有隣荘は、大原美術館本館から倉敷川の向かいにある旧大原家別邸。
設計は美術館本館を手がけた薬師寺主計、内外装は美術館の礎となるコレクションを収集した児島虎次郎が担当。アールデコ風の洋間に、京都の庭師小川治兵衛が手がけた二つの庭に挟まれた畳敷きの大広間が続く和洋折衷で、1928(昭和3)年に建設された。
現在は大原美術館の所有となり、1997(平成9)年から毎年春秋2回の特別公開を行ってきたが、昨秋の「有隣荘・福田美蘭・大原美術館」で現役作家に全体をゆだねる試みを始め、23の新作品群によって大評判となったのは、すでに昨年お伝えしたとおり。
そして今年は、中川幸夫。
花を素材に、常に孤高の前衛作家として高い評価を受けてきた中川は、昨年来、越後妻有アートトリエンナーレ2003のプレ・イベントとして空中から20万本のチューリップの花びらを散華した『天空散華』、霧島アートの森での大規模な個展、越後妻有アートトリエンナーレ2003への出品と同展ポスターのために写真家森山大道とのコラボレーション、そして東京銀座のメゾン・エルメスでの個展と立て続けに大規模な企画、展観を行ってきた。 さらに大原美術館での「有隣荘・中川幸夫・大原美術館」では、これまでの作品展示から新作インスタレーションに及ぶ完成度高い展覧会を作り上げた。
基本となる会場構成は、以下のとおり。
1階洋間に、これまで制作されたガラス器に、花の写真作品。
『花坊主』(1973)、『魔の山』(1989)など、大型写真パネルによるこれまでの代表作を中心に、10点近いガラス作品で空間を満たした。
続く1階の和室広間は、中川が今回のメインと考える新作オブジェ。
下見の際、畳の真ん中にしばらく座し、二つの庭と建物をしばらく見渡した後に『360度すべて出来上がっている』ともらし、にやりと笑った。
そのプランは、主となる床の間に、金の輪を配すること。
直径1mを超える金色の輪が床の間の示す四角形と手を携えつつ、暴れだすような微妙なバランスで据えられたが、さらにそこには、展覧会初日にたっぷりのマンジュシャゲの花びらが積み上げられた。
金色のオブジェと、次第に赤黒く色を変えてゆくマンジュシャゲの絶妙の対比。さらに床に引かれた緋毛氈による構成とあいまって、堂々たる空間が出現。名づけて『永遠(とわ)の夢』
そして2階和室には、棟方志功へのオマージュ。
本年は棟方志功生誕100年にあたり大原美術館でも大規模な棟方展を同時開催。15歳年下の中川は、芸術家として棟方を尊敬し、また頻繁な行き来をもったこともあり、自らの展示室のひとつを棟方へと奉げた。
床には棟方による『花深き処行く跡無し』の作品。相対する場に、中川による新作の書『散華』を掲げたうえ、畳の中央には棟方から中川へ送られた書簡のパネル。そしてこの空間一面に、無数のバラを、まさに散華するように配した。
また中川から棟方へのオマージュは、有隣荘の書と対となる『献花』の書に金箔を振り散らした書(オブジェ)ともなり、こちらは、棟方展会場で、棟方の代表作である二つの『大世界の柵』の真ん中に展示し、棟方展に、これ以上ない花を添えた。
このように展覧会の構成は、これまでの中川の仕事を示し、有隣荘という場所の特性を引き出し、また棟方へのオマージュというように、部屋ごとに性格を変え、そのバランスをとったもの。さらに新作のオブジェは展覧会初日にマンジュシャゲとバラが加えられ、その変化する姿を含めて作品化されたように、中川の表現のエッセンスがいかんなく示された。
そのうえ開会前日の内覧会では、洋間の中央の大ぶりの壷に、30本あまりのストレチア(極楽鳥花)、それも鮮やかなオレンジに青の一筋が際立つ極上のものばかりを主体に、タイサンボク、きささげ、ケイトウ、シオン、ヨメナを使っての、ダイナミックな花の生けこみを観客の前で行うという、中川ファンにとっては他に代えがたい内容となった。
さらにそうした生の花を生けこむ中川の姿を撮影したのが森山大道。この歴史的なシーンも含めた記録集も現在製作中。
さて私は、この展覧会担当者として、一般の観客が目にすることのできない、いくつかの光景に立ち会い、また10日間の会期により変化する花の姿すべてに立ち会う至福とを得た。
なかでも凄みに満ちた光景は棟方へのオマージュ散華。
一般公開初日ながら、中川は開場1時間前から、2階でバラの花を真剣な顔つきでほぐし始め。そして、朝の透明な光の中、その花びらを新作の書「散華」のたもとに降らすように投げ始め、さらに、花びらを、あるいは茎のままのバラを、部屋一面に散じると、棟方の版画作品、そして自作の書などがあつらえられていた空間は一挙に生き生きと動き始める。さらに局所ごとにバラの棘で手を傷めながらも周到に作りこみ、それに対峙する森山のカメラ。
そして10日間の会期の最終日。バラたちは、乾いて小さく縮みながら、ひとつひとつの花びらが「強靭な」と言えるほどの確固たる存在として、そこにあるべくしてあるような姿を見せる。陽光のもとで眺めるこの光景は、何者にも例えようがなし。
そしてマンジュシャゲは、黒く深みを増し、得たいの知れぬ存在感を発揮。しかし日を追うごとに金輪とマンジュシャゲの調和が増し、有隣荘の完璧なまでに作りこまれた空間と力強く響きあう。
中川幸夫については、その活動の冒頭に瀧口修造による「狂花思案抄 中川幸夫氏に」(『華 中川幸夫作品集』1972)、そして霧島アートの森での個展カタログ所収の酒井忠康『中川幸夫頌―手紙の形式をかりて』というふたつの優れたテキストがあり、それを参照いただければ私が屋上屋を重ねる愚を冒さないことをお分かりいただけると思う。
大原美術館に中川幸夫を迎えることのできた幸せ。中川幸夫の創作の現場に立ち会えた幸せと陶酔をお伝えするだけで、今回はお許しいただきたい。 |