
会期:2026/08/22〜
会場:横浜シネマリン、大阪シネ・ヌーヴォほか [全国順次公開中]
企画・配給:アギィ
協力:ポレポレ東中野、ANOMALY
公式サイト:https://aggie-films.jp/fiw/
このたび企画された永田康祐の特集上映は、いつもの展示ではない形式で、多くの情報が詰め込まれた彼の映像作品にじっくりと向き合う機会を提供してくれた。
永田の映像作品の特権的な主題となっているのは「食」である。各国において異なる料理の特色や、相互の影響、植民地支配との関係等……食は多くの問題を孕んでいる。食事と文化を扱う学問的領域であるガストロノミーへの関心も深めつつ、永田はこのテーマにさまざまな事象を関連づけて制作を行なってきた。
永田康祐《Translation Zone》(2019)より
まずは《Purée》(2020)を例に、簡単にそのことを確認しよう。同作は料理を作る手元の映像をメインに、食材を細かくすり潰し、半液体状にされたピュレやムースが、歯で噛みちぎるという食事に付随する野蛮さを純化する意味があったと指摘する。そして「口」という器官が焦点化され、ナイフとフォークが歯の役割を外化するものであることや、中国における箸との比較が行なわれる。そして映像の後半では、「口」が言語を発することについての考察が行なわれる。ここでは2011年のオキュパイ・ウォールストリートのデモ映像が挿入され、警察から制限された拡声器の使用に対して、コミュニケーション手段として肉声による復唱で主張を訴えていたことが言及される。
永田康祐《Purée》(2020)より
私たちは食物を口に入れ、生命活動を維持している。それと同時に口は、社会活動にとっても重要な器官なのだ。同作は群衆として登場するデモの参加者たちを除くと、料理を行ない、それを食する手が中心に映され、個人としての人間は表象されない。にもかかわらず私たちのさまざまな身振りが、いかに歴史的、社会的なものであるのかをナレーションが詳らかにすることによって、人間がどのような相互干渉の結果個として存在しているのかを浮き彫りにする。
永田は《Purée》以降、自ら料理を作り、それをオーディエンスに提供するパフォーマンスに注力していたが、昨年から再び映像制作に精力的に取り組んでいる。韓国における酒造を取材した《Fire in Water》(2025)は、日本の植民地支配がそれまでの酒造りや稲作に与えた不可逆な影響とその後の「近代化」を描いている。最初の場面、永田のナレーションとともに現われるのは、酒が発酵する様子と、ぶくぶくと泡立つ音である。私が同作に関して注意を引いたのは、その音響がほぼ全編にわたって通奏低音のように鳴り続けていたことである。
永田康祐《Fire in Water》(2025)より
作品内では朝鮮在来の米を育てる農家や、酒造業者のインタビューが映し出されるが、その背後で、発酵の泡立ちは鳴り続ける。それは植民地支配下においても作り続けられた「伝統的」な酒造りを象徴していると同時に、止めることのできない発酵の現象的側面を体現している。このことは、同作がいわゆるドキュメンタリー映画の形式を律義に踏襲しているだけに、ギャップとして印象的に機能する。
永田康祐《Fire in Water》(2025)より
こうした視聴覚メディアとしての映像に対する操作が、そのまま作品の主題に直結することによって、《Suddenly This Overview》(2026)は作家の新たな一面を浮上させており、興味深い。同作はオーストラリアのシドニーから西に300kmほど離れたカウラにある日本人墓地を題材にしている。この墓地は231人が死亡した1944年の日本人捕虜脱走事件の現場であり、彼らの遺骨以外にも、オーストラリア各地に埋葬されていた捕虜の遺骨が──民間人や朝鮮や台湾の旧植民地出身者とともに──納められている。
こうした土地の歴史をひも解きつつ、永田が注目するのは戦後中島健によってデザインされた墓地に隣接する日本庭園だ。日本庭園は道を蛇行させながら、起伏や池、岩などを配することによって複数の風景をシュミレーションする自然の縮図だ。ここで作家の興味は、オーストラリアの植生を生かしながら、それが日本の風景として二重化され、「見立て」られていることに向けられる。
(後編へ)※2026年10月14日公開予定
鑑賞日:2026/08/29(土)