会期:2026/06/26〜2026/06/28
会場:新宿2丁目・こった創作空間[東京都]
脚本・演出・音楽:外崎銀河
公式サイト:https://www.instagram.com/p/DXHBNnJkotF/

「クィア当事者の視点から、クィア演劇を創作する」。そんな言葉を掲げ、劇団「薔薇族」がミュージカル『薔薇族’70』でその活動をスタートした。作品タイトルのみならず劇団名にもなっている「薔薇族」とは、かつて存在した1971年に創刊され2004年まで定期刊行されていたゲイ雑誌の名前だ。そこから転じてゲイを意味するものとしても使われるようになったこの言葉を作品タイトルのみならず劇団名として掲げたのは、かつて英語圏において侮蔑語として使われていたクィアという言葉が当事者によって自らの存在を肯定する言葉として使われるようになっていったのと同じように、「薔薇族」という言葉もそうなっていってほしいという願いからなのだという。背景にはもちろん、日本の演劇界には未だに、クィア当事者であることをオープンにして活動しているつくり手が数えるほどしかいない現状と、それに対する問題意識がある。演劇界にも当たり前に存在しているはずのクィア当事者を可視化し、未だに誤解や偏見も多いクィア表象を、まずは当事者の手に取り戻すこと。

劇団「薔薇族」を立ち上げ、『薔薇族’70』の脚本・演出・音楽をひとりで手がけたシンガーソングライターの外崎銀河はしかし、2000年生まれの若き作り手であり、『薔薇族』の世代ではない。それどころか外崎は、2025年11月末に『94歳のゲイ』という映画を見て初めて雑誌『薔薇族』のことを知ったのだという。雑誌『薔薇族』の存在にインスパイアされた外崎はそれからわずか7カ月後に『薔薇族’70』を上演することになる。2026年6月のプライドマンスに、ゲイタウンとして知られる新宿二丁目のスペースで上演されたこの作品のタイトルと劇団名には、未だに婚姻の平等も包括的差別禁止法も実現していない日本を生きてきた先人たちへのリスペクトと、その営みを継承し前に進めようという決意が込められている。

[撮影:高橋明大]

ミュージカル『薔薇族’70』は、かつてマッチングアプリもインターネットもない時代に同性愛者や両性愛者らの交流において大きな役割を果たしていた『薔薇族』の文通欄とそこから生まれる交流を軸に物語を展開していく。時は1971年。主な登場人物は6人。成長するにつれて失われていく自らの美しさを嘆き、虚空に言葉を吐き出すように文通欄に投稿する「美少年」(遠藤光基)。書店でたまたま『薔薇族』を目にしたことをきっかけに、自らの男性に対する気持ちを改めて思い出すことになる「夫」(水越とものり)。自らが男性同性愛者であることを受け入れ、生きたいように生きると嘯く「同性愛者」(樋口祥久)。まだ見ぬ出会いを求めて投稿を繰り返す「役者」(丸山真矢)。その役者と文通欄を介して出会い、関係を深めていく「独身男性」(谷怜由)。そして「夫」が男と文通を重ねている事実に気づくことになる「妻」(新田絢加)。加えて物語を枠づけ過去を現代とつなぐ「ストーリーテラー」を外崎自身が演じていた。

[撮影:高橋明大]

「夫」のように自身が同性愛者であることから目を逸らしながら、あるいはそれを隠しながら結婚をし、家庭を築き、子供まで設けるような生き方は、現在の視点から見れば大いに問題があるように思える。だが、その背景には男性の生涯未婚率が1〜2%ほどに留まっていた当時の状況がある。皆婚社会と名指された当時においては、結婚をしないという選択肢はそもそもほとんど考慮の埒外にあったのだ。その意味では、我が道を行くことを堂々と宣言する「同性愛者」は例外的な存在であり、「夫」と対になるような存在だと言えるだろう。二人は文通を通じて交流を深めるが、それに気づいた「妻」の介入でその出会いは実現せず、二人の道は再びすれ違う。そして「夫」と「妻」は何事もなかったかのようにこれまでの生活を続けていくことを誓い合うだろう。

だが、より若い世代には現在にも通じる希望が託されている。実は「夫」と「妻」の息子でもあった(!)「独身男性」は両親の間に起きたことを知り、母をこれ以上悲しませたくないと「役者」に別れを切り出す。しかし死ぬのでなければ結婚するしかないと思い詰める「独身男性」の辿る道は両親の辿ったそれと重なるものだろう。二人は一度は別れを受け入れるものの、やがて固く手をつなぎ舞台を去っていく。

[撮影:高橋明大]

一方、そんな二人に現実を突きつけようとするかのように「美少年」は独白する。「やっぱり全て、うまくいかないと思うんです。僕たちは世の中に否定されてるわけだし、誰にも応援されない。一生孤独で、一生寂しいまま、死ぬんです。(中略)このまま生きていたって、歳をとって醜くなるだけ。それだったら今…」。しかしそんな「美少年」のもとに思わぬ手紙が届く。それはなんと「妻」からの手紙だ。「夫」が男と浮気をしていたことが許せないと語る妻は同時に、夫を愛しているからこそ、夫がそのような生き方を選ばざるを得ないこの社会のことが許せないのだと言う。「妻」は語りかける。苦しんでいるのはあなただけではない。そしてまだ若いあなたは、変わっていく世の中を楽しむことが、社会を変えていくことができるはずだと。「妻」の言葉には、外崎が『薔薇族』や上の世代から受け取ったものや、そこから芽吹いた決意が込められてもいるだろう。

[撮影:高橋明大]

[撮影:高橋明大]

ミュージカルという形式は文通欄への投稿と手紙のやりとりを軸にしたこの作品によくマッチしていた。誰にともなく差し出される言葉と交差する複数の手紙のやりとり。それらを通じて登場人物の感情がときに交わり、すれ違い、あるいは寄り添い響き合う様が音楽の構造と力を借りて立体的に立ち上がっていたのだ。

一方、作品全体としては課題も多かったように思う。物語の面ではやはり「妻」の描き方には問題があると言わざるを得ない。夫と息子の両方が同性愛者だったというご都合主義な(?)展開には目をつぶるにしても、次世代の同性愛者に希望を託す役割を担わされた「妻」の生が、同性愛者との関わりにおいてしか描かれていなかった点はいただけない。「妻」の生もまたひとりの個人としての奥行きのあるものであるはずだが(同性愛者のそれと同じように!)、残念ながらそのことが十分に描かれているとはいえない。これでは同性愛者にとって(そして作品にとって)都合のいい存在として「妻」を利用したと言われても仕方ないだろう。

また、商業ミュージカルでも活躍する俳優らはさすがの歌唱力で魅せたものの、4メートル四方の舞台で最大6人もの俳優が出入りしながら、しかも複数の時空間を行き来する構成は、上演としてはあまりにごちゃごちゃして見えた。劇団の旗揚げを新宿二丁目で、という思いは理解できるものの、あの空間であれば今回はリーディング公演のような設えでもよかったのではないだろうか。基本的にはこれらは演出の問題であり、音楽畑出身の外崎にとっては最大の課題と言えるかもしれない。

とはいえ、劇団「薔薇族」が志ある、そして残念ながら2026年の日本においては稀有な存在であることは間違いない。その旗揚げを改めて祝福したい。劇団「薔薇族」としては9月25日(金)に南青山MANDALAで行なわれる外崎銀河のワンマンライブ内で一人(?)ミュージカル『ゲAI』を上演予定とのこと。

[撮影:高橋明大]

観賞日:2026/06/26(金)