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学芸員レポート
福島/伊藤匡愛知/能勢陽子大阪/中井康之|広島/角奈緒子
「ヒロシマ アート ドキュメント 2007」
しりあがり寿──オヤジの世界
広島/広島市現代美術館 角奈緒子
 現在、広島では、「ヒロシマ アート ドキュメント 2007」と題された、国内外の作家による現代美術展が開催されている。
 「ヒロシマ アート ドキュメント」は、「ヒロシマ」を新たな芸術の発信地とすることを目的とし、1994年に第1回が開催されて以来、今年で第14回目を迎える。手元にある展覧会資料によれば、「作家とともに実験的作品に挑戦してきた本展は、先駆的な『場』(サイト・スペシフィック)と取り組むことを重視してきました。『場』の先駆性と同様、重要な点は『ヒロシマ』を世界の作家がどのように捉え、作品表現するかです」とある。必ず広島市内に設定される展覧会会場は、これまでに何度か変更してきたようだが、ここ数年は、旧日本銀行広島支店に落ち着いている。旧日本銀行広島支店とは、建築家の長野宇平治の設計により、1936年に竣工された戦前の建物である。それから9年後の1945年夏、爆心地から約380メートルという近距離に建つこの建物も被爆を免れることはできなかった。しかしながら、この建物はその堅牢さゆえ崩壊することなく、よろい戸が開け放しだった3階部分以外は建設当時の様子をそのままとどめているという。そして現在、広島に残る数少ない被爆建物のひとつとして保存され、芸術・文化活動の発表の場として活用されている。まさに「ヒロシマ アート ドキュメント」にとって、最適の場といえるだろう。しかし、存在するだけで強いメッセージを発信するその「場」において、アーティストたちはさらになにかを発信しうるのか、はたまたしえないのか……。
アンドレ・スティット
アンドレ・スティットのパフォーマンス
提供=ヒロシマ アート ドキュメント
 今回の展覧会には、イギリス、フランス、日本、チェコの4カ国から5名の作家が出品している。初日には、アンドレ・スティット(イギリス)がパフォーマンスを行なった。《スマイル》と題されたインスタレーションには、白いシーツとわら人形ならぬ白い布人形が用意されており、そこで行なわれたパフォーマンスはさながら呪術的な儀式のような雰囲気をかもしだしていた。筆者は途中からしか見ることができなかったのだが、オーディエンスによって作られた結界の内で、スティットは自身の腕に自らナイフを入れ、にじみでてくる血でできた赤い丸を聴衆に呈示し、そして血のしたたる腕に白い肌着を押さえつけ、日の丸を出現させた。沼尻昭子(日本)は、各都市で集めた紙(見覚えのある商品パッケージや広告など)を使用したペーパーワークをインスタレーションという形で発表する。ここでは各都市の「場」のかけらが広島という別の場にもたらされる。アラン・ジョンストン(イギリス)は、4枚の正方形の白壁で作られた立方体の側面に、鉛筆で繊細な線描を施したインスタレーション作品を制作した。ミニマルであるという以外にとっかかりの見つからない作品につけられたタイトルは、《ヒロシマ:物が存在しない影》。ここでようやく、原爆投下時に、石の階段に熱線によって焼き付けられてできた人影のことを思い出す。アダム・ヴァカー(チェコ共和国)の《不鮮明な縞模様》は、横断歩道にチョークの粉を施し、そこを車や歩行者が通るたびに、つまり時間が経過するにつれ、チョークの粉が広がり横断歩道の縞模様の境が曖昧になっていくさまを撮影した映像作品である。時間の経過がもたらす曖昧性に、戦後60年以上経った今、戦争の惨禍を忘れ、その苦しみをうやむやにしつつあるわれわれの姿に重ねあわせることができるような気がし、身につまされる思いがする。クリスチャン・メルリオ(フランス)は、今夏、尾道市に滞在して制作された映像作品《お碗山での出来事》を発表している。テーマは「戦争」。出演者のせりふの中に「B29」や「爆撃」といった言葉が出てくることからそのことが窺える。ストーリーらしきものはあるが、その不条理なさまは、原爆で理由もなく命を落とした人々の、また生きながらえたものの苦しみとともに残りの人生を過ごさなければならなくなった人々の、どこにもぶつけることのできない、やり場のない複雑な思いを表わしているようにも思えた。
 広島という土地に現存する旧日本銀行広島支店という建物=場は、各作品に「ヒロシマ」を何重にも想起させる。この会場は、展示される作品にとっては幸か不幸か、強烈な力(パワー)を発している。サイト・スペシフィックということを考察するとき、広島で制作し、広島で展示した、という事実だけに甘んじてはならない。作品は、ヒロシマという場以上に威力を持つ場そのものとならなければならないのだ。
 参加作家が5名ということもあり、展覧会自体の規模の小ささは否めない。また、各作品の展示の仕方などについても、筆者としては若干気になるところがあった。しかしながら、このような展覧会が広島という都市で開催されることの意義は大きい。戦後60年を過ぎ、惨劇をまったく知らない世代ばかりになりつつある現在において、この展覧会はヒロシマ再考の「場(トポス)」のひとつとなるだろう。今後も引き続き開催されることを願うとともに、さらなる展開に期待したい。

●ヒロシマ アート ドキュメント 2007
会期:2007年8月25日(土)〜9月8日(土)
会場:旧日本銀行広島支店
広島市中区袋町5-16

学芸員レポート
 現在、当館地下1階ミュージアムスタジオにて、「しりあがり寿──オヤジの世界」展が開催されている。しりあがり寿が、『ひげのOL藪内笹子』『弥次喜多 in DEEP』などで知られる人気漫画家であることは、いうまでもないだろう。今回の展覧会は、彼が近年取り組みはじめたアニメーションをインスタレーションで紹介するものである。
 主役はもちろん、愛すべき「オヤジ」たち。アニメーションは実写映像を元に作られており、アクションしている人物の顔はすべて、しりあがり寿の描く「オヤジ」になっている。一言で「オヤジ」といえども、そこにはさまざまな顔をしたオヤジたちが登場する。あるオヤジは、まさにこれぞオヤジの典型という様相を呈している。彼を見ていると自分が知っているあるオヤジの顔が脳裏に浮かび、実在するオヤジと典型的オヤジとがシンクロするという妙な感覚を味わうことができる。
しりあがり寿──オヤジの世界
「しりあがり寿──オヤジの世界」会場風景画像
撮影=オーシマ・スタジオ
 会場は、大型スクリーン、6枚の縦長スクリーン、7台のモニター、風にはためく布(スクリーン)で構成されており、各アニメーションが自ら放つ光だけがぼぉーっと白む、ほの暗い空間となっている。映像作品のインスタレーションのために完璧にしつらえられた、いかにもクールな雰囲気がオヤジたちに似つかわしくなく、そのギャップに失笑してしまう。
 さて、そのオヤジたちは会場で一体なにをしているのか。
 あるオヤジたちは、健康のためになわとびをする。若干内股で跳ぶオヤジ、二重跳びに挑戦したもののひっかかってしまい、軽くうなだれるオヤジ。そこにはオヤジの哀愁が漂いながらも、ほんの少しの困難ではくじけないオヤジの意地が見え隠れする。また別のオヤジたちは、バック転、格闘(?)、ダンスなど、さまざまな動きを披露し、熱い戦いを繰り広げるオヤジたちに、拍手と声援がおくられる。また、このたびは作家たっての希望もあり、観客参加型の作品も用意された。ここで詳細を明かしてしまうと、参加する楽しみが半減してしまうかもしれないので作品内容についての明言は避けることにするが、この作品に参加する来館者たちは、オヤジのさらなる増殖に加担することとなることだけはお伝えしておこう。
 会場を縦横無尽に駆けめぐるオヤジたちは、「芸術」という概念に挑んでいるようにも思われる。そこにオヤジの底力を見るのは、筆者の考えすぎだろうか。世のオヤジたちもここのオヤジたちのように、「芸術」を敬遠するのではなく、「芸術」に果敢にチャレンジしてもらいたいものである。
 展示作業時に、しりあがり氏が「やっぱり全部同じ顔のオヤジにすればよかったかなあ」とつぶやかれていたことを思い出す。氏曰く、同じ顔でそろっているほうが、より「アート」っぽく見えるような気がするのだそうだ。しりあがり寿の描いたオヤジたちは、どのような動きを見せ、実際どのように見えるのか。是非とも会場に足を運んで、確認していただきたい。

●しりあがり寿──オヤジの世界
会期:2007年7月28日(土)〜10月14日(日)
会場:広島市現代美術館 地下1階ミュージアムスタジオ
広島県広島市南区比治山公園1-1/Tel.082-264-1121

[すみ なおこ]
福島/伊藤匡愛知/能勢陽子大阪/中井康之|広島/角奈緒子
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