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蔵の読書放浪記──俗っぽさと情けなさ、その圧倒的な強さについて
蔵真墨
[くら ますみ/写真家]

 あんまり本をたくさん読むほうではないが、今まで読んだ本の中で一番好きなのは林芙美子の『放浪記』だ。なんとなく見ていたテレビで舞台版をやっており、面白そうだなと読んでみた。日記という形式をとった私小説である。器量は良くなく生まれも良くなく男に捨てられお金もない彼女が工場で働いたり内職をしたりカフェーで女給をしたりする日々の描写が続く。夜店でものを売っていると道行く女たちにクスクス笑われるようなナリをして、「夫」にタワシや茶碗をなげられ、白菜の残りを食べて白飯の食感を空想したりする。もうすごいのなんの。そういう生活のなかでも彼女は文章を書き続けようとするのだが生活のための仕事に疲れていては「速くノートに書きとめておかなければ、この素速い文字は消えて忘れてしまうのだ。(…中略…)鉛筆を探しているひまに、さっきの光るような文字は綺麗に忘れてしまって、そのひとかけらも思い出せない」私のような写真家は常に金と時間に不足しており、もう感情移入せざるをえない。ラストのところ、拾ったニ銭銅貨と戯れる幸福なひとときを描いた詩に至っては号泣である。と、書いてこれって自己憐憫というんだろうなと恥ずかしくも思う私であった。

 その林芙美子が「偉いひと」と尊敬するのが樋口一葉。彼女はお金に窮して死んでしまったとも言える貧乏の大御所である。一葉の短編8編が収められた文庫『にごりえ・たけくらべ』を読んだ。8編すべて主人公は皆、お金に困った若い女性である。ただ、こちらは『放浪記』とはちょっと様相が違う。作品は一葉の観察や経験に基づいてはいるけれど私小説ではなく、そして鮮やかで美しい視覚イメージを想起させる。『たけくらべ』では冒頭部分で主人公、美登利をとても丁寧に紹介する。長い髪、良家の令嬢もしているという流行の髪型、色白であること、鼻筋が通っていること、清々しい声、愛敬ある目、さらに身につけているものの描写も細かく、浴衣の柄や帯の種類、帯の結び方、履物にまでいたる。また物語の重要な小道具となる切れた鼻緒を結ぶための友仙ちりめんの布の紅色や水仙の作り花の黄色が目に浮かぶ。『十三夜』で美貌のお関が月の美しい夜に「大丸髷に金輪の根を巻きて黒縮緬の羽織何の惜しげもなく」うつむきがちに歩く姿はまさに絵のようだ。と、なんで彼女たちがそんなに裕福な様子なのかというと前者は姉が遊女で美登利もまた近い将来遊女になる定めであるからで、後者は家が貧しいため、金はあるけど愛がない夫と離縁したくてもできない身の上だからなのであった。つらいのー。ちなみにそういう身を落として着る贅沢な着物のことを腐れ縮緬着物と言ったのだそうだ。ああ一葉さま、五千円札を手にするたびにあなたのことが、そして芙美子さまのことが頭をよぎりまする。

 という「金だ金だ金が必要なのだ!」(by 芙美子)という二人に比して少し贅沢な悩みを描くのが宇野千代の『おはん』。男が昔の妻と今の妻の両方に魅かれ、揺れ、動くというお話し。登場人物の一瞬の息づかいが伝わってくるような臨場感とスピード感に引き込まれ一気に読了。それにしてもこの男の優柔不断さは尋常ではない。捨てた女房おはんに偶然会うや急に恋しくなり、また会おうと誘うも今の女房おかよのいる家に帰ると気楽な気持ちになる。おはんに会うと撚りを戻したくなり、おかよのところへ帰ればそここそが我が家だと思う。おはんと暮らそうと決心するも四カ月ほったらかし。ありえないだめんずだが、それがありうるのが宇野千代ワールド。著者あとがきには小説のモデルは千代自身で男とおはんとおかよの三人ともが自分なのだというように書いている。実際、彼女の自叙伝『生きて行く私』にはまさにその通りの生き方が綴られている。北海道で一緒に住む夫に、応募した懸賞小説のことが気になるから東京に行ってくる、折り返しすぐ戻ると言って発つのだが東京で賞金を得た彼女はその金を母や弟妹に見せてやりたくなり実家の岩国へ向かう。それから北海道へ帰る予定だったが途中立ち寄った東京で後の同棲相手と出会い、もう北海道へは帰らないという具合。その後の恋愛遍歴も奔放で豪華絢爛。そこまで恋愛に情熱を持って素直に行動できる彼女を私は羨ましいと思う。

 そして時代は飛んで中村うさぎの『私という病』。『ショッピングの女王』の頃から私は彼女のファンだ。ブランドモノに対する軽蔑とねじれた憧れは私にもある。その辺から魅かれていったのだが彼女は問題をどんどん突き詰めていった。ブランドモノを買い漁り、ホストにはまり、そのホストクラブにやってくる若い女性客と張り合うために美容整形を繰り返し、ホストとの関係の中で自らの性的価値について考えるようになり、新宿歌舞伎町でデリヘル嬢として仕事をする。その愚直で凄まじい道のりを真摯に、かつ冷静な部分は笑いに昇華させて書いてきた。多くの女性がはまる社会現象について身をもって代弁してきたと言える。そして中村は東電OL事件について書き始める。エリートキャリアウーマンはなぜ夜は娼婦に変身していたのか? 説明不可能とも思える欲望の複合体に中村は挑む。ここへきてブランドモノから東電OLまでが一直線につながり、すごい境地へ到達した。体当たりで自ら俗にまみれて書く中村うさぎの姿を私はかっこいいと思う。

 そういう濃ゆーい世界の実写版とも言えるのが、ナン・ゴールディンの写真集『THE BALLAD OF SEXUAL DEPENDENCY(性的依存のバラッド)』。写っているのはベッドルームでのナンと夫、二人のスナップ、ナンの両親のポートレイト、女性、男性、カップル、結婚式、子供、キスをするカップル、ベッドルームのカップルなどなど。レズビアンやホモセクシャルや女装をした人も含まれていると思われる。そのなかの一枚、夫に殴られた後のナンのセルフポートレイトが凄い。左目の白目が充血して真っ赤で目の周りは腫れ黄色から茶色のグラデーション。右目の下にはクマのように赤茶色の内出血の痕。髪はばっちり整っているとは言えず、額や首には皺があり、あごのラインは首からじんわり押し寄せる肉でゆるやかだ。ほとんど化粧はしていないけれど充血の赤に似た口紅の赤だけぴりりとしている。他の写真で彼女はもっと美しいがこの写真に一般的な美しさはない。そしてその美しくないということがとても大事だと思う。写真は一枚では分からない。この一枚もその他のたくさんの写真があるからこそ凄みが出るのだが、凝縮された一枚だ。興味深い。

 そのナン・ゴールディンの一枚を私に紹介してくれたのが鷹野隆大である。今年の木村伊兵衛写真賞を受賞したイケメン写真家だ。受賞作『IN MY ROOM』におさめられているのはすべて男性の、ほとんどがヌードである。マッチョな人、丸みのある女性的な体型の人、細身の人、女装をした人、ズボンをおろしている人、彼らは魅力的でエロティックな雰囲気もあるけれど清潔な感じがする。主に白バックなどシンプルな背景で撮影されているので、ほくろや陰毛の生え方、腕に浮き立つ血管といった身体の表情が際立つ。2006年4月号の『アサヒカメラ』に受賞記事があり鷹野は受賞の言葉として、かつての恋人であり長年のパトロンであった「マサ」への感謝の言葉を書いていた。鷹野ファンとしてマサとはどんな人だろうかという興味がわき、たぶんここに名前があるのではと写真集の終わりのほうにあるモデルの名前リストを見てみた。あったあった、29ページね、ふんふんとそのページを開くと見開きで左ページは鷹野のヌード、右ページはマサのヌードであった。はー!?……ははーん!!隣にいるというのもナンだけど、本を閉じれば二人はぴったりと密着するということになるではないか。私はその仕掛けに、やらしぃ〜!と唸り男のエロの執念深さを見てファンとしてはやはりむむむむと嫉妬したわけだ。展覧会で写真を見るのとは違う、本だからこその面白さと言えるが、アンタ、すでに完売となったその写真集は買われていった先々の家の本棚におさめられ、そこで二人は静かにずっとくっついてるんですよー!ちょっと、ちょっとー!!先に挙げたお姉様たちより業が深いんじゃないのー!

 いやー、本って本当に面白いですね。ってお前は水野晴男かーっ!と中村うさぎ風に自らにつっこみを入れつつこれにて失礼します。各作者の敬称(のようなもの)がバラバラなのは多めに見てやってください。
蔵真墨
富山県生まれ。同志社大学文学部英文学科卒業。東京ビジュアルアーツ中退。
主な個展=写真人間の街プロジェクト「東京-大阪」(ガーディアン・ガーデン、東京、2001)、「love machine vol.1-4」(photographers' gallery、東京、2002-2003)、「蔵のお伊勢参り、其の一 日本橋から川崎」「蔵のお伊勢参り、其の二 神奈川から箱根」(photographers' gallery、東京、2004)、「蔵のお伊勢参り、其の四 金谷から白須賀」(PLACE M、東京、2005)、「蔵の放浪記、第一部 新宿」(ゴールデン街こどじ、東京、2006)
主なグループ展=「Opening Exhibition」(photographers' gallery、東京、2001)、フォトネシア・光の記憶 時の果実「photographers' gallery展」(前島アートセンター、沖縄、2002)、「photographers' gallery展」(中京大学アートギャラリー C・スクエア、愛知、2003)、「人臭(ヒトシュウ)-猫臭(ネコシュウ)に抗うその強烈な」(空間実験室、青森、2003)、上映会「この夜の恍惚と不安」(space harappa、青森、2004)、「横濱写真館」(BankART1929、神奈川、2004)、「現在のポートレイト」(パルテノン多摩、東京、2005)
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