現在、筆者は5月から当館で開催される展覧会「Beautiful Japan 吉田初三郎の世界」の開幕に向け準備を進めている。本展は、大正から昭和戦前期を中心に観光旅行に関するさまざまなグラフィックの分野で幅広く活躍した吉田初三郎(1884-1955/以下、初三郎)の作品を紹介する展覧会である。しかしながら初三郎の本格的な個展はこれまで美術館では開催されてこなかった。本稿では、初三郎とその作品について紹介するとともに、なぜその作品がこれまで美術館で取り上げられてこなかったのかについて考えてみたい。

観光グラフィックと初三郎

初三郎は、大正から昭和にかけて日本各地の名所案内図を描いて一躍有名となった、「鳥瞰図絵師」として知られている。1884(明治17)年京都に生まれ、友禅の図案絵師への奉公などを経て洋画家・鹿子木孟郎の画塾である関西美術院で学んだ。鹿子木から、ヨーロッパでの商業美術の動向を踏まえ、日本でも商業美術家が必要であるとの言葉を掛けられて転身。幼い頃から画家に憧れていただけに当初は落胆もあったようだが、鹿子木をはじめさまざまな後援者の後押しもあり徐々に仕事の幅を広げていった。

そんななかで手がけた《京阪電車御案内》が当時の皇太子(後の昭和天皇)の目に留まり、「これは奇麗で解り易い」との言葉を受ける。このことが契機となり、日本全国の名所図絵を描くことをライフワークと定め、生涯で1,600点以上とも言われる鳥瞰図を描いた。1915(大正4)年の大正天皇即位記念に刊行された《京都鳥瞰図》[図1]★が評価され、さらにその後新聞などで「大正の広重」と呼ばれるなど、知名度が高まっていった。

図1 《京都鳥瞰図》(1915[大正4])[堺市博物館蔵]

1921(大正10)年には鉄道開通50周年を記念して鉄道省から刊行された旅行案内書である《鉄道旅行案内》の装幀と挿絵[図2-1、2-2、2-3]をすべて手がけている。従来は縦長の判型に浮世絵風景画などが挿絵として挿入されたものであった。初三郎はこれを横に極端に長い判型とし、フルカラーの鳥瞰図による沿線案内や各地の名所を描いた風景画などを挿絵とした。1年で40以上の版を重ねたということからもこの本の人気のほどが窺える。

図2-1  《鉄道旅行案内》(1924[大正13])より[個人蔵] 

図2-2  《鉄道旅行案内》(1924[大正13])より[個人蔵]

図2-3  《鉄道旅行案内》(1924[大正13])より[個人蔵]

また、1930(昭和5)年にインバウンドを目的として鉄道省に国際観光局が設立されると、その年のうちに日本の美しさを世界にアピールすることを目的としたポスターが制作される。これを担当したのが初三郎であった。富士を背景に桜の枝の下から駕籠にのった美女が身を乗り出しているデザインは、タイトルどおり《Beautiful Japan》[図3]のイメージそのものであったと言える。折りしも当時は日本全国をカバーする鉄道網が発達し、また観光地においても宿泊施設をはじめとする旅行者の受け入れ体制の整備が進み、「観光」が産業として発達していった時期であった。また、外貨獲得を目的として海外からの旅行客を呼び込む「外客誘致」も活発に行なわれていた。こうした時代の波に乗るかたちで、初三郎は印刷折本、ポスターをはじめとするさまざまな観光グラフィックをフィールドに活躍していった。


図3 ポスター《Beautiful Japan》(1930[昭和5])[江戸東京博物館蔵]

 

鳥瞰図──日本全土を「アクセス可能な場所」として描く

初三郎による名所案内図や沿線案内図などは、一般的に鳥瞰図と呼ばれる形式で描かれている。地面を真上から眺めて描いた地形図に対して、斜め上から地上を見下ろして描かれたのが、鳥の目から見下ろした視点で描かれた図、という意味で鳥瞰図と呼ばれている。しかし初三郎による「鳥瞰図」は、一般的な鳥瞰図とはひと味異なっている。

例えば富士山麓を走る富士身延鉄道を描いた《富士身延鉄道沿線名所鳥瞰図》[図4]を例として見てみたい。まず目を引くのがまっすぐに描かれた線路である。実際には山襞を縫うように走る線路は蛇行を繰り返しているが、これが図中鮮やかに一直線に描かれているのである。また、日蓮宗の総本山である久遠寺を擁する身延山は実際には標高1,153メートルであるにもかかわらず富士山と肩を並べるように高く大きく描かれている。沿線の名所である滝や温泉地も小さいながらも滝の流れや湯煙を伴って描き込まれている。さらに画面左下の部分に注目すると、すやり霞(絵巻などでも用いられる雲形の霞)の下になんと西日本が折り畳まれるように展開しているのがわかる。富士山麓を走る鉄道を描いた路線案内でありながら、日本全土を一枚の画面におさめることで、日本のどこにいる人から見ても描かれた対象が隔絶した場所ではなくアクセス可能な地続きの場所として一眼で捉えられるようになっている。いまここで紹介したような、リニアな線路の描き方、ミニチュアのような細部の描き方、そして空間を折り畳んでまで広い範囲を画面におさめるような描き方は、いずれも一般的な鳥瞰図では見ることがない。そしてこうした特徴によって、初三郎による鳥瞰図は非常にわかりやすく、見るものの目を捉えて離さない。

図4 肉筆画《富士身延鉄道沿線名所鳥瞰図》(部分/1928[昭和3])[堺市博物館蔵]

 

肉筆作品を通じて初三郎を見つめ直す

見る者の期待を裏切らないのは鳥瞰図だけでなく、上述の《Beautiful Japan》のようなポスターにおいても同様であると言える。わかりやすくて美しい。発注者の意図を汲んだデザインであり、商業美術家として引く手数多であったであろうことが推測される。 

初三郎は、戦争中は作戦鳥瞰図や戦跡図を描くため従軍もしていたが、防諜の観点から鳥瞰図の制作が徐々に制限されるようになっていくなかで活動の場が狭められていった。戦後は、原爆による被害を受けた広島の様子を描いた鳥瞰図を描いてもいる。1955(昭和30)年に没した後しばらくはその存在が忘れ去られてしまっていた時期もあった。その後、初三郎作品の魅力に惹かれた多くの人々が調査を重ね、その成果が発表されてきた。さらに各地の博物館を中心に初三郎の生涯とその作品を紹介する展覧会も開催されてきたことで、現在では戦前の観光グラフィックの分野を代表する存在として知られている。

にもかかわらず、美術館ではこれまで初三郎の個展が開催されてこなかった。その理由としては、彼の作品の題材とメディアが真っ先に挙げられるだろう。画中に地名が書き込まれ、観光名所や鉄道沿線を描いた初三郎の作品は、いわば「絵地図」として、従来歴史や地理的なアプローチの対象となってきた。またもっとも知られている彼の作品の形態は印刷折本であり、機械で大量に印刷され頒布されたこれらのグラフィックは、美術作品としてではなく歴史資料として扱われてきた。また、初三郎は商業美術で活躍した作家であった。時流に乗って活躍した作家であればあるほど、いわゆる美術作家として見なされない傾向があったことは否めない。加えて、アカデミックなバックグラウンドに乏しいこと、弟子を用いた分業体制で大量に作品制作を行なっていたことなども挙げられるだろう。

しかし、先ほど見た通りダイナミックな構図と描き込まれた細部の描写を両立させ、鮮やかな色彩を用いながらも破綻のない画面にまとめ上げる構成力、わかりやすく情報を伝えるために工夫をこらされた画面づくりはグラフィックデザインとして高く評価できるものである。

さらに昨今、これまで看過されてきた商業美術に新たに光が当てられている。美術館における近代美術の展覧会活動とは、アカデミックなバックグラウンドを有する特定のフィールドの作家だけを取り上げるものではないはずだ。そうしたくびきから自由になったとき、商業美術とは、さまざまな作家が独自の美意識と造形力を駆使し、印刷技術もそれを盛り立てた活気あふれるフィールドであり、だからこそ今日改めて注目を集めているのだと言える。

加えて、本展では肉筆画を10点以上展示する。初三郎作品に限らず、有名な作品であってもポスターの原画などは残っていないことがほとんどである。しかし初三郎作品は、完成作品として納品されたものだけではなく、校正過程の作品でも肉筆作品が残っている。印刷物では再現することが難しい鮮やかな色彩や、没入感すら味わうことができる大画面の迫力は肉筆画ならではの魅力であると言える。

2021年に当館で企画した展覧会「映えるNIPPON 江戸〜昭和 名所を描く」において肉筆作品である《神奈川県鳥瞰図》を展示した折には、ガラスケースに額を付けるように覗き込む方々の姿が多く見られた。自分の見知った場所を探したり、現在地とリンクさせたりしながら画中に入り込むように見つめていた姿が印象的だった。これまで「鳥瞰図絵師」として知られてきた吉田初三郎を、肉筆作品を通じて見つめ直すことで、大画面の肉筆作品と手元で楽しむ印刷折本とを同時に成立させることができるグラフィックデザイナーとして再評価すること。それこそが、本展が目指すところである。

★──2014年3月4日に初三郎の生誕130年を記念して、Google日本語版のロゴがこの鳥瞰図をモチーフにしたデザインとなった。

Beautiful Japan 吉田初三郎の世界
会期:2024年5月18日(土)〜7月7日(日)
※一部作品の展示替えあり。
会場:府中市美術館(東京都府中市浅間町1-3)
公式サイト:https://www.city.fuchu.tokyo.jp/art/tenrankai/kikakuten/Yoshida_hatsusaburo.html