トンネルを抜けると……
夏休み本番。美術鑑賞と観光を兼ねたアート体験ドライブに行こう。新潟へ向かった。首都圏より関越自動車道を通って、長い長い日本最長の道路トンネル・関越トンネルを走る。別世界に入っていくようなこのトンネル自体が現代アートを鑑賞する前のウェルカム作品のようだ。これから出会う作品となにか起こりそうな期待感が高まってくる。10kmあるというトンネルを抜けると、そこは雪国でもやはり雪はなく緑色の草に覆われたスキー場がいくつか見えた。新潟県・六日町インターチェンジで高速道路をおり目的地である十日町市へ向かう。東京から約250km、車で3時間。今年の夏は新潟県十日町市と津南町で3年に一度の「大地の芸術祭 越後妻有(えちごつまり)アートトリエンナーレ2006(以下、大地の芸術祭)」が7月23日から9月10日まで開催されている。新潟県下の地元自治体が「大地の芸術祭実行委員会(以下、実行委員会)」を組織し、運営する。この実行委員会は、新潟県・十日町市・津南町と十日町地域広域事務組合からなっている。大地の芸術祭主催者である実行委員会の事務局は十日町消防署の3階に置かれている。十日町市と津南町が共同で事業を行なう組織が、十日町地域広域事務組合である。通常この地方公共団体は資金と人を十日町市と津南町から得て主に消防業務や家畜指導診療所などの広域的な事業を行なっている。実行委員会の事務局が消防署に置かれたのもそんな関連からだ。自治体が地域づくりのためになぜアートを取り入れたのか。事務局で広報を担当する十日町地域広域事務組合・事務局企画振興課の金隆行氏(以下、金氏)に、アートによる地域づくりについて話しを伺った。
|
“妻有”という場
日本有数の豪雪地である新潟県南部の十日町市と津南町。新潟県は効率化のための合併が進み、旧十日町市、川西町、中里村、松代町、松之山町も2005年3月の市町村合併により新十日町市となって、津南町だけが自立の道を選んだ。東京23区(621平方キロメートル)の面積より広い760平方キロメートルの中山間地域は、日本海側の新潟市内から見ると越後地方の奥まった場所、詰まったところにある地域ということから「つまり」と名が付いたらしいと金氏が教えてくれた。この通称妻有(つまり)地域は、農業と織物業を主産業として約7万4,000人が生活している。信濃川中流域に位置した里山や棚田など豊かな自然や景観が残っている地域である。冬には2階が玄関になる家、丸型屋根の倉庫に豪雪地の生活の様子が夏でもうかがえる。また火焔型土器に代表される縄文文化が栄えた地域ともいわれ、1500年もの歴史をもつ絹織物や魚沼コシヒカリの産地でもある。
|
アートは自然と関わるための技術
大地の芸術祭に至る経緯を振り返ると、妻有でも地方の多くに見られるように近年は地場産業の低迷と少子高齢化や過疎化が進み、市町村単位での地域づくりが限界に近づいていた。1994年、新潟県が地域の自立を目的にした「ニューにいがた里創(りそう)プラン」を創設し、1995年に妻有は第1号の指定を受けた。「この地域は産業がやや脆弱、活性化を図るには外から人を呼ぶこと。そのためには観光と交流。誘客の仕掛けとして自然景観を活かせるアートを選んだ」と金氏はアート採用の理由を語る。そして広域的に地域を活性化することを新潟県が支援していることから、旧十日町市、川西町、津南町、中里村、松代町、松之山町の六市町村にあった地域づくりのテーマを「現代アートと環境」に一本化し、1996年「越後妻有アートネックレス整備事業」として取組みが始まり、自然に抱かれた暮らし方の地域モデルとなることを目指した。ここでいうアートとは、美術館で見る彫刻や絵画とは意味が異なり、人が自然と関わるための技術をアートと呼んでいる。自然と関わるときの新鮮な驚きや感動を呼び起こす発見、またそれをより強く感じられるように加える人の手、これらを越後妻有のアートという。「越後妻有アートネックレス整備事業」には、地域の魅力を再発見するための写真と言葉のコンテスト「ステキ発見」、地域外の人との協働と住民参加の場として位置付ける施設「ステージ整備」、花を使って広域をつなぐ美しい交流ネットワークづくり「花の道」。これら3事業を基に妻有から世界に向けて情報を発信し、交流人口の増加を目的としたイベント「大地の芸術祭」が4つめのプロジェクトとなる。
|
協働でできあがる大地の芸術祭
2004年10月の中越大震災、2005年、2006年と続いた豪雪。妻有には自然災害のダメージがまだ残っているようだが、2000年に始まったこの国際野外美術展・大地の芸術祭が地元には定着しつつあり、今年の大地の芸術祭は地域が災害から復興している様子を国内外に向けて発信する機会となった。7月23日の開会式には前日までの雨も上がり、新潟県知事や駐日フランス大使、国会議員らが女優の真野響子さん司会のもと祝辞を述べ、華やかなオープニングだったようだ。2000年当初から予定されていた第3回展が今夏開催されたことで、この結果を総合的に判断し、次回の第4回を開催するかが決まるというが、今のところ終わる気配はなさそうだ。今回の大地の芸術祭は、25万人の来場者を目標とし、約200組のアーティストが40の国と地域から参加した。過去2回の常設作品130作品と合わせて作品総数は329点。総事業費約7億円。そのうち約4億円を民間からの寄付や協賛、鑑賞代(パスポート代:1人3,500円)に求め、なかでも(株)ベネッセコーポレーション会長の福武總一郎氏からは大きな支援が得られたようだ。総合ディレクターである北川フラム氏((株)アートフロントギャラリー代表取締役会長。以下、北川氏)が第1回からテーマにしている「人間は自然に内包される」は今回も継承され、アーティストと作品を北川氏が選出し、アーティストと住民とサポーターが協働して作品を制作するのが芸術祭の基本である。
アーティストがプランにふさわしい場所を自ら探して展示場所を決めていく。その後実行委員会の仲介によりアーティストが住民に制作協力を求めて作品の説明を行ない、アーティストと住民が了解した後に作品制作は始まる。会期中だけでなく、準備期間や会期後も住民とアーティストやサポーターとの交流、あるいは地域間交流は続き、震災時にもサポーターがボランティアとして復興に協力してくれたと聞いた。「いろんな人との出会いで、この地域がこれまで得てこなかった情報などが入ってきている」と金氏は言う。アーティストが何を思って制作したのかよりも、見た人が作品を見て何を思うかが大事だと、地域づくりにアートは有効だとも。地域から立ち上がったイベントは、大手広告代理店が開催するような完成されたイベントではなく、素朴な手作り感が持ち味であろう。地元住民が皆この大地の芸術祭を支持しているわけではないだろうが、自然災害を乗り越え、広域な大地にアートの祭典を実現させる住民パワーはやはりすごい。ネガティブな話は一度も耳にしなかった。3冊目となる大地の芸術祭記録集が現代企画室から発刊される予定である。
|
不便さが伝えること
|
|
|
小白倉いけばな美術館 |
|
|
|
|
マリーナ・アブラモヴィッチ《夢の家》
提供:大地の芸術祭実行委員会 |
|
|
|
|
アブラモヴィッチ《夢の家》を案内する
村山林平さん |
|
|
|
|
クリスチャン・ボルタンスキー+ジャン・カルマン《最後の教室》
提供:大地の芸術祭実行委員会 |
|
|
|
|
リチャード・ディーコン《マウンテン》
提供:大地の芸術祭実行委員会 |
|
|
|
|
行武治美《再構築》
提供:大地の芸術祭実行委員会 |
|
|
|
|
菊池歩《こころの花──あの頃へ》
提供:大地の芸術祭実行委員会 |
|
さあ、作品を見に行こう。広大な地域に点在する作品300点以上の作品をどのように見て回るか、まず計画を立てる。見たい作品が隣接されているわけではない。峠道など徒歩と自転車では無理と思い、乗用車にしたものの2泊3日でいくつ見られるのかはわからない。パスポートと呼ばれる鑑賞券の作品番号の升目にスタンプを押しながら、次の作品を探し求めて進んでいく。震災後に増えたという空家や廃校を建築家がリノベーションし、アーティストが作品を展開する「空家プロジェクト」、火焔型土器を生み出した土地に8人の陶芸家が集う「陶芸村」、家と道の間に花を植える伝統を背景にして、21人のいけばな作家がリレー個展をする「いけばな美術館」。これらは過去2回の大地の芸術祭にはなかった新しい試みである。特に印象的だったのは、30戸ほどの小さな集落の中で行なわれていたいけばな展。この雲上の桃源郷のような美しい小白倉と集落全域に生けられたいけばな作品「小白倉いけばな美術館」(川西エリア)は、地域と作品が呼応していた。小白倉までの道のりは雨だったが、だんだん晴れてきた。向こうの山から水蒸気が立ち上がっている。雲海の中の稜線を走っているようだった。次に向かったジェームズ・タレルの「光の館」(川西エリア)で案内してくれた女性が小白倉の出身だった偶然性も何かうれしかった。大相撲の土俵を作る村であることを聞き、いけばなと通じるスピリットを感じた。また2000年の作品だがマリーナ・アブラモヴィッチの「夢の家」(松之山エリア)も美術館では味わえない宿泊施設の作品として記憶に残った。元教員という村山林平さんの実直かつ情熱的な案内があってのことかもしれない。住民とアーティストが共に作品を制作したことによって、住民と来場者とのコミュニケーションが生まれる。住民が地域の言葉で作品を語ることで来場者は作品を身近に感じ関心を引く。美術館や画廊とは異なる自然環境の中で、作品を鑑賞するという慣れない体験を味わうのだ。クリスチャン・ボルタンスキーとジャン・カルマンの「最後の教室」(松之山エリア)は、廃校を美術館ととらえ時間と記憶を暗闇の中に表現していた。真っ暗な理科室から規則正しくフラッシュのように光る光と同調して響く重低音の鼓動体感が忘れられない。リチャード・ディーコンの新作「マウンテン」(松代エリア)は景勝地にマッチしたパブリックアートの見本のような存在感だった。国内のアーティストでは、行武治美の鏡とシースルーを使った現実と非現実の境界小屋作品「再構築」(十日町エリア)。菊池歩のブナ林に手作りビーズの花を咲かせ、心の響きを繊細に視覚化させた作品「こころの花──あの頃へ」(十日町エリア)などが若々しく美しかった。3日間で150kmほど走って3分の1の作品を見た。里山の風と夏の香気に包まれ、妻有の風土を堪能した。作品が点在する鑑賞の不便さは確かにあった。しかし、移動時間、作品と自然景観との空間、アーティストや地元住民との対話などから創造する地の力を発見した。
文化のダボス会議
大地の芸術祭は大地と触れ合うことがコンセプトであり、すべての作品を見せることは目的にしていないであろうから、里山を巡って作品鑑賞するためにITを持ち込むことは歓迎されないかもしれない。しかし広大な地域の現場を走り、より有意義に過ごすためには、事前の情報がもっと必要と思えた。3月中旬に大地の芸術祭のホームページを一新したというが、さらに改善の余地はあるだろう。見たい作品を見られないのは避けたいし、あとで見たい作品があったことを知っても困る。Google Earthのような見せ方で作品の場所を詳細に示すGPS、作品の情報を多面的に表すバーチャルミュージアム、アーティストの一覧表示データベースなど、初めての人でもアクセスしやすいデザインとシステム設計になることを期待したい。2000年に大地の芸術祭が始まり今年で6年目。金氏は不完全な交通システムとイベントのPR不足が現在の大きな問題点だと言う。今回はガイドと昼食付きのバスツアー(毎日運行、予約制、パスポート代別5,500円)を用意しているというが、バスのほか自転車・オートバイ・車といったモデルコースもあれば嬉しい。北川氏の作品にも見えるこのアートイベントだが、北川氏のほか各分野のディレクターには、Fの会(いけばな)・入澤美時(陶芸)・入澤ユカ(アート)・田中文男(空家プロジェクト)が参画している。ポスト北川氏の存在も気になるところだ。地域づくりとアートを結びつけたこの祭典は、政財界の要人などが集う世界経済フォーラムをイメージさせる「文化のダボス会議」などとも呼ばれ始めているらしい。いくつかの課題は具体的に絞られ、これからが世界基準のイベントになるかどうか、地域の実力が試されている。 |
|
■大地の芸術祭実行委員会基礎データ
構成:新潟県・十日町市・津南町・十日町地域広域事務組合
事務局:十日町地域広域事務組合
事務局職員:6名
住所:〒948-0036 新潟県十日町市北新田1番地10
電話:025-757-2637
■参考文献
山盛英司、田中三蔵「越後妻有アートトリエンナーレ」朝日新聞,2006.7.27, 朝日新聞社
『メセナnote』No.44,2006.7.15, (社)企業メセナ協議会
『美術手帖7月号増刊 Vol.58 No.884大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2006ガイドブック』2006.7.10, 美術出版社
「十日町新聞Webサイト」(http://www.tokamachi-shinbun.com/) |
2006年8月 |
|
[ かげやま こういち ] |
|
|
| |
|
|
|
|
|
ページTOP|artscapeTOP |
|
|