開館20周年記念 コレクション+(プラス) ひびきあう音・色・形
「ピピロッティ・リスト: ゆうゆう」関連プロジェクト:6000系はゆうゆう |
|
香川/植松由佳(丸亀市猪熊弦一郎現代美術館) |
|
美術館が周年事業として開催する展覧会には、大規模な特別企画展やその美術館の収蔵作品に焦点をあてたコレクション展などがある。今年で開館20周年を迎える高松市美術館では「開館20周年記念 コレクション+(プラス) ひびきあう音・色・形」と題された展覧会が開催されている。 開館20周年とは言え、1949年に特別名勝でもある栗林公園内に開館という全国の公立美術館のなかでも古い歴史を持つ高松市立美術館を前身に、88年に市街地の中心地に移転、新築したのが現在の高松市美術館である。実際高松市民である筆者にとっても、旧美術館は栗林公園すぐそばの小学校時代から美術館を初めて体験した場所として馴染みのあったものであったし、美術館に勤務するようになった現在でも、「市美(しび)」という愛称で知られる地元の美術館としてその活動は常に気になっている。
|
展覧会タイトルに「コレクション+(プラス)」と題されているように、今回は「市美」のコレクションのみを出品するのではなく、3名の作家を選び、彼らの「音」を表現手段にした作品をあわせて紹介している。高松市美術館の収蔵作品と言えば地元香川の漆芸・金工と現代美術が核である。いずれも興味深い作品が系統だって収蔵されているが、1)戦後日本の現代美術、2)20世紀以降の世界の美術と2つの柱による現代美術コレクションの充実ぶりは周知の事実である。国内外の展覧会でも折に触れて、作品のキャプションに「高松市美術館所蔵」という文字を見かけることもある。特にここ数年、全国津々浦々の美術館において収集予算が減額され、なかには予算ゼロという数字も珍しくなくなっているが、そうした状況下の一方で確実に収蔵を続けてきた高松市美術館の関係者には敬意を表するところである。今展でも奈良美智による、2001年横浜美術館での個展開催時に出品されていたドローイング92点からなるインスタレーション作品《Time of My Life 2001》が特別展示されたのをはじめとして、マルセル・デュシャン、ゲルハルト・リヒター、アンディ・ウォーホルといった海外作家から草間彌生、田中敦子、高松次郎、河原温、杉本博司、日高理恵子、丸山直文、小林孝亘などなどの作品が展示室に並べられ、重要な美術館活動の一部を垣間見ることができる。 特別展示された奈良作品は除き、前述の作品選定は今展に参加した3人のアーティストによるところが大きいとのこと。藤本由紀夫、和泉希洋志の2名はほぼ自らが選んだ作品と自作展示をあわせて行なっている。西宮市大谷記念美術館で10年間にわたって続けられた「美術館の遠足」展や、昨年の和歌山、西宮、国立国際美での相次いだ個展も記憶に新しい藤本だが、美術館が収蔵する平面作品をチョイスし、自らの音を奏でる作品を持ち込むことで、視覚と聴覚の関係性を作品として成立させるという特性を見事に展示室内に完成させていた。また和泉はコレクションから杉本博司、チャック・クロース、ゲルハルト・リヒター、マン・レイ、アンディ・ウォーホルを選び、さまざまなかたちで音源として残る作家の声を収集しリミックス、各作品の下に展示したiPodから再生させ、作品ともども鑑賞させ、その制作者の音を聴くことで作品に思いをはせることができる。金沢の場合、コレクションの作品選出に関して言えば担当学芸員との協議の結果、最終的には学芸員に判断を委ねたとのことだが、金沢の作品の素材である鉄をたたくことでいかにコレクションを「風景」とした展示室の中で響くか、初日に行なわれた金沢本人によるパフォーマンスも、非常に興味深いものであった。
|
美術館の最も基本的な機能は、美術品の収集、保存管理、調査研究、展覧会企画である。それをいかに確実に実施し、継続するか。これまでもコレクション展として特別展形式で収蔵作品を紹介してきた高松市美術館だが、今回のように「音」の作品を加えて展示することで、鑑賞者に視覚的要素を必要とする作品を再認識させ、新たな発見をもたらすことに成功しているように思った。イヴェント的な特別展の鑑賞に流されがちな市民に、美術館の収蔵作品の重要性を理解してもらう努力は必要であり、それがひいては美術館活動への理解の一歩にもなると思う。
ただしあえて苦言を呈するならば、これだけの現代美術コレクションを収蔵する美術館であれば現代美術作家の個展やグループ展も積極的に企画、開催して欲しいというのが希望である。次の周年事業はいったいどのような展覧会になるのか、市民の一人としても期待したい。 |
|