ピーテル・ブリューゲル(父)《バベルの塔》
1563年、オークの板・油彩、114.4×155.5cm、ウィーン美術史美術館蔵
©Kunsthistorisches Museum Wien c/o DNPartcom
無許可転載・転用を禁止



何の塔なのか

桜の開花が、今年(2024)は全国的に平年より早いらしく、東京は広島と同じ3月21日に開花する見込みで、東京の満開は28日と日本気象協会の開花予想である。東京・品川の目黒川沿いに鎮座する荏原神社の寒緋桜(カンヒザクラ)は、濃いピンク色の花が咲き先月見ごろを終えたが、満開に近づくにつれて2本の御神木に集まる人が徐々に増え、SNSの効果なのか、写真を撮る人たちがご近所さんから欧米、南アジア、中国系と思われる人々も加わり、桜の下が多国籍で平和な景色に変わっていった。

しかし、それでも世界では戦争が止まない。先日の3月12日には半年間、国際宇宙ステーションでさまざまな研究に取り組んできた宇宙飛行士の古川聡さんが無事地球に帰還した。多様な人間が地球に生きるとはどういうことなのだろう。巨大な建物の建設のため多くの人々が働いているピーテル・ブリューゲル(父)の《バベルの塔》(ウィーン美術史美術館蔵)を見てみたいと思った。《バベルの塔》は、何の塔なのか。6階右上端の足場の十字形と孤独なシルエットに目が留まり、その人影がブリューゲルに思えた。現実離れした《バベルの塔》であるが、ブリューゲルは何を描いたのだろうか。明治大学名誉教授で美術史家の森洋子氏(以下、森氏)に、ブリューゲル作《バベルの塔》について、絵の見方をお伺いしたいと思った。

森氏は、ライフワークとしてブリューゲルを研究してこられ、『ブリューゲル全作品』(中央公論社、1988)や『ブリューゲルの世界』(新潮社、2017)など、ブリューゲルに関する著書を多数出版されている。東京・世田谷のご自宅で話を伺った。


森 洋子氏[提供:森 洋子]

「調べて書く」

美術大学に近い静かな住宅街だった。マンション内の書斎には天井までの本棚やスティール棚、可動式の本箱があり、どこもブリューゲル関係の本や古書、文献コピー用ファイルで埋め尽くされ、圧倒された。新潟県上越市高田に生まれた森氏は、兄と弟2人の4人兄妹の紅一点、調べて書くことが好きで、小学校の夏休みの宿題は、ひと夏かけて調べ尽くしたという。四季折々の農村風景や野良作業、道路での農産物の朝市を見ながら高校を卒業するまでを過ごした。夏休みに父の実家へ行くと、至るところに重い穂を垂らした稲田があり、そのそばで遊んだ。森氏のブリューゲルとの出会いは子供時代に準備されていたようだ。

大学の卒業論文のテーマをブリューゲルの《盲人の寓話》(1568)と決めたとき以来、ブリューゲルの作品が頭から離れなくなったが、絵画そのものより多重な意味を研究する図像解釈学に興味を抱いたそうだ。大学を卒業後、初めて師事したのは、「構造分析の方法」による作品解釈で論文を発表したドイツの芸術学の権威ハンス・ゼーデルマイヤ教授で、ミュンヘン大学へ約3年間留学した。帰国後、成城大学の非常勤講師となり、ブリューゲルを卒論に選んだ学生を担当する。ブリューゲル研究に夢中になり、雑誌『みづゑ』のブリューゲル特集に一論を書いたりした。その後、図像解釈学を確立した著名なパノフスキーの高弟ジェームズ・スナイダー教授の薫陶を受けるため渡米。スナイダー教授のもと、ブリンマー大学の大学院で2年間図像学を学び、修士号を取得。のちにベルギー政府から給付留学生として招聘され、ブリューゲル研究の世界的権威ロジェ・H・マレイニッセン博士から特訓を受けた。とくにブリューゲルと同時代の思想や国内の戯曲コンクールの作品、また版画の中の銘を読み、16世紀ネーデルラント(いまのオランダ・ベルギー地方)の文化史的、民俗学的な背景を研究した。3カ国で薫陶を受けた森氏は、ドイツの美術史の方法論的な研究、アメリカの図像に関する社会史・文芸史的背景の研究、ベルギーでの同時代に書かれた一次資料の研究といった、多角的な教育を受容した。

帰国後は、就職が見つからず、忍耐の時期が17年続いた。「男性中心の社会構造と結婚、子育てという女性の役割に縛られ、既婚者で子育て中の女性にはフルタイムの勤務は難しかった。連載した美術雑誌に黙々と論文を発表し、専任のチャンスを待っていた。執念でした」と森氏。1980年、ようやく東京工芸大学の助教授になり、学長の励ましで、博士論文に挑戦した。その後、明治大学に転職したが、博士論文「16世紀フランドルの子供の遊戯──ブリューゲル『子供の遊戯』の図像学的研究を中心にして」(1988)によって、学術博士号を取得。同年、集大成ともいえる著書『ブリューゲル全作品』(中央公論社)を出版した。

明治大学を定年退職後は、慶応義塾大学と日本大学芸術学部で講師を務めながら、2010年には展覧会「ブリューゲル版画の世界:ベルギー王立図書館所蔵」(Bunkamuraザ・ミュージアムほか2カ所)の監修、2019年にはブリューゲル没後450周年記念イベント「見たことがないブリューゲル~巨大3スクリーンによる映像の奇跡~」(六本木ヒルズ ヒルズカフェ/スペース)の企画監修を行なった。

3つの《バベルの塔》

ピーテル・ブリューゲルは、1525年から1530年頃に生まれたが、生年と同様に生地も不明である。フランドル(フランス北部とベルギーとオランダの国境付近)の国際商業都市アントワープの美術家ピーテル・クック・ヴァン・アールスト(1502-50)の弟子となり、のちにクックの娘マイケン・クックと結婚する。クックの死後、ブリューゲルは画家・版画家ピーテル・バルテンス(1520/25-1598以前)の助手として、メヘレン(現ベルギー北部の都市)にあるシント・ロンバウト大聖堂の祭壇画制作を手伝った。

1551年アントワープの画家組合である聖ルカ組合に親方として登録。そして1554年頃までフランス経由でアルプスを越えて、イタリアを旅行する。ローマでは細密画家のジュリオ・クローヴィオ(1498-1578)を訪ね、当地で象牙に《バベルの塔》を描いた。この旅で天を突く雪山や、聳える岩山の断崖絶壁の風景を目にしながら帰国したブリューゲルは、1555年ネーデルラントで当時、最大規模の版画発行業者だったヒエロニムス・コック(1517/18-1570)のもとで、版画の下絵画家として活動を始める。幻想的諷刺画を描き、70年ほど前に生きた画家ヒエロニムス・ボス(1450頃-1516)を髣髴させたため、“第2のボス”と呼ばれた。1559年頃より油彩画に専念する。

1563年、結婚を契機にブリュッセルへ移り住む。移住したその年、現在ウィーン美術史美術館に所蔵されている《バベルの塔》を描いたが、ブリューゲルには3つの《バベルの塔》がある。本作に続いて、1568年以前にはオランダ・ロッテルダムの《バベルの塔》(ボイマンス・ファン・ブーニンゲン美術館蔵)を描き、先の旅先のローマでは象牙の小品があるが、残念ながら象牙作品は現存していない。

農民を描く

ブリューゲルは、将来画家になる2人の息子ピーテル2世(1564-1638)とヤン(1568-1625)、そして2人の娘マリアとカタリーナに恵まれた。メヘレン枢機卿アントワーヌ・ペルノ・ド・グランヴェル(1517-86)より庇護を受けていたが、1564年グランヴェル枢機卿がスペイン政府より故国ブザンソン(現フランス東部)へ帰国するよう命じられてしまう。ブリューゲルは風景画家として自立し、1565年以降は農民画や寓意画を多く制作するようになる。都会の画家でありながら農民を温かい眼差しで描き、版画と細密画を極めていたブリューゲルは、晩年には人物が大きくなり、点描風の新味も加わって円熟の域に達した。

1569年ブリュッセルで病死。40代半ばで生涯を閉じ、ブリュッセルのノートルダム・ド・ラ・シャペル聖堂に埋葬された。ブリューゲルは現実世界を冷静に見つめ、風景や人物の卓越した描写力、キャンバスに油彩ではなくテンペラという技法を使うなどして、中世以来、国際的な評価を得たネーデルラントの彩飾写本の細密描写に鼓舞され、優れた風景表現を描いた。他方、群像的な民衆の祭り、ことわざ、子供の遊戯を描くことで、鋭い人間観察を示している。

現在、ウィーン美術史美術館にはブリューゲルの現存作品40数点のうち、12点が所蔵されている。2人の息子ピーテル2世とヤン、3人の孫ピーテル3世(1589-1638/39)、ヤン2世(1601-78)、アムブロシウス(1617-75)、さらに曾孫ヤン・ピーテル(1628-82)とアブラハム(1631-97)、孫娘パスハシアの子ヤン・ヴァン・ケッセル(1626-79)、そしてそのケッセルの息子ケッセル2世(1654-1708)ら、ブリューゲル一族の画家の血脈は170年続いた。

 

バベルの塔の見方

①タイトル
バベルの塔(ばべるのとう)。英題:The Tower of Babel


②モチーフ
バベルの塔、地平線、空、雲、海、山、川、運河、港、街(聖堂、公共建造物、城館、民家)、市壁と要塞門、道路、ニムロデ王、従者、工人、石材、レンガ、モルタル、雑木林、帆船、筏、城塞、建設機材(とりわけ各種クレーン)、作業道具、荷馬車、料理場、トイレ、鳥。


③制作年
1563年。ブリューゲル33~38歳頃の作品。


④画材
オークの板、油彩。


⑤サイズ
縦114.4×横155.5cm。


⑥構図
地平線のあるパノラマ的な画面を対角線構図によって整理し、中央に円錐形の塔を据え、よりモニュメンタリティを強調。


⑦色彩
グレー、セピア色、レッドブラウン、グリーンなど多色。控え目であるが、上質で品のよい色彩。


⑧技法
油彩画。絵具層は薄く、細部までよどみなく、正確に描き込んでいる。ブリューゲルは板に最終段階の制作をする前、自ら紙に綿密な構図を描き、ときにはpouncingという技法を使い、それを板に転写していることが赤外線撮影で判明した(その下絵素描は存在していない)。個々のモチーフはリアルに描写されているが、全体のイメージは寓意的・物語的。対象を巨視的に、かつ微視的に捉えるのはヤン・ファン・エイク(1390頃-1441)以来のネーデルラント絵画の伝統。


⑨サイン
ニムロデ王の前に跪く石工の後ろの大きい石の側面に「BRVEGEL.FE.M.CCCCC.LXⅢ」と細い黒文字で署名。ブリューゲル(父)は、1558年までは小文字で「brueghel」と綴り、以後は「Bruegel」、あるいは大文字「BRVEGEL」とサインした。画家となった2人の息子は「Brueghel」と“h”を付け、1616年以降ピーテル2世は「Breughel」とサインしたため、父と子を区別するひとつの根拠となっている。


⑩鑑賞のポイント
ブリューゲルは、旧約聖書の主題「創世記」11章をもとに、フランドル(フランス北部とベルギーとオランダの国境付近)の都市景観や目撃した各地の建設現場を合成して描いている。当時、アントワープは国際的な商業都市として全盛期を迎えており、その活気が伝わってくる。前景には、「バベルの塔」の建築主である旧約聖書に登場するニムロデ王と従者の一行が監督に来ているが、特定の主役はおらず、人や物が百科事典のように網羅されている。左側に展開する都市の景観は、ゲント、ブリュージュ、アントワープ、ブリュッセルの城壁の塔や教会など、ブリューゲルが親しんだ中世・近世都市の市街を合成している。港では、建材を船着き場に荷下ろしたり、馬車にレンガを積んだり、帆船のマストに昇り作業する人や筏で休憩する人も見られる[図1]。石工たちが石屑を焼いてつくったモルタルの入った桶や大きな切石が滑車やクレーンで引き上げられている。特に注目すべきは3段目に置かれた黒い木製のクレーン。幾人かの男が回し車の中に入って、踏み、回す。当時最新式のもので、重い荷物が引き上げられる。労働者の仕事が詳細に描かれ、驚くべき工法と作業づくしが展開されている。ブリューゲルの細部は民俗学的にも重要で、「細部に画家の魂が宿っている」と言われる。塔のいくつかの層には仮小屋が住居となり、トイレもある。テラスには青菜を植え、料理をし、洗濯物を干して日常生活が営まれている[図2]。ブリューゲルは、生き生きと働く人間をもっとも描きたいモチーフとして、共感を抱きながら、その動作を捉えた。海岸近くの岩山を利用した重厚な塔が8階まで建設されている。石造りの外殻の中に、半円アーチが特徴のロマネスク様式と、古代ローマの建築要素が混在し、岩山の螺旋の回廊の一部では通路を阻み、上部と下部の施工が無計画に同時進行しており、おそらく永遠に未完成なのだろう。天まで届く塔の建設を企てた人間の欲望や野心に警鐘を鳴らし、節制を暗示するブリューゲルの代表作。


図1 港の風景(《バベルの塔》部分)


図2 料理や洗濯をする人たち(《バベルの塔》部分)


★──「世界中は同じ言葉を使って、同じように話していた。東の方から移動してきた人々は、シンアル(※)の地に平野を見つけ、そこに住み着いた。彼らは、『れんがを作り、それをよく焼こう』と話し合った。石の代わりにれんがを、しっくいの代わりにアスファルトを用いた。彼らは、『さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。そして、全地に散らされることのないようにしよう』と言った。」[創世記 11:1-11:4]
※シンアル:現イラクとシリア東部、イラン南西部。

 

パラドックス

「バベルの塔」を考察するとき、ブリューゲルの中期のウィーンの《バベルの塔》と晩年のロッテルダムの《バベルの塔》とを比較検討することは大事だと森氏は述べた。「かなり長い間、ウィーンの塔には、スペイン王でネーデルラントの統治者フェリーペ2世の圧政政治への批判、ロッテルダムの塔には、ローマ・カトリック教会への批判が解されていた。しかし2点とも敬虔なカトリック教徒であったハプスブルク家のコレクションに入り、またブリューゲル自身、フェリーペ2世の依頼で、宗教裁判の責任者だったグランヴェル枢機卿の庇護を受けており、スペイン王やカトリックへの批判を意図して《バベルの塔》を描くことはあり得ない。後者の作品で“ローマ教皇の宗教行列”と見なされた行列も、近年、カナダの研究者が『黒い喪服を装う貴族の葬礼行列』と修正した。自然の岩石を利用して人工的に塔を建てようとしているウィーンの塔は永遠に終わりそうもなく、建築的な矛盾がある。ロッテルダムの塔はその完成も予想でき、『不可能を可能にする』人間の奇跡の塔として、当時の知識人の憧憬の対象となったことも予想できる。確かに、『バベルの塔を建てる』というオランダ語の諺は、『実現不可能な巨大なプロジェクトを始める』という諷刺も意味していた。しかし、歴史を振り返ってみても、古代エジプト以来、人間は不可能なことを可能にしようとしてきたではないか。15世紀末のアメリカ大陸の発見もコロンブスの大きなチャレンジがあったからだ。パラドックスの要素を含むから、人々はより関心をもつ。ゆえにロッテルダムの塔がウィーンの塔よりも同時代や後世の画家に大きな刺激を与えた。確かに、ユートピア的な『バベルの塔』を建立しようとしたが、神の目には、空しい人間の虚栄、傲慢、不遜と捉えられ、人間は懲罰を受ける。もっとも罪深い『バベルの塔』は、もっとも大切な『教訓』を寓意するパラドックス。こうしてブリューゲルは美術史上、もっとも意義深い《バベルの塔》を制作したと評価されてきた」。

紛争への警告

森氏は「《バベルの塔》の注文者は、ブリューゲルのもっとも重要なパトロンであったアントワープの大実業家ニクラース・ヨンゲリンクだった。また、旧約聖書を主題とした『バベルの塔』は、中世以来、モザイク、フレスコ、写本、ステンドグラス、板絵、版画などに登場し、特に彩飾写本『グリマーニの聖務日課書』(1510頃、ヴェネツィア、国立マルチアーナ図書館蔵)のジェームズ4世の画家ほかが描いた《バベルの塔》の構図は、ブリューゲルを啓発している」という。

ブリューゲルの生きた時代のネーデルラントは、カルヴァン派、ルター派、再洗礼派など、新教徒への弾圧が厳しくなっていた。「本来ならばキリスト教という共通の宗教を分かち合うべき人々の間で、信仰的言語が通じなくなった。他方、言語といえば、16世紀中期、国際的な商業都市アントワープでは世界各地の言語が飛び交い、それが都市の繁栄の証しでもあった。人口10万余の都市で20人に1人が外国人のため、『7カ国語会話帖』が発行され、それは市民、外国人にとって必読書となった」と森氏は述べる。

「1566年のカルヴァン派の過激な聖像破壊運動が各地で勃発、翌年はそれを抑圧する11000人のスペイン政府の軍隊が侵攻し、宗教的、政治的、経済的にも大混乱の時代が訪れた。そんななか、人々は平和と調和を望みながら、『ロッテルダムの塔』に、旧約の時代、民衆がある一定の時期、共同して塔をつくった和合concordの時代(その後、神に罰せられ、未完成に終わったが)を想起した。つまり、知識人や裕福な商人たちはブリューゲルの《バベルの塔》を見ながら、かつての繁栄したアントワープの再建を語り合ったかもしれない。したがって、この作品は当時、素晴らしい対話作品conversation pieceとして注目された、というスペイン人の若い美術史家の新しい解釈が生まれる。芸術作品は制作された時代だけのものではなく、どんな時代でも、その作品と対峙した人々が新たな解釈を生み出す、という現代の美術史の方法論にとって、ウィーンの塔もロッテルダムの塔も現代に通じるメッセージを発する意義深い作品ではないだろうか。旧約聖書「創世記」の一節の描写だけでなく、絵画的言語を用いながら寓意によって、種々の警鐘を発していることは共通している。特に、いま、世界の至るところで見られる紛争への警告と受け止められないだろうか。覇権主義のもたらす世界の崩壊の危機にわれわれは気付くべきではなかろうか」と、森氏は語った。

 

森 洋子(もり・ようこ)

美術史家、明治大学名誉教授。新潟県上越市生まれ。お茶の水女子大学文教育学部哲学科卒業、ミュンヘン大学哲学部美術史学科留学、米国ブリンマー大学美術史学科修士課程修了、ベルギー政府給費留学生としてブリュッセル王立文化財研究所・王立図書館などで研究、国際基督教大学大学院比較文化研究科西洋美術史にて学術博士号を取得。東京工芸大学助教授、明治大学工学部助教授、同教授、改組により理工学部教授、2007年定年退職、名誉教授。慶応義塾大学客員講師、日本大学芸術学部客員講師。主な賞歴:ベルギー国王より王冠勲章シュヴァリエ章受章(1988)、サントリー学芸賞/日本児童文学学会特別賞/日本保育学会日私幼賞(1989)、第43回芸術選奨文部大臣賞(1993)、アントワープ州よりウジェーヌ・ベ国際賞(1996)、茗水クラブ学術奨励賞(2000)、紫綬褒章(2001)。2011年にベルギー王立考古学アカデミー外国人会員に選出。企画監修:ブリューゲル没後450周年記念イベント『見たことがないブリューゲル~巨大3スクリーンによる映像の奇跡~』(六本木ヒルズ・ヒルズカフェ/スペース、2019)。著書:『ブリューゲル全作品』(中央公論社、1988)、『ブリューゲルの「子供の遊戯」:遊びの図像学』(未來社、1989)、『ブリューゲルの諺の世界:民衆文化を語る』(白凰社、1992)、『ブリューゲル探訪:民衆文化のエネルギー』(未來社、2008)、『ブリューゲルの世界』(新潮社、2017)など。


ピーテル・ブリューゲル(父)(Pieter Bruegel the Elder)

フランドル(現ベルギー)の画家。1525/30頃~1569年。生年と生地ともに未詳。国際商業都市アントワープの美術家ピーテル・クック・ヴァン・アールストの弟子となり、のちにクックの娘マイケンと結婚する。1551年アントワープの聖ルカ組合に親方として登録し、1552年からフランス経由でイタリアを3年ほど旅行。ローマでは細密画家ジュリオ・クローヴィオと親交し、象牙に《バベルの塔》を描いた。帰国後の1555年、版画業者ヒエロニムス・コックのもとで銅版下絵を制作。1559年油彩画に専念。1563年師の娘との結婚を契機にブリュッセルに移住し、《バベルの塔》(ウィーン)を描く。ロッテルダムの《バベルの塔》は晩年1568年以前に描かれた。誠実に労働に励む姿に共感し、農民を多く描いたため「農民ブリューゲル」の異名がある。1569年ブリュッセルで病死。2人の息子ピーテル2世とヤンも画家。代表作:《バベルの塔》《ネーデルラントの諺》《死の勝利》《十字架を担うキリスト》《雪中の狩人》《野外での農民婚礼の踊り》《農民の婚宴》など。


デジタル画像のメタデータ

タイトル:バベルの塔。作者:影山幸一。主題:世界の絵画。内容記述:ピーテル・ブリューゲル(父)《バベルの塔》1563年、オークの板・油彩、縦114.4×横155.5cm、ウィーン美術史美術館蔵。公開者:(株)DNPアートコミュニケーションズ。寄与者:ウィーン美術史美術館、Kunsthistorisches Museum Wien c/o、(株)DNPアートコミュニケーションズ。日付:─。資源タイプ:イメージ。フォーマット:Jpeg形式97.2MB、47.244dpi、8bit、RGB。資源識別子:コレクション番号=KHM1026・画像番号=Inv.No.1026(Jpeg形式97.2MB、47.244dpi、8bit、RGB、カラーガイド・グレースケールなし)。情報源:(株)DNPアートコミュニケーションズ。言語:日本語。体系時間的・空間的範囲:─。権利関係:ウィーン美術史美術館、Kunsthistorisches Museum Wien c/o、(株)DNPアートコミュニケーションズ。


画像製作レポート

《バベルの塔》の画像は、DNPアートコミュニケーションズ(DNPAC)へメールで依頼した。数日後、DNPACの返信メールからダウンロードして画像を入手(Jpeg、97.2MB、47.244dpi、8bit、RGB、カラーガイド・グレースケールなし)。作品画像のトリミングは2点、掲載は1年間。
iMac 21インチモニターをEye-One Display2(X-Rite)によって、モニターを調整する。ウィーン美術史美術館が提供しているWebサイト『Inside Bruegel』にある《バベルの塔》の画像を参考に、Photoshopで明度・彩度を調整した(Jpeg形式97.2MB、47.244dpi、8bit、RGB)。『Inside Bruegel』は、細部が鮮明に見えていた。
セキュリティを考慮して、高解像度画像高速表示データ「ZOOFLA for HTML5」を用い、拡大表示を可能としている。


参考文献

・森 洋子「解説」、ハンス・ゼードルマイヤー『中心の喪失──危機に立つ近代芸術』石川公一・阿部公正訳、美術出版社、1965年、pp.347-383.
・森 洋子「ピーテル・ブリューゲルの芸術」『別冊みづゑ』No.53季刊・夏、美術出版社1968年、pp.49-56.
・ヴォルフガング・ステカウ『ブリューゲル』西村規矩夫訳、美術出版社、1972年.
・吉川逸治・森 洋子『ボス/ブリューゲル』 世界美術全集10、座右宝刊会編、集英社、1978年.
・阿部謹也・森 洋子『ブリューゲル』井上 靖・高階秀爾編、カンヴァス世界の大画家 11、中央公論社、1984年.
・森 洋子『ブリューゲル全作品』中央公論社、1988、2008年(ブリューゲル一族の年譜など大幅に加筆).
・森 洋子『ブリューゲルの諺の世界──民衆文化を語る』(明治大学人文科学研究所叢書)白凰社、1992年.
・ローズ=マリー・ハーゲン、ライナー・ハーゲン『ピーテル・ブリューゲル 1525-1569頃 全画集』Yukiko Nakamura訳, タッシェン・ジャパン、2002年.
・幸福 輝『ピーテル・ブリューゲル──ロマニズムとの共生』ありな書房、2005年.
・森 洋子『ブリューゲル探訪 民衆文化のエネルギー』未來社、2008年.
・森 洋子監修 図録『ブリューゲル版画の世界:ベルギー王立図書館所蔵』Bunkamuraザ・ミュージアム・読売新聞社、2010年.
・岡部紘三『図説ブリューゲル 風景と民衆の画家』河出書房新社、2012年.
・森 洋子『ブリューゲルの世界』新潮社、2017年.
・幸福 輝『ブリューゲルとネーデルラント絵画の変革者たち』東京美術、2017年.
・朝日新聞出版編『ブリューゲルへの招待』朝日新聞出版、2017年.
・森 洋子「二つの塔の共通点と相違点」「《バベルの塔》のパラドックス」『芸術新潮』No.809、新潮社、2017年5月号、pp.32-33, pp.62-69.
・森 洋子「ピーテル・ブリューゲルのウィーンの《バベルの塔》を詳察する」(『ネーデルラント美術の誘惑──ヤン・ファン・エイクからブリューゲルへ(北方近世美術叢書Ⅲ)』、ありな書房、2018年、pp.159-215.
・図録『ブリューゲル展 : 画家一族150年の系譜』日本テレビ放送網、2018年.
・森 洋子『ブリューゲルと季節画の世界』岩波書店、2022年.
・森 洋子「ベルギーでの忘れがたい学恩」『図書』、岩波書店、2023年、pp.30-33.
・Webサイト:『Inside Bruegel』(Kunsthistorisches Museum Wien)2024.3.11閲覧(https://www.insidebruegel.net/#p/v=paintings&lan=en&a=1026&x=s:3_l:1_v1:1026,vis
・Webサイト:「Turmbau zu Babel」(『Kunsthistorisches Museum Wien』)2024.3.11閲覧(https://www.khm.at/objektdb/detail/323/

 

掲載画家出身地マップ

※画像クリックで別ウィンドウが開き拡大表示します。拡大表示後、画家名をクリックすると絵画の見方が表示されます。

2024年3月