翻訳:菅野優香、羽生有希、井上絵美子
発行:花伝社
発行日:2025/12/25
発行元ウェブサイト:https://www.kadensha.net/book/b10153044.html

個人的な回想から始めることをお許し願いたい。わたしが本書の著者であるジャック・ハルバスタム(1961–)のことを強く意識しはじめたのは、いまだ世界がCOVID-19の感染拡大に警戒を続けていた2021、22年頃のことである。この感染症パニックがもたらした副産物のひとつに、世界各地で行なわれる講演会やセミナーがオンラインで中継・配信されたり、場合によっては公式の記録動画がそのままアップされるようになったことが挙げられる。その恩恵にあずかるべくYouTubeであれこれ講演動画をブラウズしていると、“An Aesthetics of Collapse”(崩壊の美学)と題されたハルバスタムの講義が目にとまった。当時、ハルバスタムは似たようなタイトルの講演をいくつか行なっており、興味をもったわたしはそれらの動画にひととおり目を通した。いまから振り返ると、当時の一連の講演が、つい数カ月前に刊行された『アナーキテクチャー、すべての後で』(Anarchitecture After Everything: A Trans Manifesto, MIT Press, 2026)へとつながる構想を示していたことがわかる。いずれにせよ、わたしがこのクィア理論の第一人者の著書を読み始めたのは、たかだかここ数年のことにすぎない。

しかし不思議なことに、この数年間は、まさにハルバスタムの仕事が日本語圏の読者に本格的に紹介されはじめた時期と重なっている。2024年には『失敗のクィアアート──反乱するアニメーション』(藤本一勇訳、岩波書店)が、2025年には本書『クィアな時間と場所で──トランスジェンダーの身体とサブカルチャーの生』が立て続けに訳出された。そして同年12月には、本書の刊行にあわせてハルバスタムが来日し、同志社大学および東京藝術大学でいくつかの講演会を行なった。ゴードン・マッタ゠クラークの作品を大々的に扱ったこれらの講演会を通して、前述の『アナーキテクチャー、すべての後で』の概要に接したという読者もいるかもしれない。

いささか前置きが長くなった。本書『クィアな時間と場所で』は、今からほぼ20年前に原著が刊行された(2005年)。「訳者解題」でも意を尽くした紹介がなされているように(394–397頁)、本書は2000年代に生じたクィア理論の「時間論的転回」の代表的な一書に数えられるものであり、同分野にもたらした影響の大きさは計りしれない。本書においてハルバスタムは、クィアネスを「奇妙な時間性、想像的な生のスケジュール、そしてエキセントリックな経済的活動の結果」として考える。つまり本書におけるクィアネスとは、性的アイデンティティに還元されない、ひとつの「生き方」として理解されている。そして本書がクィアな生き方と呼ぶものには、「サブカルチャー的実践」や「オルタナティヴな同盟の結び方」など、さまざまな実践や関係性のつくり方が含まれているという(15頁)。この、サブカルチャーに顕著に見られる「クィアな時間性」に注目するという身振りは、前述の『失敗のクィアアート』にも通じる重要なポイントだろう。

それでは「空間」のほうはどうだろうか。やはり本書を敷衍しつつ述べれば、「クィアな空間」とは、クィアな人々が関与する場づくりの実践であり、クィアな対抗的公共圏の生産が可能にする、空間の新たな理解を記述する言葉であるという(24頁)。さきほどの「クィアな時間」と比較するかぎり、ハルバスタムがここで提案する「クィアな空間」は、いまだ抽象的な議論にとどまっていると考えられるかもしれない。だが、本書における「空間」──むしろ本書の表題にならえば「場所(place)」──の考察は実際にはこのうえなく具体的だ。それは(アメリカ合衆国の)都市と田舎、都会的生活と非都会的生活のあいだに生じる分断にしかるべき注意をむけ、「クィアな生活を本質的に都会的なものとして特徴づけることに抗う」ものだからである(41頁)。そのさいハルバスタムがもっとも大きく取り上げるのは、1993年にネブラスカで生じたブランドン・ティーナというトランスジェンダー男性殺害事件と、それに続く「ブランドン産業」である。本書第2章で本格的に論じられる「大都市規範(メトロノーマティヴィティ)」という概念は、クィアな生き方をめぐる都市/田舎という単純な分断に批判的なまなざしを注ぐうえで、今日でもなお有効である。

そして本欄の読者にとっては、おそらく第5章「テクノトピアズ──現代美術においてトランスジェンダー身体を表象すること」(217–274頁)が大きな関心の的となるだろう。この章では、原著のカバーにもなっているJ・A・ニコルズの《ある別の場所で》(2000)を筆頭に、ジェニー・サヴィル、エヴァ・ヘス、デル・ラグレース・ヴォルケーノといった美術作家が分析の対象とされている。なかでも、イラン生まれの作家シリン・ネシャットが取り上げられるくだりでは「乱気流の美学(aesthetics of turbulence)」というアイデアが提唱される(236頁)。著者によればこの「乱気流の美学」は、バイナリーなジェンダーを撹乱するのみならず、空間と時間のなかで身体を再構成することを可能にするような、ひとつの「モード」を導き入れるものであるという。映画や音楽における「クィア・サブカルチャー」の豊富な例示が本書の醍醐味だが、かくして著者ハルバスタムの「クィアリング」は、現代美術の領域にもしかと根を下ろしている。

執筆日:2026/10/09(金)