[ふくだ けいさく/建築構法・建築生産、シェルター研究] |
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移動。旅。遊動。遊撃。札幌、香川、京都、奈良、大阪、バンクーバー、福岡。そしてこの秋は、リオ・デ・ジャネイロ、サンパウロ、カラカス、ジュネーブ、パリ、ロンドンへと遊動、遊撃の日々は続く。仮説をたて、行動し、移動と出会いを重ねていくこと。僕はどこへ行くのだろう。内省するのではなく、新たな出会い、再会、歓待、微笑、発見、歓喜、悲しみ、別れを重ね、それらの一つひとつを慈しむことで、仮説は検証され、僕はもうさっきの僕ではなくなっていく。もちろん、遊動と遊撃の日々に戦略、戦術は不可欠だ。東京を歩き、出会ったり、反応したりした本たち。誰かに勧められ、自然と僕のもとへやってきた本たち。それらの本のなかで出会ったフレーズ、言葉、人、息づかいは、いつの間にか僕の戦略、戦術へと変わっていく。僕の遊動、遊撃の日々をナビゲートしてくれる本たちが、あなたのナビゲーションになるように。
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▼ナビゲーション1
「ゲリラ戦士にとって一番大事なことは、殺されないようにすることだ」 (p.25)
「ゲリラ戦士に要求されるもうひとつの基本的特質は柔軟性をもち、あらゆる環境に適応し、戦闘中にどんな思わぬ事故がおきてもそれを逆用する能力をもつことである」(p.32)
『ゲリラ戦争』のなかでのチェ・ゲバラの教え。まずは、生きること。そして柔軟であること。限られた資源、限られた資金、限られた状況のなかで、 最大の効率と最大の効果を得ること。 使えるものをすべて投入し、押し、引き、 攻め、逃げ、信頼関係を軸にしながら活動を続けて行くこと。僕らがなにかを強く想うとき、僕らがなにかを始めるとき、そして僕らの手元になにもないとき、僕もあなたもゲリラになる。遊動と遊撃の日々の始まり。そう、いま、ここで。
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▼ナビゲーション2
「こんな本質的に計画の立たない世界のなかにあって、私たちはどうやっていけばいいのか? ひとつ経験的に私が覚えたやり方は、まず、すこしやってみるということだ。歩きながら考えること。さらにいえば、歩くことこそ考えることであると思う。そしておかしいと思ったら、すぐにやめる。やり方を変えて、またやりなおす。やることも、やめることも、ともに恐れるべきではない」(pp.29-30)
『この惑星を遊動する』のなかで、芹沢高志氏は、断章という形態をとりながら、遊動のためのオペレーショナルな断片を、文字通りプリコラージュしている。芹沢さんは僕に、バッキー・フラー、ブルース・チャトウィン、ジョン・ケージ、そして遊動することを教えてくれた。2005年、東京、ある夜。浅草からのTaxiの中で芹沢さんは僕に告げた。「人生なんて、事故みたいなもんだよ」。
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▼ナビゲーション3
「人生は意図せずに始められてしまった実験旅行である」(p.49)
リスボンを歩き続けた男、フェルナンド・ペソア。歩き、感じ、見て、書く。僕が『不穏の書、断章』に出会ったのは、夜の青山ブックセンターだったと思う。「もうずいぶんまえから、私は私ではない」。この本に出会ったことで、翻訳者の沢田直氏と出会い、そして彼からCaetano VelosoのZera a Rezaの歌詞は、ペソアのことを歌っているのだと教えられた。意図せずに始められ、意図せずに繋がっていく実験旅行。ブラジルで出会う新たな友と、僕はペソアの話しをするだろう。
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▼ナビゲーション4
「サラエボへ来るときには、よく計画を練り、準備すること。それがあなたの人生で一番大事な決定事項になるかもしれないからだ。(…中略…)いつ食事を抜いたらいいか、いかにしてトラブルをジョークに変え、困難な時に落ち着いていられるか、考えておくべきである。感情をあらわにしないことを学び、なにごとにも苛立ってはならない。地下室で眠ることを覚悟し、危険に囲まれた中でつとめて歩き、仕事をするように。今までの習慣は全部捨てること。電話が通じていないときは笑い飛ばす。しょっちゅう笑うことになるだろう。ともあれ、嫌がらずに」(p.93)
1992年4月から1993年4月にかけて、サラエボ包囲戦の最中に執筆された『サラエボ旅行案内』。絶望とユーモア、サバイバルと想像力の関係に関する、奇妙でリアルな教え。
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▼ナビゲーション5
「広がりとその接近可能な神秘とを保存せよ。自らの岸辺から発見と征服の旅に出発することなかれ。旅においてはなりゆきにまかせよ。あるいはむしろ、よそから旅立ち、自分の家と源泉があるここに遡及せよ。移動のための最も迅速な、あるいは、最も快適な手段をかけめぐるのと同じくらい、想像界へ走れ。膨張した大地に未知の品種を植え、山々を連結せしめよ。火山と貧困の中へ降りていけ、見えるものも、見えないものも同様に」(pp.53-54)
世界の複数化、列島化を注視し、そのざわめきを思考と言葉に変換した『全-世界論』。旅と発見、言葉の存在と想像界のあわいを記述する方法。COW BOOKSの吉田さんと、「世界の記述の方法」について話していたとき、彼が僕にこの本を教えてくれた。すべての記述を試みること。よく聴いて、よく耳を澄まして。
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▼ナビゲーション6
「僕は旅が好きだった。そして幸運にも、これまでさまざまな景色や、香りや、興奮を、胸の中にためてくることができた。おかげで、ただ青灰色の空を見つめるしかないここでの日々にも、その思い出をもとに、再び旅立つことができる」(p.125)
『ELLE』の編集長として、第一線で活躍していたジャン=ドミニック・ボービー。突然のLIS発作によって全身麻痺に陥り、「潜水服」に閉じ込められ、たくさんの「蝶々」と出会うことを祈り続けた。僕はこの本のことを知ったとき、すぐに自転車に乗って本屋へ向かった。そして、『潜水服は蝶の夢を見る』は、瞼と想像力を使った、エレガントな旅の存在を僕に教えてくれた。
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▼ナビゲーション7
「ゆこう どこかにあるはずだ もっとよいくに よいくらし!」(p.6)
そう叫び、タイコたたきたちは旅に出ていく。町を出て、丘へ谷へ、城壁のある町へ。戦い、海を超え、森を抜け、全てを忘れてしまう。自分たちのことも、自分たちが旅に出た理由も。旅の衝動に「もっと」というオブセッションはつきものだ。「どこか」にある「なにか」を求めて旅に出るあなたは、『タイコたたきの夢』を1度読んでおくことをお勧めする。
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▼ナビゲーション8
あなたの眼の前にある風景に、風に、気配に触るとき、写真は、まるで鉱脈を掘り当てるダウンジングのような役割を果たすときがあるだろう。
『In-between 11 吉増剛造 アイルランド』のなかで、カメラを持った吉増剛造は、いま、ここ、いつか、どこかに同時に反応し、触りながら、旅を続けていく。見て、撮るのではなく、反応し、気付くために写真は旅に有効だ。吉増さんは僕に、「何回も行くこと。何回も触ること」を教えてくれた。そう、旅は一回で終わりではない。さあ行こう、もう1度あの場所へ。あの風景と、あの人と再会するために。
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▼ナビゲーション9
旅を続けるなかで、言葉が少なくなっていく。沈黙のあいだ出会ったものたちは、自分のなかで反芻され、沈殿していく。しかし、『トラベル』は沈殿を許さない。ただ一点を見つめ、一言も発することなく、音の気配だけをはっきりと感じさせながら、列車とともにどこかへ去っていく。横山裕一がフランスで先行発売していた同作に大幅に加筆を加えて発行された、日本オリジナル完全版。日曜の午後、東京を歩いていて僕はこの本に出会った。迷わないという戦略。目的はいらない。ただ、列車に乗ればよい。
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▼ナビゲーション10
旅の終わり。旅の始まり。もう僕はさっきの僕ではないし、あなたはさっきのあなたではない。遊動、遊撃の日々は続く。僕は南へ、そして西へ向かいます。どうか良い日々を。遊動、遊撃の途上のどこかで、きっとあなたにお会いできることを愉しみにしつつ! |
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