会期:2026/08/22〜
会場:横浜シネマリン、大阪シネ・ヌーヴォほか [全国順次公開中]
企画・配給:アギィ
協力:ポレポレ東中野、ANOMALY
公式サイト:https://aggie-films.jp/fiw/

(前編より)

風景に内在する歴史と、それを見る視線。《Suddenly This Overview》を観て私は、永田の過去作《Sierra》(2017)を思い出した。同作はMacのOS名「Sierra」がテーマとなっている。一見するとアメリカのシエラネヴァダ山脈を象ったデスクトップがそのまま表示されているだけの作品であるが、それが不意に映像として動いたり、土地の歴史の映像や西部開拓時代の物語が音声で流れる作品となっている。永田はここでパソコン上に表象される仮想空間を現実空間に接続しながら、過去へと遡行する。

《Sierra》も《Suddenly This Overview》も、どちらも風景から過去を掘り起こしている。しかし《Sierra》がそれをデスクトップという「どこでもない場所」において展開したのとは対照的に、《Suddenly This Overview》は実際に現地に赴いた経験によっている。前者はデスクトップ画面という静止画が動き出すことからも明らかなように、メディウムの自己差異化や解体も厭わない、きわめてポストメディウム的な作品である。対して後者は、作家の手持ちカメラで撮影したであろう映像が中心となっている。

しかしだからといって私は、《Suddenly This Overview》より《Sierra》の方が優れていると言いたいわけではない。確かに作品構成の複雑さは《Sierra》に軍配が上がるだろう。だが《Suddenly This Overview》は、その映像的演出によって作家の身体がフレーム外に浮かび上がっており、その点において興味深い。それはどのように達成されたのだろうか。移動撮影である。これまで永田の映像作品は、カメラが固定されていることがほとんどだった。それはアニメーション作品である《鮭になる》(2024)も同様である。しかし《Suddenly This Overview》では、それまでの禁欲がまるで嘘かのように、車窓からの風景や、墓標を横切る移動ショットが織り込まれている。

永田康祐《鮭になる》(2024)より

そして何よりもこの移動撮影が効果を発揮するのは、終盤に墓地を後にする車中で撮影された帰路である。ここで永田は、渡豪するフライトのなかで観たという映画について突然語り出す。3台の車によるカーチェイスが繰り広げられていたというその作品は、その特徴的なシーンからしてポール・トーマス・アンダーソン『ワン・バトル・アフター・アナザー』(2025)と見て間違いないだろう。永田の言及する場面は同作のクライマックスである。追う者と追われる者それぞれが、過去に引きずられながら現在を生き、未来へとひた走る場面だ。この砂漠は短い間隔でアップダウンが繰り返されており、それに応じて相手の車が見えたり、見えなくなったりを繰り返すことで、サスペンスの緊張感が高められている。

永田康祐《Suddenly This Overview》(2026)より

同じくアップダウンを繰り返す墓地からの帰路に、永田は映画の情景を重ねた。その連想は確かに似ていることもあり不自然ではないのだが、この宙吊りのカーチェイスが引き起こす視覚的ドラマを永田はここで模倣するかのように、車内からの前方ショット、リアビューミラーからのショットを積み重ねていく。その間も作家のナレーションは続き、映画のシーンを可視と不可視のドラマとして読み替えながら、次のように言う。

    3者はだれも/自らの行く先を知らないままに/アクセルを踏み続けている

このナレーションは、私たちが生きる世界についての比喩として読み替えられると同時に、カウラで起きた凄惨な事件や、日本の加害性という過去への反省としても響く。贖いはもう十分なのだろうか。挫かれることで見捨てられてしまったものはないだろうか。「あまりにも多くのものが失われ、あまりに多くのものが未解決のまま放置されていて、私たちは、私たちがもはや何を失っているかわからないでいる」★1と永田は《Fire in Water》の制作ノートで語る。そうした過去と現在の引き裂かれに耐えながら、私たちは否応なしにやってきてしまう未来へと、アクセルを踏み続けている。

移動撮影はカメラマンの──つまりは永田の──身体を浮き彫りにする。なぜならその景色の移り変わりは、撮影者の移動によってなされているからだ。《Suddenly This Overview》における移動ショットは、その他の作品では前景化してこない作家の身体を、ありありと浮かび上がらせている。

永田は饒舌な作家である。とりわけ食を主要なテーマとするようになった2019年以降、それはより顕在化したように思う。このテーマが主観的にも客観的にも言語化可能であり、かつ身近であることが作用しているのかもしれない。さまざまな問題をアクチュアルに社会へと接続するその仕事は、今後も私たちの関心を惹き続けることは間違いない。だがそんな永田の高度な論理性は、作家の姿を却って見えなくさせてしまうこともあるだろう。だからこそ《Suddenly This Overview》においてネガとして露呈した身体には、希少な価値がある★2。


★1──永田康祐「一度挫かれたものへの接ぎ木:Fire in Waterについての制作ノート」(『Fire in Water 永田康祐映像作品集 公式プログラム』、アギィ、2026、p.41)
★2──《Suddenly This Overview》に続いて制作された《風を掘るⅠ》(2026)では中盤まで永田によるナレーションが入っておらず、ここでは演出の水準で作家の身体を透明化されている。また《Suddenly This Overview》は、食をテーマとする以前の作例である《Sierra》と共通するテーマを見出せることもあり、作家のキャリアを一貫したものとして捉えるためにも、今後有用な作例として機能するだろう。


参考資料
・松井茂「『デスクトップ・リアリティ』という公共圏。シリーズ:蓮沼執太+松井茂 キャッチボール(8)」(ウェブ版『美術手帖』、2019.4.21公開)
・「Sierra|永田康祐」(『Whenever Wherever Festival 2021』、2021)

執筆日:2026/08/29(土)