1974年「民主的で反ファシズム的な文化のために」をテーマにヴェネチア・ビエンナーレに参加。チリ国籍を剥奪されたマッタは、次第に政治活動から身を引いていく。
1985年、パリのポンピドゥー・センターで大規模な回顧展が開催された。同年日本ではフジテレビギャラリーで初個展。翌年、東京・原美術館で個展開催。1989年ヴェネチア・ビエンナーレに映像作品《Videoptimium─反響するイメージ》を発表。1990年チリ政府より国家芸術賞を授与される。1994年横浜美術館で個展開催。1995年高松宮殿下記念世界文化賞・絵画部門受賞。
2001年には「マッタ・イン・アメリカ:1940年代の絵画と素描」展が、ロサンゼルス現代美術館、ペレス美術館マイアミ(旧マイアミ美術館)、シカゴ現代美術館を巡回した。2002年11月23日、イタリアのチヴィタヴェッキアで死去。享年91歳。当時のチリ大統領リカルド・ラゴス・エスコバルは、3日間の国家服喪を宣言した。神秘主義に触発され、テクノロジー時代のための超自然的な意識の表象を創造した。
大地はひとりの人間であるの見方
①タイトル
大地はひとりの人間である(だいちはひとりのにんげんである)。英題:The Earth Is a Man
②モチーフ
なし。
③制作年
1942年。マッタ31歳。
④画材
キャンバス・油彩。
⑤サイズ
縦182.9×横243.8cm。
⑥構図
画面の下部三分の一に地平線のような線が引かれ、ほぼ中央の上部から垂れ下がる物体を中心に、左と右に区別され、場面が三つに分かれている。左側には太陽のようなシンボルが描かれ、動きのある無限的な空間が広がり、中央には天地を支えるような垂直の物体があり、右側には深海の微生物を拡大したような正体不明のイメージを表わして、全体の調和を保っている。
⑦色彩
青緑、緑、黄緑、黄、青、赤紫、黄茶、ピンク、グレー、赤、黒、白など多色。
⑧技法
筆や手、指などを使い、理性や意識的なコントロールを排除したオートマティスムでランダムに描き始め、その後、直感によって全体のバランスを見ながら加筆して完成させる。「目を閉じたまま見る」というシュルレアリスムの原則を基に、いくつもの線を描き、その上に薄めた絵具で繰り返し塗り込む。相互浸透した色彩によって部分的に覆い隠したり、光に満ちた空間を浮かび上がらせたり、あるいはそれらを闇に沈めたりする。
⑨サイン
なし。
⑩鑑賞のポイント
大地は、太陽のように光輝き、色彩に彩られた形態の下からは胎動する生命体のようなものが姿を現わす。そこは隆起や凝固した塊に満ちていて、奥には新たな生物、新たな生命がひっそりと身を潜めている。マッタにとって光は、内なる火であった。「苦痛をもたらす感情だけが眼に見える。わたしは自分を燃やすものを描いていたのであり、わたしの肉体を最もよく表すイメージは火山であった」(『シュルレアリスムの軌跡』p.181)。力強く謎めいた作品は、非形象的なヴィジョンで、まばゆい光の力が闇の力と戦っているように見える。マッタは、絵具を垂らしたり、ブラシで塗ったり、布で拭き取ったりして、溶岩のように原始的な大地を形作り、目に見えないエネルギーの波を表現した。夢で見た現実を描写するのではなく、アニミスム的で霊的な状態の創造である。この強烈な天地の生命力の噴火は、マッタが1941年にメキシコで目撃した激しい火山の噴火を想起させる。第二次世界大戦の勃発時にマッタは、パリからニューヨークへ移住し、壁画サイズの本作品を制作。その抽象的で幻想的な性質から、アメリカの抽象表現主義者たちへ多大な影響を与えた。オートマティスムに導かれて、宇宙的エネルギーの光景を描き上げたマッタの代表作である。
人間の内と外のミクロコスモスとマクロコスモス
《大地はひとりの人間である》が制作された背景に、長尾氏はシュルレアリスムのリーダーであったアンドレ・ブルトンとマッタが構想していた「透明巨人」の神話があるという。「1942年にブルトンが書いた『シュルレアリスム第三宣言か否かへの序文』の中に『透明巨人』という言葉があり、その『透明巨人』と、この《大地はひとりの人間である》はイメージが通じるところがある。人間には認識できない、透明な巨大生物の神話を作ってみたらどうか、と二人で会話をしていた。そして当時、シュルレアリスム・グループの中で、ダリの影響をいかに排除していくかという方向性があった。実際、ダリの絵と《大地はひとりの人間である》はまったく違う。ダリは、ヒトラーに傾倒したことで、1934年頃からグループを除名されそうだった。ダリの絵はインパクトがあり、グループの多くの画家が真似をした。ブルトンがダリの影響をなくそうと考えていた時、マッタがグループに参加し、ダリとは異なる方向性のシュルレアリスム絵画が生まれた。ブルトンはマッタを歓迎した。ブルトンによれば、その時決定的な影響を与えたのはタンギーであり、ダリの影響は速やかに衰退していった」。
《大地はひとりの人間である》の見方について、長尾氏は「絵を見る時は、誰でもまず何が描いてあるのかを考えると思うが、マッタの場合は、何か描いてあるか、それが何かわからない。花にも見えるし、原生生物のアメーバにも見える。何かが描いてあるという点では具象的であるが、様式(スタイル)で見たら抽象的。しかし抽象絵画のように遠近法をなくすようなことはしていない。変わった絵でタンギーの影響が強く、マッタはタンギーとデュシャンを非常に尊敬していた。タンギーの絵画は、くっきり、はっきりものを描いているけれど、それが何なのかわからない名付けようのない絵画。タンギーの絵の発展形として《大地はひとりの人間である》はある。だから、何かがあるけれども、それがどうしようも名付けようのないものとして広がっている。その浮遊した宙吊りの感覚みたいなものを感じてみる。一見、宇宙みたいに見えるが、人間の心の内面でもある。ミクロコスモスとマクロコスモスを同時に提示している。空間表現があって、無限の奥行きを感じる。それは自分の内側にも外側にも広がっていく感覚。人間の内なる世界と、外の世界を結びつけた混沌としたカオスな感じだが、よく見るとバランスよくまとめている。マッタは絵が非常に上手い」と語った。
長尾 天(ながお・たかし)
早稲田大学・大東文化大学・明星大学非常勤講師。1980年東京都生まれ。2003年早稲田大学第一文学部史学科美術史専修卒業。2005年同大学院文学研究科芸術学(美術史)専攻修士課程修了、2011年博士課程修了。博士(文学)。専門:シュルレアリスムを中心とする20世紀美術史。所属学会:美学会。主な著書:『イヴ・タンギー ──アーチの増殖』(水声社、2014)、『ジョルジョ・デ・キリコ──神の死、形而上絵画、シュルレアリスム』(水声社、2021)、『もっと知りたいデ・キリコ──生涯と作品』(東京美術、2024)など。
マッタ(MATTA)
チリの画家。1911~2002年。本名ロベルト・セバスチャン・アントニオ・マッタ・エチャウレン。南米チリの首都サンティアゴの名士の家庭に生まれる。スペイン語、フランス語、英語などを話す。1929年サンティアゴ・カトリック大学で建築を学ぶ。1933年パリへ渡り、ル・コルビュジエの事務所で製図担当として働く。1936年ヨーロッパ各地を旅し、スペインの詩人フェデリコ・ガルシア・ロルカと出会い影響を受ける。1937年ダリの勧めでアンドレ・ブルトンと出会い、シュルレアリスムグループに参加。1938年アン・クラークと結婚し、5年後に双子の息子ゴードン・マッタ=クラークとジョン・セバスチャン・マッタを授かる。1939年戦争から逃れるため、ニューヨークへ亡命。1941年ピエール・マティス画廊とシカゴ美術館で作品を展示。1947年パリのルネ・ドルーアン画廊で初の個展開催。1948年シュルレアリスム・グループから追放される。1950年アンヘラ・ファランダと結婚し、息子パブロ・エチャウレン誕生。1952年サンパウロ・ビエンナーレに出品。1954年ローマへ移り、ファッション業界のアメリカ人マリット・ポープと結婚、娘フェデリカと息子ラムンチョをもうける。1956年ユネスコのための壁画《三つの世界の疑念》を描く。1957年ニューヨーク近代美術館で初回顧展。1969年最後の妻となるジェルマーナ・フェラーリとの間に娘アリゼが誕生。翌年エジプト、キューバ、ザンビア、タンザニア、ペルー、チリを訪れる。1973年チリでアウグスト・ピノチェト将軍によるクーデターが勃発し、祖国とのつながりを断つ。1974年ヴェネチア・ビエンナーレに参加。チリ国籍を剥奪される。1979年フランス国籍を取得。1985年パリのポンピドゥー・センターで回顧展開催。1996年チリのサンティアゴにある地下鉄キンタ・ノルマル駅に巨大な陶器製の壁画を制作する。2002年ローマのチヴィタヴェッキアにて死去。享年91歳。代表作:《大地はひとりの人間である》《夜の侵入》《Years of Fear》《Black Virtue》《エレクトラのオニキス》など。
デジタル画像のメタデータ
タイトル:大地はひとりの人間である。作者:影山幸一。主題:世界の絵画。内容記述:マッタ《大地はひとりの人間である》(1942年、キャンバス・油彩、縦182.9×横243.8cm、シカゴ美術館蔵。公開者:(株)DNPアートコミュニケーションズ。寄与者:シカゴ美術館、SCALA、(株)DNPアートコミュニケーションズ。日付:─。資源タイプ:イメージ。フォーマット:Jpeg形式27.0MB、300dpi、8bit、RGB。資源識別子:scala_A539132(Jpeg形式28.4MB、300dpi、8bit、RGB、カラーガイド・グレースケールあり)。情報源:(株)DNPアートコミュニケーションズ。言語:日本語。体系時間的・空間的範囲:─。権利関係:シカゴ美術館、SCALA、日本美術著作権協会、(株)DNPアートコミュニケーションズ。
画像製作レポート
《大地はひとりの人間である》の画像は、DNPアートコミュニケーションズ(DNPAC)へメールで依頼した。同時にマッタの著作権を日本美術著作権協会(JASPAR)へ確認し、著作権利用の許可をメールで申請し、許諾を得て著作権料8,000円を支払った。後日、DNPACのメールにより作品画像をダウンロードして入手(Jpeg、28.4MB、300dpi、8bit、RGB、カラーガイド・グレースケールあり)。作品画像のトリミングなし、掲載は1年間。
Eye-One Display2(X-Rite)によって、iMac 21インチモニターを調整する。シカゴ美術館のWebサイト画像を参考に、作品の色味を調整してから、作品の枠に沿って切り抜いた(Jpeg形式27.0MB、300dpi、8bit、RGB)。シカゴ美術館のホームページでは作家名が「Roberto Matta」とあるのだが、JASPARの著作権使用許諾書には「権利者の意向により作家名はMATTAとのみ表示下さい」とあり、それに従った。
セキュリティを考慮して、高解像度画像高速表示データ「ZOOFLA for HTML5」を用い、拡大表示を可能としている。
参考文献
・図録『ロベルト・マッタ展 : みずからの大海』(フジテレビギャラリー、1993)
・図録『アンドレ・マッソン & ロベルト・マッタ:それぞれの宇宙』(横浜美術館、1994)
・図録『マッタ展』(フジテレビジョン、1997)
・長尾 天『イヴ・タンギー──アーチの増殖』(水声社、2014.12.10)
・井口壽乃・田中正之・村上博哉『西洋美術の歴史8 20世紀──越境する現代美術』(中央公論新社、2017.5.31)
・ハル・フォスター、ロザリンド・E・クラウス、イヴ-アラン・ボワ、ベンジャミン・H・D・ブークロー、デイヴィッド・ジョーズリット『ART SINCE 1900 図鑑1900年以後の芸術』(東京書籍、2019.5.20)
・サンドリーヌ・アンドルゥーズ著、長谷川晶子監修/翻訳、木水千里・松岡佳代翻訳『シュルレアリスムの軌跡──革命を夢見た芸術家たち』(グラフィック社、2026.1.25)
・Webサイト:長尾 天「ロベルト・マッタとP. D. ウスペンスキー── 四次元における時間の空間化をめぐって」(『WASEDA RILAS JOURNAL』NO.4,2016.10,pp.109-121)2026.5.5閲覧(https://www.waseda.jp/flas/rilas/assets/uploads/2016/10/Rilas04_109-121_Takashi-NAGAO.pdf)
・Webサイト:「exhibitions:Matta in America: Paintings and Drawings of the 1940s」(『LatinArt.com』)2026.5.5閲覧(https://www.latinart.com/exview.cfm?start=2&id=74)
・Webサイト:Galerie Diane de Polignac/Mathilde Gubanski「Roberto Matta」(『Roberto Matta ONLINE CATALOGUE RAISONNE』 Roberto Matta Resource Center,2025)2026.5.5閲覧(https://www.robertomatta.fr/en/roberto-matta)
・Webサイト:「Roberto Matta」(『The Art Institute of Chicago』)2026.5.5閲覧(https://www.artic.edu/artists/40694/roberto-matta)
・Webサイト:「The Earth Is a Man」(『The Art Institute of Chicago』)2026.5.5閲覧(https://www.artic.edu/artworks/117188/the-earth-is-a-man)
2026年5月