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高野ランドスケーププランニング
《フォレスト・ガーデン》の一角 |
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浅野修《厩構造と投影(虚と実)》 |
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板東優《カムイのサークル》 |
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ディディエ・クールボ《七つのダイヤモンド》 |
北海道東部の中核都市・帯広から西に約30キロ、車で約45分の山のふもとに、その施設「十勝千年の森」はあります。酪農の跡地を中心におよそ400ヘクタールにおよぶ敷地では、地元の新聞社が母体となって、森林の育成が進められています。新聞の発行によって生成される二酸化炭素を、それを吸収する木々を植えることで相殺しようというカーボンオフセットの考えに基づいて展開されているこの事業、最終的には1,000ヘクタールの森を目指しています。さらに特徴的なのは、ここで育成される樹種。シラカバやカラマツ、ポプラといった北海道の一般的な景観を彩る木々は、じつは明治以降の開拓のなかで移植されたもの。十勝千年の森では、これらが入る以前の森の景観をよみがえらせようと取り組んでいます。この計画は、国内外で先鋭的な造園計画を提案する高野ランドスケーププランニングと、イギリスを代表するガーデンデザイナーのダン・ピアソンによって手がけられています。
十勝千年の森のもうひとつの特色が、その広大な敷地の随所に点在するアートワーク。国内外の7作家による作品が設置されています。
浅野修の《厩構造と投影(虚と実)》は、すでに使われなくなった馬小屋を移築した作品。黒く塗られた柱や梁の連なりが圧倒的な力強さを見せます。もともとは外壁に覆われていた馬小屋のイメージと、むき出しにされた構造材。水面に映された幻影と、地面に起立する実体。整備された緑地と、かつてはここが牧草地であったという記憶。「虚」と「実」が幾重にも交錯する作品です。
板東優の《カムイのサークル》は、北海道の先住民族アイヌの伝承に基づいたもの。十勝と日高、山脈をはさんで隣接する二つの地域の鹿が争った際、神(カムイ)が現われて両者を取り持ったといいます。その話しになぞらえて、緩やかな起伏を描く緑のフィールドのなか、この土地の岩盤をなす巨大な麦岩石を車座のように配した作品です。目の前いっぱいに拡がる広大な景観に、心地よいアクセントを与えます。
敷地内にはこの他、岩井成昭、オノ・ヨーコ、インゴ・ギュンター、サミ・リンターラらの作品が設置されています。あるものはかつてこの地が農地や牧草地として使用されていたことに着目し、あるものは周囲の景観を生かしながら自然との調和を模索するというように、いずれもサイト・スペシフィックな作品となっています。
緑に覆われた風景のなか、作品を探しながら歩くのは爽快な気分。でも、ちょっと待てよと、思ったことが……。ここには水辺あり草地あり森林ありと、さまざまな自然の表情を見せてくれます。ところがそれは、無垢で手つかずの自然ではなく、計画的に整備された環境、人間の手が生み出した豊かな自然です。それはなにもこの施設に限ったものではなく、現代の日本においてはすべからく同じことがいえます。北海道の景観しかり、整備された登山ルートしかり。むしろ原始の姿をとどめた自然環境など、現代の私たちには苛烈すぎて、とても身近に受け止めることはできないかもしれません。そして、生活環境をすべて人工的に構築することが難しいのと同じく、一切人間の手に触れられたことのない自然環境を見つけ保持することも難しいのかもしれません。
なかばシニカルな気分になったときに出会ったのが、フランス人アーティスト、ディディエ・クールボの《七つのダイヤモンド》。はるかに山並みを望む敷地の一角に据えられた石碑、その表には「七つのダイヤモンドがこの土地の七つの場所に秘そかに置かれた」と刻まれています。実際にダイヤモンドが置かれたのかどうかは、さして重要ではありません。問題はこの一文によって、それまで単なる風景に過ぎなかったものが、不可思議な意味を持つ景観へと魔術的な転換を遂げることにあります。 既存の環境に最低限の手を加えることで(この場合は言葉を添えることで)、新たな意味を生成する。うん、これこそ「eco」かもしれない。自然と人間、自然とアートの関係は、けだし入り組んだもののようです。 |