「視覚文化論」という言葉も最近では日本語に定着してきたようである。「高級」な文化と「低級」な文化の区分を支える価値規範が批判にさらされ、あるいはそうした区分そのものが自ずと有効に機能しえなくなり、自律的な領域/活動を包摂する「芸術」というカテゴリーがますます自明なものでなくなってきた状況のもと、視覚文化論は、狭い意味での造形芸術にとどまらない視覚的表象一般を対象として扱いうる研究領域として美術史を鍛えなおすことをその企図とし、80年代以降アメリカを中心に徐々に人文諸科学のなかに浸透してきた。一方に比較文学、他方にメディア論を隣接領域として抱えつつ、この新しい研究領域は今では英語圏のみならず、日本語でのアウトプットを含み世界的に高い生産性を見せているようだ(最近の成果として前者に坪井秀人『感覚の近代──声・身体・表象』、後者に和田伸一郎『メディアと倫理──画面は慈悲なき世界を救済できるか』を挙げておく)。この動向は、80年代以降アングロ・アメリカの批評言説でカルチュラル・スタディーズが主流の位置を占めつづけていることと無縁ではない。今や「芸術」や「文学」に変わって「文化」が新たな価値の生産と流通の場となる。私たちは、「言語論的転回」(リチャード・ローティ)になぞらえて「文化論的転回」と呼ぶにふさわしいこの人文諸科学の変動の余波のなかにいるのだ。この転回は、すべてを説明しようとする野望において先行する諸転回に匹敵するのだが、異なるのはそれを根源的に支える説明原理を欠いている点である(もっとも、それが望ましいことなのかどうかをここで問うつもりはない)。
さて、視覚文化論はこのように人文諸科学全体の傾向に足並みを揃えて登場しただけではなく、そこには美術史という学的領域に内在する問題意識から発せられた企図もある。岡田温司の新著『『ヴィーナスの誕生』──視覚文化への招待』はそのことを安定感のある平明な文体で明らかにする好著である。ボッティチェッリの二枚のマスターピース、《ヴィーナスの誕生》と《春》を徹底的に読解しながら、岡田は同時に美術史がこの一世紀のあいだに辿ってきた理論の変遷をも鮮やかに描き出す。そこで浮上するのは、絵画に描かれた主題やモティーフを同時代の言説の布置のうちで読解し、その結果、視覚的な表象を言語的な観念や思想に還元してしまうエルヴィン・パノフスキー流のイコノロジーの方法である。岡田は、二十世紀の美術史の言説を支配してきたこの方法のロゴス中心主義に懐疑の眼を向け、それに対して、ボッティチェッリのイメージをロゴスの束縛から解き放ち、それらがルネサンスの祝祭空間において喚起してきた情動へと開く読解の道筋を示してみせる。イメージを情念の表出として理解すること、それは、イコノロジーという方法をその創始者アビ・ヴァールブルクの企図へと差し戻すことをも意味している(ありな書房から著作集も続々と刊行されている近年のヴァールブルクブームについては田中純の『アビ・ヴァールブルク──記憶の迷宮』がまだ記憶に新しいが、それに匹敵するジョルジュ・ディディ=ユベルマンの大著『残存するイメージ──アビ・ヴァールブルクによる美術史と幽霊たちの時間』が最近翻訳紹介されたことを付記しておきたい)。この、いわば美術史の先祖返りにおいて目指されるのは、イメージをロゴスとの対照関係から解放し、「見ること」と「読むこと」のより錯綜した布置のうちでイメージを解きほぐしていくことである。ところで、このイメージのロゴスへの従属こそが、自律的な形式としての芸術というモダニズムの神話のひとつのかたちを裏で支えてきた前提ではなかっただろうか。このようにして、「芸術」という価値規範に向けられた視覚文化論の問題意識は、美術史における方法上の問題と表裏一体の関係にあることが確認されるのである。
感性的なものの表出の場としてのイメージという着想は、視覚文化論が拠って立つべき「視覚性」という前提をも新たに練り上げる潜勢力を持っているかもしれない。日本における視覚文化論の先駆けと呼ぶにふさわしい高山宏が精力的に紹介してきたバーバラ・M・スタフォードの新著『ヴィジュアル・アナロジー──つなぐ技術としての人間意識』がその可能性を垣間見せてくれる。圧倒的な博識を背景にこの著作が描き出すのは、一方で万物を類比的な存在の秩序のうちに見るアナロジーの系譜と、他方で事物を断片化し離節的な関係に置くアレゴリーの系譜の両極が織りなす壮大な歴史である。グノーシス主義におけるアナロジーとアレゴリーの複雑な絡み合いからライプニッツのモナド論における一と多のアナロジー的連合まで、様々な図像を駆使して自説を例証しながら、最終的にロマン主義の精神が表象秩序にもたらしたアレゴリー的亀裂がポストモダンのブリコラージュ的精神に至るまで尾を引いているのだとスタフォードは看破する。そして、それに対して彼女は、近年のメディア・アート、そして情報科学、知覚理論の成果を自由に引用しながら、「根本的に参加的(participation)な知覚様態」としてのアナロジーの復権を神経系美学の構想に求めようとするだろう。イコノフィリア(イメージ好き)を自称する彼女ではあるが、そのようなアナロジー学の構想は、五感のエコノミーのうちに配分された視覚という様態を超え、眼で聴くこと、あるいは眼で触れ、嗅ぐことへと共感覚的に溢れ出していく。
ここで、視覚文化論がその対象とする「視覚」とはなんなのか、この基本的な事柄を確認しておく必要があるだろう。例えば視覚文化論と同じ発想で聴覚文化論という領域を構想することは可能である(パイオニア的な細川修平『レコードの美学』や渡辺裕『聴衆の誕生──ポスト・モダン時代の音楽文化』に始まり増田聡の最新刊『聴衆を作る──音楽批評の解体文法』まで、すでに日本語での着実な成果を上げていると言うことすらできる)。しかし、同じようにして触覚文化論や嗅覚、味覚文化論を想像することは──アラン・コルバン『においの歴史──嗅覚と社会的想像力』のような傑出した例外を除いて──困難であり、おそらくそうした固有の研究領域が今後立ち上がることはないだろう。その背景には、近代において美術と音楽が、そしてそれらのみが、芸術ジャンルとして文学に比肩しうる地位を獲得するのに成功した、という事情がある(だから、もし料理が同様の地位を獲得していたなら味覚文化論は確かな領域を築き上げえたはずだ)。しかしながら、こうした芸術ジャンルのポリティクスは、五感のうちでも眼と耳を、なかでもとりわけ眼を「高尚」な感覚とみなす言説の歴史と無縁であったわけではない。それらはともに切り離せないかたちで歴史的な所与として与えられており、どちらが先かを言うことはできないのだ。
このような五感の配分をめぐる言説空間の延長上に、例えば聴覚的な口承文化から視覚的な文字文化への歴史のダイナミクスを辿ったマーシャル・マクルーハン『グーテンベルクの銀河系──活字人間の形成』や、それを明快な二項対立に書き直したW・J・オング『声の文化と文字の文化』がある。ここでは視覚と聴覚の二極が、スタフォードにおけるアナロジーとアレゴリーのようにして、歴史を規定する対立軸として浮上させられる。しかし、注意深く考えてみると、この視覚と聴覚の二項は、感覚の文化における範例的なものとして際立った対照をなしてすでに場を占めているとしても、相補的であれ対立的であれ、感覚の諸領域を埋め尽くす関係性を形づくっているわけではない。そのことに敏感であったマクルーハンは、視覚的な文化に対比させながら、口承文化をしばしば聴覚-触覚的と特徴づける。そして、この聴覚に付与された余計な触覚という第三項こそが、一方では諸感覚の場そのものを与える共通感覚的な類比性として、他方では、視覚優位の感覚秩序に抗う反視覚的な夾雑物として、修辞的な機能を果たすことになるのだ。スタフォードがイメージの領域に見いだすアナロジーとアレゴリーの対立は、おそらくこの触覚の修辞学上の両義性に対応している(その点において、スタフォードをマクルーハンの後継者と位置づける高山宏の評価は極めて的確なものである)。
視覚の領域から出発してそこを超え出ていくもうひとつの極めて重要な最近の貢献として、ジョナサン・クレーリー『知覚の宙吊り──注意、スペクタクル、近代文化』を挙げておきたい。待ち望まれていた日本語訳再刊が果たされた前著『観察者の系譜』の問題意識を引き継ぎ、本書は知覚をめぐる19世紀末の膨大な科学言説群を自在に操作しながら、マネ、スーラ、セザンヌそれぞれ一枚ずつの絵画を対象に、そこに見られる「注意」という知覚の様態を描写する。ここでの「注意」とは、カメラ・オブスクラ的な視覚の明証性を失った近代の主観的知覚に規範として要請されるものであり、ベンヤミンが「散漫」として際立たせた近代的な受容の経験と相補的であるばかりか、むしろそれを条件づけているとクレーリーは主張する。このようにして盲目性と相関関係にある注意という問題構成に着目することによって、クレーリーのこの大著もまた、視覚の秩序の内側から非視覚的な感覚モードを──スタフォードとは逆向きにではあるが──析出しているのである(なお、こうした非視覚的な視覚性という着想については、クレーリーも論考を寄せているハル・フォスター編『視覚論』も参考になる)。
さて、これまでに素描してきた非視覚的な様態を際立たせるものとしての触覚の修辞学的両義性を、共通感覚的な相互作用の相から諸感覚の総合に抗う外部性へと執拗な手つきで脱構築してみせるのが、ジャック・デリダの膨大な日本語訳リストに最近付け加えられた『触覚、ジャン=リュック・ナンシーに触れる』である。終始ナンシーのテクストに寄り添いながら本書でデリダが通り抜けるのは、アリストテレス『魂について』に始まり、18世紀に渉って展開された感覚についての哲学的議論(ここではとりわけメーヌ・ド・ビランによって代表させられる)、そしてフッサールとメルロ=ポンティの現象学へと至る──しかし、デリダはここでもとりわけフッサールに執着しているように思われる──、触覚についての哲学的議論の長大な蓄積である。触覚は自己の身体において生きられる直接的な経験の現前性を保証し、その点において他の感覚に範例を与え、条件づけている、というように哲学上の触覚中心主義を要約しつつ、そうした前提を支えるテクストを脱構築的に読解することで、デリダは無媒介的な現前性がすでに被っている空間化とそこに再帰的に取り憑く外部性を指摘する。このようにしてデリダは初期の記念碑的な『グラマトロジーについて』における現前性批判を触覚という主題に沿って再演してみせるのだが、ここではその傍らに触れられる幾つかのモティーフにも注目しておきたい。「プシュケは延長されているが、それについては何も知らない。」フロイトの遺稿ノートに見られるこの言葉を繰り返しナンシーから孫引きしつつデリダが際立たせるのは、純粋経験の現前性につねにすでに介在している空間化であるとともに、触覚の非知性に関わる幾つかのモティーフ、例えば体内化や排出、贈与、そしてとりわけ、禁止のアポリアである。『私に触れるな──ノリ・メ・タンゲレ』。デリダのナンシー論とほぼ同時期に翻訳紹介されたこの小さな書物でナンシーは、イエスの復活に邂逅するマグダラのマリアの絵画表象を分析しながら、接触をめぐる法と信のプロブレマティックを差し出している。それは、デリダの愛情に満ちた問いかけへの応答と読むこともできるのである。
視覚から触覚へと辿ってきたこれまでのナビゲーションは、美術史のもうひとつの先祖返りをほのめかしていたかもしれない。すなわち、コンラート・フィードラーからアドルフ・フォン・ヒルデブラント、ハインリヒ・ヴェルフリン、アロイス・リーグルに至る前世紀転換期のもうひとつの美術史の源流である。「純粋可視性」を標語に掲げ、美術史の対象を眼に対して現れる絵画面に限定する彼らのフォーマリズムは、理論を純化させていく過程で、遠隔視/近接視、あるいは視覚/触覚という二項対立のかたちで視覚の秩序のなかに再び触覚性を導入する(ヴェルフリン『美術史の基礎概念──近世美術における様式発展の問題』参照)。ヴァールブルクとは異なり、自律的な領域としての視覚芸術というモダニズムの神話に奉仕するものと通常は理解されることの多い彼らの言説ではあるが、そこに紛れ込んだ触覚という比喩形象の脱構築的な読解は、美術史を書き換える視覚文化論のプログラムをさらに非視覚性へと開くもうひとつの可能性を提示しているように思われるのだ。
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