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「アレ・ブレ・ボケ」の現在――中平卓馬と森山大道
暮沢 剛巳
伝説の写真誌『provoke』の写真家
▲『provoke』1〜3号
今から30年以上も前に『provoke』という写真誌があった。小部数しか発刊されなかった同人誌で、ごく短命に終わった文字通りの「3号雑誌」であったが、当時の写真ジャーナリズムや批評に与えた影響は大きく、その名は若い世代にも伝説的に知られている。この写真誌の同人だった写真家といえば中平卓馬、高梨豊、森山大道の3人だが、くしくもこの秋、同人のリーダー格であった中平と2号からその活動に参加した森山の個展が横浜と川崎の美術館で、それもほぼ同時期に開催された。長年の友人・ライヴァルとしてしばしば同列視され、また何かにつけて比較されてきた両者の相似と相違を確かめるのに、これ以上の好機もまたとないであろう。

意外な展覧会の構成
まずは横浜美術館の中平卓馬展「原点復帰――横浜」の方から見ていこう。中平展の展示は5部構成によって為っているが、特に近年の仕事が重視されているようで、順路の先端部分には、この数年来に撮影されたと思しき横浜や沖縄のカラー写真がすったりとしたスペースの中に配置されている(豊かな陽光の下で撮られた健康的で豊かな色感と、縦長の矩形に切り取られたシャープな空間把握は、現在の中平が理想とする写真観を静かに物語ってくれる)。しかし、多くの観客はこの構成に意表をつかれた思いがするに違いない。というのも、今回の展示はいわゆる回顧展、初期から現在に至るまでの重要な仕事を可能な限り網羅した観展であることが謳われており、しかも多くの観客が最も注目するポイントは、やはり60年代末の『provoke』とその周辺のはずである。となれば、当然展覧会の構成としてもそうした意向を汲んだハイライトの当て方をすべきなのだが、必ずしもそのような期待に沿うものとはなっていない。これは、一体どういうことなのだろうか?
誓って言うが、これは企画者の浅慮でも何でもなく、あくまでも中平本人の意向が強く反映された結果である。『provoke』の当時の中平の作品は、しばしば「コンポラ写真」と呼ばれる。「コンテンポラリー写真」の略称と思しきこの言葉は、粒子の荒れ、激しい揺れ、画像の煤けなど俗に「アレ・ブレ・ボケ」と言われる荒々しい写真表現の特徴が凝集されており、お世辞にも見やすい、美しいとは言えないその表現は、それ以前に長らく主流を占めていた土門拳に代表されるリアリズム写真などとはまったく異質の表現を可能とした。中平は当時世界的にも流行の兆しを見せていたこの「コンポラ写真」をいち早く日本の写真ジャーナリズムに導入したのだが、その「衝迫力」(西井一夫)は、(森山の手ほどきこそ受けたものの)正規の写真教育を受けたことがなく、事実上独学といっていい中平を、わずか数年のキャリアのうちに写真表現のフロンティアに位置付けるほどのものだったのである。


断裂した写真、断裂した記憶と身体
だが中平はその後、『provoke』の当時の仕事の高い評価に自ら背を向け、新たな道を模索し始める。1973年、中平は評論集『なぜ植物図鑑か』を刊行する(私事で恐縮だが、私がはじめて中平の名を知ったのも、まだ10代のころ、古書店で同書を手にした偶然によってだった)。秀逸なゴダール論が収録されるなど、批評家としても優れる中平の真骨頂が発揮された一冊だが、実は同書のなかで中平は、タイトルの如く鮮明で乱れのない植物図鑑のような写真の意義を強調し、「アレ・ブケ・ボレ」を特徴とする自分の『provoke』時代の仕事をほぼ全否定してしまった。当時のネガやプリントの大半は自らの意志で焼却してしまったという。また1977年には急性アルコール中毒で昏倒、重度の記憶喪失と失語症を患ったほか、まったく写真を撮れなくなってしまう非道いスランプも味わったことがあるようだ。このような経験を通じて、以後中平にとっての写真は自らの病んだ精神や肉体を回復する「癒し」としての側面を強くしていく(その意味では、順路の先端に位置するカラー写真は、まず写真を撮ることのできる単純な喜びの発露ともなっているだろう)。約40年に及ぶ中平のキャリアには、その写真観にも重大な修正を及ぼした或る決定的な断裂が走っていることを見落としてはなるまい。

佇み続ける森山大道
では、川崎市市民ミュージアムの 森山大道展「光の狩人 森山大道 1965-2003」の方はどうだろうか? 森山展もまた中平展と同様、初期から現在に至るまでの代表的な仕事を網羅した回顧展の形式をとっているが、2つの展示が浮き彫りにする両者の歩みは実に見事な対照を描いている。
『provoke』のころに限れば両者の作風には共通点が多く見られるのだが、先に触れたように、70年代以後中平は写真観の変化のため「アレ・ブケ・ボレ」のスタイルを放棄してしまった。一方の森山は、今回の展示を通観する限り、30年以上経た今も同じ地点に佇みつづけているかのように見える。その対照性は60年代後半〜70年代前半の時期の作品を中心に構成した企画意図にもうかがえるのだが、順路の最後のほうに位置している近作を凝視してみても、「アレ・ブレ・ボケ」やモノクロのゼラチン・シルバー・プリントへのこだわりは当時からほとんど変わっていないように思われる。
近年、森山の写真は若い世代から熱狂的な支持を得るようになった。1993年より始まった『Daido hysteric』のシリーズは今までになく新しいタイプのファッション写真として注目され、(残念ながら今回の展示作品には含まれていなかったが)宇多田ヒカルのポスターに起用されるというビッグニュースも提供した。昨年には、チープなカメラを用いて、新宿の雑踏で多量に撮り貯めたモノクロ写真を一挙にまとめた写真集『新宿』が大きな反響を呼んだことも記憶に新しい。だが、これらの仕事に反映されている成果はいずれも過去数十年来の蓄積の上に成り立っているものであり、森山自身の仕事のスタイルはそれ以前とほとんど何も変わっていない。自身の写真観を根本から修正してしまった中平とは対照的に、森山は何も変わらないことによって新しい境地を切り開いたのである。


「カミソリ」と「鉈」
2人をよく知る先輩格の東松照明は、中平と森山の個性をそれぞれ「カミソリ」と「鉈」に譬えている。確かに、本来は編集者でありながら「思想のための挑発的な資料」として写真に手を染めた左派の中平と、若くしてデザイン業界から写真の道に入った叩き上げであり、『provoke』の時期にも一切政治運動には加担せず、アメリカニズムへの素朴な共感(ウォーホルばり?のハーレー・ダヴィッドソンのシルクスクリーン作品は、会場のなかでなぜかそこだけカラーが用いられていたにもかかわらず不思議と違和感がなかった)森山の資質は根本的に異なっているのだろう。両展の会場には『provoke』のバックナンバーがひっそりと展示されていたが、しばしば行動をともにしていたこのときでさえも、両者が見ていたのは同床異夢であったかもしれない。

中平卓馬/森山大道の「風景」
そして私見では、2人の差異が最も如実に現れるのは「風景」の認識においてであるように思う。中平の場合は、何と言っても『provoke』の同人であった多木浩二の「アクチュアルに世界に身体を貸し、なかにいること、この風景のなかにいて、風景をよびさまし、自らが風景に化する衝迫のまえには出来事の論理的把握はありえない」という鋭い指摘がその本質を的確に言い当てている。中平にとって風景とは論理的把握を超越した身体の問題に他ならず、であればこそ彼は「肉眼レフ」という造語を用いたり、精神と身体を病んだ70年代以後、解放感溢れる葉山や沖縄のランドスケープにしばしば「癒し」を求めたりするようになった。先に中平のキャリアにおける決定的な断裂を指摘したが、「原点復帰」というタイトルが象徴するように、ことこの身体性に関しては断裂の以前と以後でも不変であったと言わねばなるまい。一方の森山にとっては、「風景」とは何よりもまず速度の問題であったはずだ。60年代末、森山はしばしば自動車を高速で走行させながら、フロントガラス越しに沿道の風景を「体に残る道路の火照が消えないうちに」「擦過」していくことに大いに快感を味わったという。この感覚が今に至るまで一貫したものであることは近作を見れば一目瞭然だし、より森山の風景観もまた「光の狩人」という展覧会タイトルのなかに凝集されているだろう。
よく知られているように、70年前後の日本では映画監督の足立正生や映画評論家の松田政男らを中心とする風景論争が脚光を浴びたことがある。70年安保闘争を頂点とする日米関係の趨勢と高度経済成長に伴う「故郷」の喪失などがそこでの主なテーマであり、『provoke』とその周辺も、この論争と無縁でいられるはずはなかった。その論争が一過した後、中平は豊かな陽光を求めて「南」へ、一方の森山は遠野物語に魅せられて「北」へと向かい、両者の軌跡はまたしても見事な対照を描き出す。どちらがいい悪いということとは無関係に、中平と森山が袂を分つのは必然であったと言うべきだろう。そんな両者が、30年以上の時を経て再会を果たした。今はただ、それが必然か偶然かなどと野暮な問いは立てずに(ちなみに、企画者の弁によると、両展が同時期に近隣の会場で重なったのはまったくの偶然だという)、その束の間の再会を喜べばそれでいいのだ。


*多木浩二『写真論集成』(岩波現代文庫、2003)より
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