会期:2026/08/07〜2026/08/23
東京芸術劇場 シアターイースト[東京都]
作・演出:岡田利規
公式サイト:https://www.geigeki.jp/performance/theater412/
誰が舞台に立ち、誰が客席に座るのか。誰が誰を表象し、誰がそれを観るのか。『映画を撮りたいゾンビの演劇』(作・演出:岡田利規)はそんな問いを改めて劇場へと持ち込み、そして観客に持ち帰らせるような作品だった。同作は岡田の東京芸術劇場舞台芸術部門芸術監督に就任第1作として上演されたもの。もともとはドイツのハノーファー州立劇場のレパートリーとして書かれ、5月に初演を迎えた岡田の現時点での最新作『Sliding Away』を、日本版の出演者・スタッフとともに新たに創り上げたものでもある。
タイトルが示す通り、舞台は映画を撮ろうとしているゾンビたちの撮影現場で展開する。登場するのは映画監督ゾンビのぽいぽい(東宮綾音)、俳優ゾンビのいいね(百瀬葉)、第5助監督ゾンビのまーしー(島田桃依)、第6助監督ゾンビのがーしー(石川朝日)、ゾンビ音楽家のげりま(福原冠)。しかし劇中で実際に映画の撮影が行なわれることはない。ゾンビたちは現場に集まったはいいものの、主要な俳優もスタッフもやってこないため撮影をはじめられない状況にあるのだ。かくして、時間を持て余したゾンビたちはゾンビが映画を撮ることに関する持論を交わしはじめる。
冒頭からいいねは、ゾンビが人間を演じるための人間メイクをするのには3時間45分もかかる一方、「人間がゾンビになるときのメイクはもっとずっと短時間でテキトーに済ませたってオッケーってされてるんだから」その非対称性には許しがたいものがあるとぶち上げる。あるいはぽいぽいは「どうしてわれわれゾンビがわれわれゾンビのこと考えるのに人間のつくったゾンビ映画参照しなきゃいけないのか」と言い、「人間のゾンビ表象からわれわれ自由になれる日がいつしかくるようにと願って」「ゾンビの視点で描くゾンビ映画」をつくろうとしているのだと宣言する。
非対称性というキーワードからも明らかなように、ここではゾンビの存在が現実世界におけるさまざまなマイノリティと重ね合わせられている。劇中に登場するゾンビという言葉の大半は、そのまま例えばクィアという言葉に置き換えても──「クィアの視点で描くクィア映画」というようなかたちで──成立するだろう。言及される問題は多岐にわたる。例えばゾンビが登場する映画はすべてがゾンビ映画という括りに入れられてしまうということ。ゾンビは本当は人間と同じように歩くのであって「人間のゾンビ表象」は間違っているということ。残念ながらそんな「人間のゾンビ表象」によってゾンビが「教育」されてしまっている側面もあるということ。しかし「問題は人間の映画監督のゾンビ描写が貧しいってこと」ではなく「ゾンビの映画監督が圧倒的に少なすぎるっていうのが問題のほんとの所在」であるのだということ等々。
そして話題は観客のことにも及ぶ。ゾンビの観客はどれくらいいるのかと。しかもこの問いは、劇場にいる観客に向けて発せられるのだ。さらに舞台上のゾンビたちはおもむろにゾンビメイクを拭い去り、自分たちが「映画を撮りたいゾンビ」を演じる人間の俳優でしかないという身も蓋もない事実を観客に改めて突きつける。そうして明らかになるのは、舞台上にも客席にも、このゾンビについての演劇が上演されている劇場内にゾンビはひとりも存在していないという端的な事実だ。
ともすればポリコレ的言説の演説会にもなりかねない(というかそうでなかったとはなかなか言い切れない)この作品が、チャーミングな飽きさせない上演として成立していたのは俳優たちの魅力に負うところが大きいだろう。そのようなかたちで問いを社会へと持ち込めることもまた、演劇の可能性のひとつなのだ。
この『映画を撮りたいゾンビの演劇』という作品は、『消しゴム山』(初演:2019)から『リビングルームのメタモルフォーシス』(初演:2023)へと展開する脱人間中心主義を掲げた岡田の一連の作品のひとつとしても位置づけられるだろう。そのコンセプトは『消しゴム山』では例えば「モノのための演劇」というきわめてラディカルなかたちで実現されていたが、同作では再演を重ねるなかで、アクセシビリティをめぐるさまざまな取り組みも実施されてきたのだった。それは中心とされてきたはずの人間のなかにも周縁化された存在がいるのだという、当然でありながら日本の演劇界においては十分に目が向けられてこなかった事実に改めて目を向ける取り組みでもある。ノン・ネイティブ日本語話者を出演者に迎えた『宇宙船イン・ビトゥイーン号の窓』(初演:2023)もこの系譜に連なる重要な作品だ。
劇場で配布されていた『劇場に置くノート1』に岡田は次のように記していた。「舞台芸術の上演が現状よりももっと、観客の身体やその振る舞いが肯定されている場になる。観客の身体どうしがその存在を肯定し合っているという場になる。そしたらそれはイノベーションだとおもう。どうやったらそれは起こせるだろう」。このような思想は岡田がアーティスティック・ディレクターを務める舞台芸術祭「秋の隕石」のプログラムや体制にも持ち込まれている。2026年の「秋の隕石」は10月9日(金)から11月3日(火)にかけての開催を予定している。
観賞日:2026/08/12(水)
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