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掲載/影山幸一
アーカイブで新作を創る。パノラマの宇宙を夢見るメディア・アーティスト「山口勝弘」
影山幸一
 日本の文化史の記録として、芸術とテクノロジーを語るときに欠かせない集団が「実験工房」である。1951年に結成されたこの前衛集団は、グループ・アトムという名も候補に上げられていたそうだが、詩人・瀧口修造がワークショップの必要性を説き、英名のExperimental Workshopから実験工房が誕生した。工房では古めかしいという意見もあったが、あえて漢字4文字を選び、かちっとしたひとつの観念を活字で表象した。瀧口は評論などで実験工房を陰で支え、メンバーは最大時には14名が名を連ねた。詩人、音楽家、美術家、写真家、照明家、エンジニアが、相互に有機的に関連し、空間全体をひとつの作品と化した。作品には観客も加わっており、いち早く参加型ワークショップを実践して、その環境との関係性に着目し、時代を切り開く活動でもあった。実験工房創設時のメンバーである美術家・山口勝弘(以下、山口)の個展が、2006年2月4日から3月26日まで、神奈川県立近代美術館鎌倉で開催されている。
『メディア・アートの先駆者 山口勝弘展 「実験工房」からテア トリーヌまで』図録
『メディア・アートの先駆者 山口勝弘展 「実験工房」からテア
トリーヌまで』図録
 インターメディア(映像、音楽、コンピュータなどの媒体を融合した芸術様式)という新しい表現の領域を切り開いてきた山口の活動は、固定観念を超えて美術の世界を拡張してきた。それでいて自己主張を全面に打ち出さない作品は、鑑賞者とのコミュニケートを待っているかのようで、軽やかな音が聞こえてきそうな詩的な作品である。今回の展覧会では、1948年に制作された最初の抽象絵画作品から、1950年代の実験工房としての共同制作作品、1960年代に始まる多素材の彫刻、空間構成・環境的な仕事、1970年代からのメディア・アーティストとしての展開。そして、現在も精力的に制作が続けられている、創造の場としての宇宙を意味するテアトリーヌ・シリーズまで、絵画、彫刻、映像、映像インスタレーション、ドローイング、写真、印刷物、音源資料など約200点が一堂に会している。

 山口はテクノロジーを柔軟に享受し、光、空間、音楽と観客の存在を意識しつつ作品制作を続けてきた。一貫して美術家であるが、1970年の「人類の進歩と調和」をテーマにした博覧会史上最高の入場者数(6,421万8,770人)といわれる、あの日本が動いた大阪万博では三井グループ館のプロデューサー、またあるときは大学教授、社長、デザイナーでもあるなど、社会との関係は幅広く多彩である。長年の表現活動によって、資料がたくさん残されているであろうと思われるクリエーター山口に、その創造の源泉とデジタルアーカイブについて伺ってみたいと思った。取材の申し入れをしたFAXに、山口から先に電話をもらった。快諾の返事であったが、こちらは大変恐縮した。2001年、73歳の時に山口は脳梗塞で倒れており、現在も車椅子生活を余儀なくされているのを耳にしていたからだ。この初めての一報で山口の強さと優しさを思い知った気がした。山口が暮らす横浜・たまプラーザへ向かった。
美術家・山口勝弘,撮影:斎藤さだむ
美術家・山口勝弘,
撮影:斎藤さだむ
 レオナルド・ダ・ビンチのような風貌だ。戦後の美術史に独自の方法で新領域を開いてきた美術家・山口の第一印象である。山口は「アーカイブと共に生きている。アーカイブを自分で生産している。アーカイブから作品が生まれる」と語った。アーカイブを作品という言葉に置き換えてみるとより理解しやすくなるようだが、ここで注目したいのは「アーカイブを自分で生産している」という言葉だ。アーティストが作品を制作するのは当然だ。しかし、アーティストがアーカイブを生産するという自覚は持ちにくいのではないだろうか。アーティストは作品を作ることだけを考えていればよいとも思えるメディア・アート界のなかで、作品の生命を継続、あるいは活かしきることを見据えているのには少し驚いた。さらにこのアーカイブをもとに、これから作品を再編集、チューンアップし、新作を創るというほど山口は意欲的だ。不自由ではあるものの、制作意欲に陰りはない。

 一方、「アーカイブはお墓だ。だがお墓でも役に立つ。アーカイブは生きている」と続けた。アーカイブは再生の装置となる。まだ山口は自身の活動を体系的にドキュメンテーションはしていないが、日記を書いたり、写真やビデオなど資料を保管しており、メモ書きなどの資料もアーカイブとして大事だと言っている。加えて、今後はアーカイブとアーカイブの間をつなぐ、インター・アーカイブ研究が必要になるとアドバイスをもらった。文部科学省科学研究費により、東京国立近代美術館の松本透氏らが「戦後の日本における芸術とテクノロジー」の研究を進めている。山口に関する膨大かつさまざまな資料をアーカイブするとともに、デジタルアーカイブすることも視野に入れ、まずは目録台帳なるものをいかに作成すればよいかが課題と松本氏。来年2007年には報告書を出すとのことである。

 1951年から57年まで実験工房で新しい表現を探求していた山口。1951年に「ピカソ」展(主催:読売新聞社 日本橋・高島屋)の前夜祭として、日比谷公会堂で開催されたバレエ「生きる悦び」が第1回実験工房展となる。その後実験工房は、オリヴィエ・メシアンやアーノルド・シェーンベルクなどの現代音楽を演奏するとともに、モビールを用いた会場の空間構成や照明演出によって音楽と造形の総合に挑んでいる。実験工房のメンバーは、音楽部門に、佐藤慶次郎、鈴木博義、武満徹、福島和夫、湯浅譲二、園田高弘、秋山邦晴。造形部門に北代省三、福島秀子、大辻清司、駒井哲郎、山口。そして照明には今井直次、エンジニアに山崎英夫の14名であった。メンバーの多くが音楽学校や美術学校の専門的な教育を受けてこなかったことが、自由な発想でゆるやかなグループ形成を築いていくのには幸いしたようだ。
 山口を語るのに実験工房は不可欠であるが、山口の工学系美術家の核心は、図工と作文が好きだったという小学校時代に形成されている。虚弱体質で自立神経失調症、不気味な夢を見ていた子供の頃、当時横浜の地方裁判所の判事だった父から複葉機や巨大な帆船などの図版が載っている飛行機と船の英語の本を買ってもらい見入っていた。本の匂いは外国への入口でもあった。そして、飛行機を想像して設計したり、軍艦の絵を描いたり、夏休みの宿題に空気抵抗と渦を研究したり、設計者になるつもりでいた。また、東京・築地にある勝鬨橋の模型を母と一緒に徹夜で制作したことも。第二次世界大戦前のその頃、山口が特に強く印象に残ったものは、東京・世田谷の多摩川園遊園地(1979年6月に閉園)にあったパノラマ(風景の全体が立体的に見えるようになった装置)だと言う。三次元の美しいドキドキする光体験だったそうだ。以後、自作のパノラマを作るため、カステラの箱の中に船を作り、海草を並べ、ブルーのセロハンを張り、その海のイメージに懐中電灯で光を照らす遊びをはじめた。このパノラマの思い出がのちに山口の代表作となるヴィトリーヌ・シリーズへとつながっていき、現在もパノラマは山口のテーマとなっている。
《ヴィトリーヌ No.37》
《ヴィトリーヌ No.37》油彩・ガラス・合板
58.7×49.5×d10.0cm,1953年,
神奈川県立近代美術館蔵
写真提供:神奈川県立近代美術館
 1952年から発表された箱状のシリーズ作品「ヴィトリーヌ」。フランス語でショーウィンドーや貴重品を陳列するガラスケースを意味するVitrineを命名し、「眼のオルゴール」と呼んだのは瀧口修造である。音を感じる作品はみな前面にはめられた偏光ガラスによって見え方が変化する仕掛けだ。二つの画面構成があり、ひとつはガラスの透過作用の美しさを活かすもの。もうひとつは面の積み重ねによってレリーフ状の立体感を出すものである。このモンドリアンを動かしたような作品に光、空間、動きの要素すべてがあると山口は言う。戦後まもなく欧米のアヴァンギャルド芸術に影響を受け、特にハンガリー生まれのラースロー・モホイ=ナジからは光と空間を学び、またキャンバスにナイフで切り込みを入れた「空間概念シリーズ」で有名なアルゼンチン生まれのイタリア人、ルーチョ・フォンタナには直接インタビューを行なっている。ルーマニアの彫刻家ブランクーシの仕事などについて質問し、フォンタナの空間主義に直接触れた。それは絵画・彫刻・音楽といった従来の芸術の形式を否定し、工学的技術を芸術に導入することで、新たな四次元世界の芸術を示すインターメディアそのものであったと言う。
《顔曼荼羅シリーズ 無題》
《顔曼荼羅シリーズ 無題》
アクリル・カンヴァスボード
22.8×15.8cm
2003-2005,作家蔵
撮影:斎藤さだむ
《顔曼荼羅シリーズ 無題》アクリル・カンヴァスボード ,22.8×15.8cm,2003-2005,作家蔵,撮影:斎藤さだむ
《顔曼荼羅シリーズ 無題》
アクリル・カンヴァスボード
22.8×15.8cm
2003-2005,作家蔵
撮影:斎藤さだむ
 ポスト実験工房のほうが大事だと山口がポツリと言った。デ・ステイル(新造形主義を推進した雑誌およびそれに基づくグループの名称。オランダ語で様式の意)のメンバーでもあった建築家フレデリック・キースラーのスタジオに行き、作品を見たことを鮮明に覚えていると『環境芸術家キースラー』の著書もある山口は言う。図面が壁に貼ってあり、作品が天井からぶら下がっていた。床、壁、天井この3つを関連付けることが彫刻作品だというキースラー。山口は展示の問題をキースラーから学び、大阪万博・三井グループ館では、隅や端がないキースラーの空間コンセプトである「エンドレス・ハウス」を「エンドレス・シアター」として再現した。空間全体の構成・演出を建築家、デザイナー、音楽家などとチームでできたことは楽しく成功だったと語る。

 美とは何ですかの問いに、山口は「美とは、人間がもっているすべての感覚が満たされるような作品です。香りまで感じるようになりたい」と「共感覚」を有しているように語った。五感のひとつが刺激されると別の感覚も反応するという神経現象は、フランスの詩人アルチュール・ランボーの詩「母音」をきっかけに注目された。母音に色がともなう共感覚が題材となっている。「Aは黒、Eは白、Iは赤、Uは緑、Oは青」と詩は始まる。現在、山口は自由の利く右手を使って、山口の造語である「テアトリーヌ(創造の場としての宇宙)」をコンセプトに、宇宙シリーズと顔曼荼羅シリーズを描いている。ゆっくりしたテンポで美しい旋律のカラヤン「アダージョ・カラヤン」を聞きながら画筆を運ぶ。色彩豊かなドローイングは体温を感じる。これも遊園地にあったパノラマの記憶です、と山口は教えてくれた。4月8日から5月14日まで、茨城県近代美術館 で引き続き個展が開催される。
■やまぐち かつひろ
美術家。1928年4月22日 東京生まれ。
学歴:1945年日本大学工学部予科入学。1951年日本大学法学部卒業。


主な活動:
1951年北代省三、福島秀子、武満徹、秋山邦晴らと「実験工房」を結成する
1961-62年ニューヨークでオノ・ヨーコほか「フルクサス」のメンバーと交流。キースラーのアトリエを訪ねる
1970年日本万国博覧会三井グループ館チーフプロデューサーを務める
1972年ビデオによる芸術活動を目的とした「ビデオひろば」を結成
1977-92年筑波大学芸術学系教授
1981年ポートピア'81テーマ館顧問
1982年「グループ・アールジュニ」の結成に参加し、日本におけるハイテクノロジーアートの推進活動をはじめる
1990年淡路島芸術村計画の推進活動をはじめる
1992年- 筑波大学名誉教授
1992-97年名古屋国際ビエンナーレ、アーテック・ディレクターを務める
1992-99年神戸芸術工科大学視覚情報デザイン学科教授
1999年- 神戸芸術工科大学名誉教授
2000-02年環境芸術学会会長
2001年- 女子美術大学客員教授

主な個展:
1952年「山口勝弘 個人展」松島画廊,東京
1953年「山口勝弘 ヴィトリーヌ展」タケミヤ画廊,東京
1958年「山口勝弘・光とガラスによる作品展」和光ギャラリー,東京
1977年「山口勝弘 ビデオラマ展」南画廊,東京、ソニータワー,大阪
1978年「Katsuhiro Yamaguchi, Video Art Presentation」CAYC,ブエノスアイレス・アルゼンチン、「Katsuhiro Yamaguchi, Environment Video Art」Anthology Film Archive,ニューヨーク・アメリカ
1981年「山口勝弘 情報環境彫刻」東京画廊,東京
1984年「第4回オマージュ瀧口修造 山口勝弘ビデオスペクタクル 未来庭園」佐谷画廊,東京
1986年「山口勝弘ビデオスペクタクル銀河庭園」兵庫県立近代美術館,神戸、ラフォーレミュージアム・エスパス,東京
1991年「Radicalchip Contemporary Art from Japan」Chapter Art Center,カーディフ・イギリス
1992年「もう1つの山口勝弘展」茨城県つくば美術館、「山口勝弘 メディアサーカス」愛知県美術館
1995年「The 16th International Video Art Festival Retrospective of Katsuhiro Yamaguchi」ロカルノ・スイス
1996年「現代美術の手法(2)メディアと表現:品川工・山口勝弘」練馬区立美術館,東京
1999年「電脳影絵遊戯──夢遊桃源図」佐谷画廊,東京
2000年「闇2000光」下山芸術の森・発電所美術館,入善町・富山
2001年「山口勝弘展──ドラゴンストリーム」INAXギャラリー2,東京
2004年「山口勝弘〈1950年代〉ヴィトリーヌ関連ドローイングを中心として」横田茂ギャラリー,東京
2006年「メディア・アートの先駆者 山口勝弘展 「実験工房」からテアトリーヌまで」神奈川県立近代美術館 鎌倉、茨城県近代美術館。その他グループ展多数

主な著書:
『不定形美術ろん』1967,学芸書林
『環境芸術家キースラー』1978,美術出版社
『作品集 山口勝弘 360°』1981,六耀社
『冷たいパフォーマンス──ポスト・モダン講義』清水徹と共著,1983,朝日出版社
『パフォーマンス原論』1985,朝日出版社
『ロボット・アヴァンギャルド─20世紀芸術と機械』1985,PARCO出版
『映像空間創造』1987,美術出版社 
『メディア時代の天神祭』1992,美術出版社 
『UBU 遊不遊』1992,絶版書房

■参考文献
ヤシャ・ライハート、太田泰人、井口壽乃、クリストフ・シャルル、山口勝弘『メディア・アートの先駆者 山口勝弘展 「実験工房」からテアトリーヌまで』図録,2006,美術館連絡協議会
山口勝弘「山口勝弘データベース」(http://www.threeweb.ad.jp/~yamart/)2006.3.5
石山修武「石山修武研究室 山口勝弘ギャラリー」(http://ishiyama.arch.waseda.ac.jp/www/jp/ykonthetime.html)2006.3.5
田中三蔵「美術 山口勝弘展」朝日新聞(夕刊)2006.2.23,朝日新聞社
野原泰子「スクリャービンの「共感覚」」『フィルハーモニー』2006.2.1,NHK交響楽団
「山口勝弘インタヴュー 教育のアヴァンギャルド」『InterCommunication No.31』p.116-p.125,2000,NTT出版
住友文彦,森本祥倫,四方幸子『「アート&テクノロジーの過去と未来」展』図録,2005.10.28,NTT出版
「山口勝弘インタビュー──生い立ち、学生時代、ヴィトリーヌ、実験工房、瀕死の芸術観(聞き手 五十殿利治)」『総合造形』p.47-p.84,1992.3.10,筑波大学芸術学系
山口勝弘『作品集 山口勝弘 360゜』1981.3.16,六耀社
2006年3月
[ かげやま こういち ]
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