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六本木クロッシング──日本美術の新しい展望2004
野々村文宏
六本木クロッシング キュレーターの6人
Roppongi Crossing
六本木クロッシング 2004 キュレーター
写真:木奥恵三
 この展覧会が開かれる以前、企画がどこからともなく聞こえてきたとき、「なるほど、森美術館はそう来るつもりか。これは日本の美術シーンに本気で喧嘩をしかけ、新しい市場を創成するもりなのだな」と思ったことを、まず最初に正直に告白しておこう。

 この展覧会は、現代美術を中心にしながらも、ジャンルとしては別に属する建築や映画やデザインのクリエイターたちもふくめて、6名のキュレーターが、アーティストたちの年齢やキャリアを第一に考えることなく、計57組の異種格闘技戦の場をしかけたのである。
 そのため、当然のことながら、会場を回っても、審美的な意味でのキュレーションはほとんど感じられない。とにかく乱雑。さすがに6つの違った人格、57組のアーティストというオーダーでは、群像をひとすじの束に束ねる、ということはあきらめている。というか、その反対の方向の意図があるようだ。
 6名のキュレーターの6という数字は、美術館のある六本木にちなんだのか? 東谷隆司、原久子、畠中実、飯田高誉、片岡真実、紫牟田伸子がその6名である。このうち、片岡と東谷が森美術館に所属し、インディペンデント・キュレーターの飯田に、関西在住で長く関西アート・シーンの紹介と育成につとめている原、NTTのメディア・アートの美術館ICCの学芸員でサウンド・アートに強い畠中、日本デザインセンターで日本のデザインの紹介と育成につとめている紫牟田という組み合わせである。そして、それぞれの強みがよく出ている。
 デヴィッド・エリオット館長がカタログに寄せた冒頭あいさつ文によれば、2年あるいは3年に1回はこういった試みを開きたい、ということはビエンナーレ、トリエンナーレを想定してしまうが、おそらくそうとはわざと言わないようにしている。同展覧会のキュレーターも毎回新しい顔ぶれに変わるようだ。まさに美術の自由市場の創出である。もちろんここで言う自由とは、アメリカ型の自由主義による自由競争ということだが。そのなかに、日本の硬直化し機能不全を起こしているアート・シーンに対する痛烈な批判がこめられていることはたしかである。
 先回りして言えば、この、いっけんとりとめのない展覧会を観る楽しみ方のコツは、どの作家が選ばれたのかということもさることながら、むしろ6人のうち誰がその作家を選んだのか? つまり選ぶ側の視線の交差を楽しむことだろう。ただし、これは現代美術や日本のクリエイティヴ・シーンを最低5〜6年は見続けていないと差異がわからない、いわば中級編以上の楽しみ方かもしれない。そこで、以下の文に作家名を挙げたときに、キュレーターの誰が選んだのかわかりやすいように名前を()のなかに示すことにした。
会田 誠《大山椒魚》
ヤノベケンジ《アトムスーツ・プロジェクト──タワー2》
青木陵子 + 伊藤 存《説子》
中西夏之《R・R・W-4ツの始まり-III》
上から
会田 誠《大山椒魚》
パネル、アクリル絵具 314.0 x 420.0 cm
2003
Photo:三澤章

ヤノベケンジ《アトムスーツ・プロジェクト──タワー2》
ライトボックス 120.0 x 120.0 cm
2002

青木陵子 + 伊藤 存《説子》
ビデオアニメーション 5 min. 50 sec.
2003

中西夏之《R・R・W-4ツの始まり-III》
油彩、木炭、画布 181.5 x 227.5 cm
2002
Photo courtesy:愛知県美術館

 会場を見ながら思ったことを二、三。まず、現代日本のアート・シーンの具現ということで、若い作家が必然的に多くなってしまうが、そのなかでも、やはり、数多くの個展を開き、人気もあり、海外で評価され、雑誌『美術手帖』でも特集が組まれるようなクラスの作家は強かった。思いつくまま挙げれば、会田誠(東谷)、小谷元彦(片岡)、ヤノベケンジ(原)、青木陵子+伊藤存(原)あたりは、作風が確立している。このなかには私の好きではない作家もふくまれるのだが、それでも57組の群像のなかに入ると、訴えかけてくる強さが明らかに違う。視覚的完成度が高い。つまりは実力ということだろう。
 とは言え、森美術館が用意したこのショー・ケース(陳列棚)には、「ナラカミ」という造語まで造り出されるほどに90年代を席巻した村上隆、奈良美智はふくまれない。むしろ、ポスト・ナラカミを狙ってはいるものの、「ポスト(〜の後)」と単一で直線的な時制で語るのではなく、共示的な空間性を訴えかけているのが、うまいところだ。
 かと言って若手にかぎらず、小杉武久(畠中)、中西夏之(飯田)を入れたのは参照の点から見識だと思うし、木下晋(東谷)、加藤豪(東谷)らの孤高の作品には、思わずしばらく立ち止まってしまった。
 また、現代美術にプレッシャーをかけるかのように並んだ他ジャンルの作品のなかに、強いものがあった。映像の大木裕之(飯田)は、制度や流通システムや制作体制を解体し再編成しようという強い動機を持っている。映像も良かったが、この作家も通過してきたはずの東大における『エリートへの道』のドローイング(と言っていいのか?)には笑わせてもらった。また、プロダクト・デザインの深澤直人(紫牟田)のフォルムがここまで強いとは思わなかったし、日本の消防法で定められた悪評の高い、避難誘導のための非常灯にまで介入していくさまは、下手な現代美術作家がワン・アイデアで作った作品よりよほど統語的で語彙が豊富に感じられた。停滞した現代美術シーンに、これからもどんどんプレスをかけていってください、とお願いしたいふたりだ。

 さて、冒頭近くに「日本の硬直化し機能不全を起こしているアート・シーンに対する痛烈な批判がこめられている」と書いたが、森美術館は、ちゃんと喧嘩を売っている。この展覧会の6人のキュレーターのひとりでもあり、森美術館シニア・キュレーターの片岡真実は、カタログで美術を支えるインフラ構造の劇的な変化を挙げ、「……80年代後半に増大した国内の美術館は、長い『冬の時代』を迎えている。国立美術館は政府による構造改革の一環で独立行政法人化され、従来の教育機関からサービス機関へと意識・体質変革を迫られている。また、地方美術館では、(…中略…)、芦屋市立美術博物館の問題が象徴するように、数の肥大化による需給バランスの再検討を迫られている。さらに、日本独特の美術館運営様式であった百貨店美術館も、21世紀には軒並みその役割を終え(以下略)」と容赦なく書いているのだ。もちろん、このままでは戦後日本の美術がなんであったのか、下手をすれば無に帰することへの危機意識が片岡にそう書かせている側面はあるものの、ただし、今までに無かったこともない、有り体に言ってしまえば、ハイ&ロウの戦略を取る森美術館のここからしか、もはや現代美術は始まらないのだ、とも読めるぐらいの意気込みであり、既存の制度なり組織への喧嘩の売り方である。
 考えてみれば、現在、「六本木クロッシング」と並行開催されているKUSAMATRIXこと草間彌生展のように、森美術館が年間で開くことができる個展レベルの展覧会は数が限られている。良くて年に6本、たぶん4本から5本ぐらいだろう。10年スパンで考えてみれば、そのぐらいの数の展覧会では、なにが評価されるか一瞬先のわからない現代において、森美術館も、作家とのネットワークを維持し、複数の個展候補とのコンタクトをとり続けるための広い網が欲しいともいうものだ。
 まとめれば、バブル崩壊と資本のグローバル化、規制緩和、外資の参入という、日本経済の「空白の10年」に進んだ構造転換に追随するような展覧会が、やっと東京で開かれたということか。そもそも、森美術館、引いては六本木ヒルズの存在じたいが「空白の10年」に進んだ構造転換のそのなかにあり、その意味で、「六本木クロッシング」はオープニングの「ハピネス」展以上に、森美術館の指向性を体現する展覧会だった、とも言える。

 そこで国内の美術関係者に挑発的に問いたい。今から10年経ってみたら、森美術館のひとり勝ち、ということになっているのか? それでいいのか? 誰か、何処か、強烈なカウンターを食らわせる既存の美術館はないのか。
 別の角度から今度は森美術館に尋ねてみよう。そもそも、これは「展覧会」なのか? 1851年に開かれた第1回ロンドン万博でジョセフ・パクストンの手による巨大な水晶宮のなかで開かれた、工業デザイン以前の工業品の陳列ぶりや、1913年にニューヨークの兵器廠で行なわれた「国際現代美術展」、通称アーモリー・ショーを引用するまでもなく、まずは並べてみる、という基本に立ち返ったということでもあるだろう。だとすれば、やはりこの戦略はよくできている。

 最後に。並行開催されているKUSAMATRIXこと草間彌生展は良かった。これは現代美術なのか? いや、待て。そもそも草間は現代美術だったのか? 60年代に渡米したものの、西欧の慣習とも違った作品を作り続けた草間の異端性が如実に出た展覧会、というよりは見世物小屋のようだった。もちろんこれは褒め言葉だ。いっそ、KUSAMATRIXというあざといタイトル付けなどいらなかったのではないか。そしてこの草間展のほうが、そのアナーキーさという点からも「六本木クロッシング」以上に「六本木クロッシング」だった。草間という孤高の存在に太刀打ちできる者はそうは出てこないと思うが、今回の「六本木クロッシング」のなかから未来の草間を生み出すことができれば、森美術館の野心的な企ては成功したことになるだろう。


[ ののむら ふみひろ ]
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