会期:2026/08/01〜2026/09/27
会場:水野美術館[長野県]
公式サイト:https://mizuno-museum.jp/exhibition/2026-08-exhibiton/

(前編より)


展示されていたのは、連作のうち《神奈川 横浜遠景》と《鞠子 名物とろゝ汁》である。注目したいのは後者である。

《鞠子 名物とろゝ汁》(以下、「鞠子」)に描かれた鞠子(丸子)は東海道のなかではもっとも小さい宿場であり、現在の静岡市に位置する。名物であるとろろ汁の看板や茶屋の様子は、「東海道五拾三次之内」(1834)をはじめ歌川広重のさまざまな東海道五十三次に描かれてきた。従来の東海道ものでは、江戸から京都へと向かう方向に連作が組まれているが、東幸を描いた本作では京都から東京へ向かう方向で組まれている。また、宿場のすべてではなく7カ所しか描かれていないことは、それまでの東海道五十三次とはねらいが異なるのだと考えられる。あるいは、やむなく断念したのかはわからない。

「鞠子」は紙を縦使いしており、画面の中央下部3分の1ほどに消失点が据えられた一点透視の構図となっている。画面中央やや上に錦の御旗が掲げられ、それを先頭で担ぐ洋装の兵士、後ろに三列で複数人の兵士が続いている。行進の左右にはとろろ汁の看板がかかった茶屋が並び、その手前には膝をついて平伏しながらも、顔を上げて行進を眺める男女の姿がある。飾りのついた御旗の背景はぽかんとひらけた空で、画面下半分の描き込みとは対照的だ。そして、右上にタイトルとして「東海道名所圖繪」「鞠子 名物とろゝ汁」と縦書きされている★4。

ところで、消失点は前述したように画面下方に位置する。つまり、消失点は錦の御旗ではなく、それを担ぐ兵士の顔付近にある。右肩に御旗を担いでいることから、消失点そのものは肩口のあたりにあり、担ぐ兵士の顔と、その後ろを歩く兵士の顔が消失点を挟むように並んでいる。どの兵士の顔も俯き加減で、町人の顔と同じく簡素な線で描かれている。芳年が多くの作品で描いてきた、歴史に名の残る勇壮な武士、強い意志から行動に出た者の表情とはまったく異なっている。本作と、一般的に想像される芳年の作品イメージには落差がある。

芳年の絵の特徴は、無惨絵に代表される“ショッキングな表現”だけではない。躍動する身体を一時停止したかのようなダイナミックな構図設定と描写力もその特徴だ。歌舞伎における「見得」はパフォーマンスにおいて動きを止めてみせるものだが、芳年は静止した画面に、存在しない前後の時間と運動を思わせる。例えば後年の《芳年武者无類 源牛若丸 熊坂長範》(1883)に見られるように、はためく着物や頭巾、踏みしめる脚や薙刀の柄といったモチーフは、周囲の余白をこの直前/直後に運動して通過していく空間として見せている。また、タイトルや人物名のキャプションといった画面としてのメタ情報も含めて画面が構成されていることは言うまでもない。

このような運動の痕跡と予感で埋め尽くした描き方は、一見静かな画題である晩年の連作「月百姿」(1885-92)でも健在だ。どの画面も激しい運動を描いたものではないが、遠景の月と照らされる近景の関係、また人物の視線や姿勢が持つ動きが余白を埋めている。

本展のポスターにも用いられている《魁題百撰相 駒木根八兵衛》(1868)では、画面を眺める鑑賞者に向かって銃口が向けられている。メタ情報のグラフィック配置も含め、芳年の画面設計は画面内の移動のみならず、画面へ向かう視線にまで向けられている。可視・不可視にかかわらず、芳年の作品に対峙する鑑賞者はこうしたさまざまな運動を辿っている。

しかし、「鞠子」の画面内は運動に満ちているようには見えない。行進に向けられる町民の目線と、行進する兵士の伏し目がちな目線は交わらない。それでも動きとしては画面の手前に向かって彼らは進んでくる。その運動により、錦の御旗はゆっくりと揺れながら前進したことだろう。しかし、画面内唯一の行進という運動は、その手足の運動をもっとも感じさせない正面から構図が取られている。これはやはり、変わりゆく時代、なにかの終焉を象徴する場面であり、ほかの勇壮な作品とは異なる質のものなのだろうか。

(後編へ)※2026年10月7日公開予定


★4──ジャパンサーチでは単色のものが掲載されているが、本展では多色刷りの錦絵(版元:大橋屋弥七)が展示されていた。特に兵士の洋装は、ほかの連作に比べると落ち着いた淡い色合いであった。筆者は軽度の色弱のため、写真が手元にない状態で色彩描写を行なうことは難しい。色彩が重要な要素であることは理解しつつも、本稿では記述できない点をご容赦いただきたい。


鑑賞日:2026/09/12(土)