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青森県立美術館「縄文と現代」/国際芸術センター青森 秋のアーティスト・イン・レジデンス展「SUSPENDED─浮景」/ログズギャラリー「ガソリンミュージック&クルージング, in 青森」 |
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青森/国際芸術センター青森 日沼禎子 |
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上段より
・岡本太郎の展示室
・青木野枝《空の水》
・福田里香《青森の果実酒とシロップ2006》
・内藤礼《母型》
・真島直子《JIGOKURAKU 2000》 |
「ところで、青森の人たちにとって縄文土器って何?」。
「縄文と現代」展を観た直後の在東京のデザイナー氏に問われた言葉である。縄文土器って、何だろう? 筆者は青森生まれである。子どもの頃は地面を掘って土器の破片を発見した記憶があるし、地域の博物館には多くの出土品の展示や縄文土器づくり体験などもあり、格好の遊び場であった。だから、青森の人にとって縄文遺跡や土器は日常の一部であって、特別気にとめる存在ではないというのが本音のところ。もちろん身体的に蓄積された何かが、人々の感性に影響があるには違いないのだけれど。
さて「縄文と現代」展である。2006年7月に開館した県立美術館。多くの観客を動員したシャガール展の熱も冷めやらぬまま、開館記念展の第2弾として開催されたのが本展である。「三内丸山遺跡に隣接し、遺跡の発掘現場に着想を得たトレンチ部分に、上部から白い構造体が覆い被さるというコンセプトのもとに設計された建物は、まさに「縄文」と「現代」の融合によって成立した施設」(『縄文と現代』展カタログより)だという。ゆえに、「場」のあり方として青森県立美術館を考えるとき、「縄文」と「現代」をテーマとすることは必然であったと解説されている。英タイトルは「Art & Object」。さらにテーマをもう一歩掘り下げる要素として企画者が与えたのは「親和性」・「親縁性」というキーワードである。考古学的な視点に立てば、いまだ未知の部分が多く残されている縄文時代と、今私たちが生きているこの時代との比較、検証としての役割として。情緒的にいえば、遠い太古の歴史への憧憬と、地域性へのシンパシーを映す鏡として、この展覧会があるということなのか。ドメスティックな視点に立てば、縄文よりもむしろ現代芸術作品の方が、未知なる存在ではあるのだが。
本展に出展された作品は、「縄文」からは東日本を代表する縄文遺物が200点以上。「現代」からは戦後日本美術から音楽、ファッション、漫画まで、72名ものアーティストの多様な表現を紹介。それらを鑑賞する道筋としては、縄文土器、現代作品の中に見て取れるフォルム、色彩など視覚による分類。あるいは、現代作品の中に宿る祭儀、呪術性と、実際の祭礼への用途としての土器との並列、分類などである。ここでまた企画者の言葉を借りれば、こうした展示手法は単なる比較や見立てではなく、「私たちの意識を支配する「現代=進歩」、「縄文=未開」という二項的な図式を乗り越え、「プリミティヴ」という人間共通の「原初性」に気づくことにもつながる」のだという。そのことが、難解で、美しくないという現代美術への一元的な解釈を乗り越えて、表現の多様性を認め、理解が深まることを期待するのだという。作品を読み解く行為ではなく、あくまでも「場」のあり方について思考することを「誘発」するのが本展の主眼であるのだと。「縄文」と「現代」。その二つの時代を切り結ぶ役割が、芸術という思想であり、その結実した形としての作品や土器などの物体に委ねられているということか。
美術展の主眼を強く指し示したのは、展示室入口に据えられた、イタコ小屋(青森の霊場・恐山には、イタコの口寄せを聞くための小屋がある)を思わせる岡本太郎の展示エリアである。「縄文」の発見者である岡本太郎が東北を映したモノクローム写真と、火炎型土器が並ぶ。パリ大学でマルセル・モースから民族学を学んだ岡本が、日本の原点として縄文土器を再発見し、その後の人間の根源的なエネルギーに大きな影響を受けた事実を再現する。この小屋の中で私たちはイタコたちの声、そして岡本の言葉に耳を傾け、縄文と現代を巡る旅へと出発する。続いて、鈴木理策の「恐山」の写真展示の部屋へと繋がり、超現実の場として捉えられてきた恐山は、モノクロームからカラー写真へと移り変わり、何気ない日常の風景として転換され、切り取られる。
膨大な縄文土器と現代作品群の中にあって、青木淳設計による独特の建築空間をいかしたインスタレーションや作品がひときわ異彩を放つ。青木野枝、福田里香、内藤礼、真島直子らである。青木は土のギャラリーに、溶断した丸い鉄片を繋ぎ合わせて家の型をトレースしたようなインスタレーションを政策。面を持たない空洞の家の中に縄文土器群が並ぶ。料理研究家である福田は、地場産の果物と酒を使った果実酒を、長い時間が積み重なった「食の遺物」として提示。土壁・床のほとんど光の入らない空間にあり、ガラス瓶の中に宙吊りになっている林檎は、仮死の生物のようにも見える。祭礼の場を思わせる内藤の「母型」。暗闇の向こうから仄かな逆光に照らされ、無数に垂れ下がった糸がシルエットとなって浮かび上がる。真島直子の無数に増殖する生命体の広がりを思わせるモノクロームの線画と、得体が知れない生き物が生まれたての赤ん坊のように口をぱっくりと開け、ヌメヌメと地面から立ち上がるような立体作品は、まさしく生命の原初の形を彷彿させる。
イタコは口寄せによって霊界と実社会を繋ぐ巫女の役割とされてきたが、それは目の不自由な女性たちが自立して生きていくための立派な職業であったのだ。閉ざされた視覚は、別の感覚を研ぎ澄ました。女性たちは人々の心を読み取り、見えざる世界を言葉にし、癒しを与えた。そのことは、私たちが生きる世界を芸術表現によって繋ぎ止める術を持ったアーティストの存在は、とてもよく似ている。現代の巫女たちによる豊かな作品群。そう感じてしまうのは、筆者自身がこの土地に生まれ、繋がれてきたことへの親和の念からなのか。太陽であり、創造の源であったとされる女性たちによって、太古の時代から創造されたとされる世界の豊かさ。そうした想像に遊びながら、本展をみることができた。
労働と祭礼の中で暮らしてきた太古の人々から繋がれてきた現代。青森の地では、いまだその原初的なエネルギーが深く激しく脈打つ。人々が小さな頃から手のひらで包んでいた、一片の網目模様の土の固まりは、世界と繋がるために古代人から渡された鍵なのであろうか。か。
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上段より
・イザベラ・ヤダッハ《間に(数年後)》
・武内貴子《みつめつづける》
・タチアナ・プロイス《つぶやきの中のつぼみ》
・山口紀子《その空間の中で》 |
■国際芸術センター青森 秋のアーティスト・イン・レジデンス展・2006「SUSPENDED 浮景」
2001年に開館した国際芸術センター青森では、春は推薦型、秋は公募型によりアーティストを選考し、約3ヶ月間、年2回のAIRを行っている。本AIRでは公募により集まった130名以上の応募者の中、イザベラ・ヤダッハ(シュチェチン/ポーランド)、タチアナ・プロイス(ハノーファ/ドイツ)、武内貴子(福岡/日本)、山口紀子(東京/日本)の4名のアーティストが厳選な審査で選考された。03年に、「ジェンダーとグローバリズム」というテーマのもと、女性8名によるAIRを行ったことがあるのだが、今回はそうしたあらかじめの意図なく、偶然にもすべて女性アーティストが選ばれたことは、もしや必然なのか!? 前述したシャーマン的な力とも重なってしまう。
さて、「浮景」とは、蜃気楼の別名である。現実の世界が全く未知の風景として出現する様を、芸術作品と人々との出会いに例えた。古くから物語の源となり、科学的解明がされた現代でもなお、不思議な現象として人々を魅了する「浮景」。世界の中で宙吊りにされたような感覚を、各アーティストがどのように捉え、作品として表現するかが本AIRのテーマとなった。
ヤダッハは石膏をベースにした彫刻を制作。中国雑技団のようなアクロバティックな形をした人物像。空間にドローイングを描くように配置された線は、再現性と抽象性、床と空間の間で、堅さと脆さの間で宙吊りにされている。無数の白い紙を結びカーテン状にしたものを、高さ6mもの天井の上から吊り下げ、白い砂利石を床に敷いた武内によるインスタレーション。小さなものを結び続けることで、ヒューマンスケールを越えたものが目の前に立ちはだかる。そのひとつひとつを確かめるように、静かに石の上を歩き、無数の結び目の白の豊かさに心静かに立ち止まることのできる空間。プロイスのインスタレーションは、一見すると舞台美術の書割のようである。マンガの世界の中入り込んだように吹き出しや渦巻きが配置され、その中央には、隠れ家のようなあるいはゆりかごのような小さな部屋があり、観客はその中に寝転び、音と光に身を委ねるという作品である。現実社会から守られた世界の中でうずくまり、内在する自己と対話をする体験をもたらす。山口は、紙を「縒る」方法によって、巨大なネット状の作品を制作。光を取りこむ水景と対峙したギャラリーに、植物のような細胞のような線が、儚くも美しい影を作り出す。しかし、それらひとつひとつは縒ることによって強く結び付けられ、確かなものとして存在している。作品の一部は地域の小学生が着色した和紙を使っている。自分では使わない色との出会いと、子どもたちとの共同によって作品がより一層豊かになり、AIRとしての必然=結びつきを生んだ。4名の多様な表現は、強く自我を押し付けるのではなく、それぞれが凛とした光を放ちながら、ACACの空間に軽やかにゆらめく浮景を現出させていた。
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ログズギャラリー 国際芸術センターでのデモンストレーション |
■ログズギャラリー ガソリンミュージック&クルージング, in 青森
8年間の沈黙を破り、ログズギャラリーが遂に《ガソリンミュージック&クルージング》を再開。キーワードは「旅」。2006年9月から約1年間、全国の各都市を拠点としてドライブを行い、列島を横断しようというもので、北海道芽室を皮切りにスタートし、2つ目の拠点として青森でのプロジェクトを行った。
ログズギャラリーとは、浜地靖彦、中瀬由央によるアーティスト・ユニット。シトロエンXM-Xに高出力の音響システムを搭載し、走行音(車の走行に伴い発生するエンジンやウィンカー、風の音などのこと)をマイクで採取し、エフェクトを施してアンプリファイ。車内に搭載したオーディオを鳴らしながらドライブをする《ガソリンミュージック&クルージング》を内外の都市で展開している。一度のドライブはメンバー2名と搭乗者2名までの計4名(または3名)のみで行なう。1998年、シトロエンXM-Xを廃車登録するまで、大阪での活動を中心に約250回・500名の人々と共にドライブを行なってきた。
国際芸術センター青森の野外ステージ付近で行われたデモンストレーションでは、入念にチューンアップされ、新しく生まれ変わったシトロエンがサウンドを響かせた。ゆっくりとドアが開けられ、乗り込む濱地、中瀬。ドライバーの濱地がイグニッションキーをひねり、リアルタイムに取り込まれたウィンカーやワイパー、エンジン音を、中瀬がさまざまなエフェクターを使い増幅させていく。晩秋の森に囲まれたミニマルな安藤忠雄建築を借景に、排気ガスがスモークのように巻き上がる様は近未来映画のワンシーンを思わせ、集まった多くの人々を魅了した。翌日から、5回にわけてドライブが行われたが、走行ルートの状況、天候、風景、共にドライブする同乗者とのフィーリングにより変化するゆえに、移動する密室の中で行われたサウンドがどのようなものであったのかは、その場を共有していたものにしかわからない。どれだけ多くの観客動員を得たかがプロジェクトの評価基準とされる昨今にあって、その潔さから生まれる独自のライブ感、表現は秀逸。また、この度のプロジェクトでは車内にビデオカメラを定点設置し、映像及び車内の音声の記録を行っている。これらの映像は、空間実験室で行われたファイナルパーティーにて一部が上映されたが、この旅が終わるまでの膨大な旅の記録が、映像作品等の次なる展開に繋がっていくことも期待される。《ガソリンミュージック&クルージング, 日本横断, 2006-2007》の次回開催地は和歌山。その間、日本各地でデモンストレーション、トークショーなどをランダムに開催していく予定である。 |
会期と内容
●青森県立美術館「縄文と現代」
会期:2006年10月7日(土)〜12月10日(日)
開館時間:9:30〜17:00
会場:青森県立美術館
〒038-0021 青森市安田字近野185 Tel. 017-783-5242 / 017-783-3000 Fax 017-783-5244
主催:縄文と現代展実行委員会 (東奥日報社、日本放送協会青森放送局、青森県) 、青森県立美術館
●秋のアーティスト・イン・レジデンス展「SUSPENDED─浮景」
会期:2006年10月28日(土)〜11月26日(日) 10:00〜19:00
場所:国際芸術センター青森
〒030-0134 青森市合子沢字山崎152-6
Tel. 017-764-5200 Fax. 017-764-5201
主催:国際芸術センター青森AIR実行委員会、青森市
●「ガソリンミュージック&クルージング, in 青森」
【ドライブ】
2006年10月 22日(日)・23日(月)・24日(火)・25日(水)・26日(木)
【デモンストレーション】
日時:2006年10月21日(土)
時間:18:30〜
会場:国際芸術センター青森・展示棟屋外ステージ
ログズギャラリーサイト:http://roguesgallery.jp
日本横断2006-2007サイト:http://roguesgallery.jp/aj/
主催:空間実験室2006実行委員会、ARTizan
Tel. 017-775-8120 E-mail kukan06@jomono.ne.jp
http://artizan.fromc.jp/spacelab2006
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[ひぬま ていこ] |
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