「一般的に建築というのは、部材を接合し、構築していくものである。 ところが、ここでは、岩山を掘りぬいて、ヴォイドをつくっている。 減算的手法というべきだろうか、通常の建築とはまったく正反対の作り方をしている。 ……エローラ」 |
安藤忠雄
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安藤忠雄は、世界各地を旅しその地で多くのスケッチを残しているが、そうしたスケッチからは、安藤が地面や岩山をくりぬいて作られた空間から強烈な印象を受け、同時に強い憧れを抱いたことが読み取れる。インドのエローラ仏教石窟群や、アハマダーバードの階段井戸。トルコのカッパドキアの地下修道院施設群。これらに見られる圧倒的造形に魅力を覚えながらも、それらの空間を実現した人間の営為にもまた深く感動したことは想像に難くない。また現代の進んだ建築技術で何かを構築しようという行為に比べ、地面を掘るという単純である意味原始的な手段からは、初源的な創造行為というものに思いをはせることも可能であろう。それらは一建築家の単なる思い出にとどまるものではなく、安藤の創造意欲を鼓舞し、新しい建築を生み出すインスピレーションの源泉となった。安藤は、《ガレリア・アッカ》や《コレッチオーネ》をはじめとする多くの垂直方向に下降する建築を実現してきているが、そもそも実質的デビュー作である《住吉の長屋》という極小の住宅においてもその志向は読み取れるといっていいだろう。また、実現を必ずしも想定しない、多くのイマジナリーなプロジェクトや計画案、例えば「中之島プロジェクト」や「大谷地下劇場計画」などではより大規模な地下空間が構想されている。そうしたなかで、このたび完成した《地中美術館》は、安藤の地下空間への試みの、ひとつの到達点といえるであろう。そして地下へ向かって空間をうがつということは、何か日常では触れることのできない隠されたものに到達しようという試みであり、また外部を持たない〈純粋空間〉への希求とも言えるであろう。
直島における第4の安藤建築
今年完成した《地中美術館》は、瀬戸内海に浮かぶ小さな島、直島における安藤忠雄4つ目の建物である。ひとつ目は1992年に完成した《ベネッセハウス》であり、瀬戸内海の絶景を臨み、ダイナミックな空間構成をもつこの美術館は、すぐれた現代美術館のコレクションを展示するものとして計画された。この建物は美術館としては機能的に無理のある箇所もあったが、自然と現代建築と現代美術それぞれのトップレベルのクオリティのものが一堂に会した、他に類を見ない美術館となった。
その3年後には、宿泊棟として《ベネッセハウス別館》が完成した。楕円形平面を持つこの建物は、内側に水盤を持つ静謐な空間があり、外部に向かっては各客室から雄大な自然を臨むという構成を持った。
3つ目としては、直島の古くから続く村落の中に建てられた《家プロジェクト・南寺》であり、先行して作られた宮島達男のプロジェクトが古い家屋を改修して作られたものであったのに対し、ここでは、光のアーティスト、ジェームズ・タレルの作品を制作し、それを内包する建物を安藤が新たに設計した。その建物は、村落の風景になじむような雰囲気を携えながらも、明らかに現代の建築として作られていた。
以上、以前に実現された安藤の3つの施設群は、皆それぞれがきわめてユニークなものであり、話題になるのに十分な質と内容を備えていた。しかし、このたび完成した「地中美術館」は、それら先行した施設に比べて遜色がないばかりか、極めてレヴェルの高いすぐれた美術館となっている。
アプローチの経験と連続する抽象空間
《地中美術館》へのアプローチは、まずチケットセンターを訪れることから始まるが、ここから敷地までを緩やかな上り坂を歩くように少し距離が設けられている。敷地の入り口には、チケットのもぎりのための、とんがり屋根を持つごく小さな金属製のボックスが置かれ、その造型はどことなくチャーミングだ。もちろん、これらのチケットセンターや、もぎりのボックスも安藤によるデザインである。
そこからさらに緩やかに上る道を歩むと、アプローチに対して斜めに打放しコンクリートの壁が立っており、人が出入りする部分が長方形にくり抜かれている。この長く歩かせるアプローチや打放しコンクリート壁の入り口は、これまでの安藤作品にも何度か登場している手法である。入り口をくぐると、今度は打放しコンクリートで囲われた通路があり、それはきわめて安藤らしい空間に接する手初めとなっているが、と同時にこの歩くという行為が時間の経過を感じさせるようにも作用している。
この薄暗い空間の先は、四角コートにつながっている。四角コートは一転屋根がない明るい外部空間であり、青空を望むことができ、地面には一面緑のトクサが植えられている。打放しコンクリートに囲まれたこの正方形プランを持つ空間は、奇妙な静けさをたたえており、先の通路にせよ、この四角コートにせよ、人はこうした抽象的な空間に向かい合うと瞑想的になる。そして、通路に見られた暗闇が神秘的ではあるのはわかりやすいが、この四角コートのあっけらかんとした開放的な明るさもまた、人をメランコリックな気分にさせる。
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この壁に沿って設けられた階段を一周分上り次の階へと進み、建物の内部へと入る。そこはエントランスホールとなっており、奥半分のショップには直島の一連の美術館に関連する書籍や、関連するアーティストの本が平積みにされている。また待ち合わせに使ったりするのであろう長く延びたベンチやテーブルも置かれており、ショップの平台を含めこれらの家具は皆木製のシンプルな造形で統一されている。このショップや各アートスペース、および建物の要所要所に、美術館コンセプトにあわせてデザインされたユニフォームをまとったスタッフが配置されているが、彼らは皆揃って若く、まだ多少なれないそぶりを見せながらも、はきはきと行動している。そして、この安藤の建築で働いている彼らの姿はどことなく誇らしげに見える。
エントランスホールを過ぎると、再度打放しコンクリートに挟まれた通路が続くが、今度は屋根がなく、そしてそそり立つ壁がわずかに傾いている。この微妙な傾きというのはなかなか不思議で、私が執筆という目的を持ち、何かを見つけようとやっきになっていることも作用しているのか、何か謎かけをされているような気分になる。安藤の建物の平面は基本的に直行する壁で構成されており、それにごく少なく挿入される斜めの壁が極めて効果的に配されている。この美術館でも後に斜めの壁が幾度か出てくるが、それはなにか問いかけのようにこちらに迫ってくる。
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三角コート |
斜め壁の通路の終わりには今度は三角コートがある。こちらにはまたあとで戻ってくるのでいまは省略する。そして再度建物内に入るとロビーがあり、三角コートの階段を一層分下りると、ここからがいよいよ作品のための空間があるエリアである。
要素を局限したアートスペース
まずは大きくて細長いベンチを兼ねた靴入れがのびており、そこでスリッパに履き替えると、小さな入り口を通ってクロード・モネの部屋へ。入り口すぐに斜めの壁が少し出ており、それを廻りこむようにして奥に行こうとすると、突然次の入り口越しに、真っ白い空間の中に浮かぶモネの睡蓮の絵が目に入り、思わずはっと息を呑む。トップライトからの自然光に満たされたこの白い空間には、モネの晩年の睡蓮の絵画5点が部屋の4つの壁に飾られており、鑑賞者はそれらの睡蓮の絵に囲まれるようになっている。この白い壁は近づいてよくみると細かい黒い点がまぶされた左官仕上げになっており、正方形の壁の四隅はアールを取られ、よって4つの壁に入り隅はなく連続している(安藤はこのコーナーを丸めることには反対で、建築雑誌に発表された図面では、角のある正方形の部屋としている)。床もまた凝ったつくりになっており、2センチ角の角を丸めた白大理石を敷き詰めたものである。基本は白ではあるが、ところどころに色の濃淡や、ごくまれにピンクがかったものもあり、見事なまでに美しい床である。いずれにせよ、これらモネの晩年の傑作を可能な限り理想的な状態で展示しようという強い意思がこの特別な空間を実現へと導き、実際、私もモネの睡蓮の魅力にあらためて驚いた次第だった。言い換えれば、この部屋はモネの睡蓮を見る以外のすべての要素を排しているともいえる。
続いて、ジェームズ・タレルの空間へ。まずは入り口のコーナーに青白い光の立体が浮かび上がっている。この作品はタレルの初期のものであるが、まずは挨拶代わりに、ここからがタレル・ワールドであることを告げているかのようである。歩を進めて次の入り口をくぐりこちらでも靴を脱ぐと、黒い石でできた段々がありその奥の壁には青く光る横長のスクリーンがある。これも光を投影した作品かと思い近づくと、じつはスクリーンと思われたのは壁の開口部で、その奥には青い光に満たされた空間がある。ここではまさにその光が粒子のように感じられ、鑑賞者はその粒子の海に浸っているような感覚を受ける。部屋は奥に向かって緩やかな勾配を持ちそれをゆっくりと歩き、ふと後ろを振り返ると、今度はいま入った入り口が黄色のスクリーンのように発光している。まさに、タレル・マジックの部屋という按配だ。タレルのもうひとつの部屋は、正方形の白い天井がこれもまた正方形に切り取られており、四周に設けられた薄いグレーの大理石で作られたベンチに座って、青い空を見上げることになる。ここは唯一ゆっくりと座って鑑賞できるアートスペースなのだが、青い空に薄い雲が緩やかに流れていくさまは、まるで白い紙にカット・アンド・ペーストで貼り込んだようにも見え、またフラットなスクリーンでもあるかのような錯覚を覚える。モネの睡蓮にしてもタレルの一連の作品にしても、みな光が重要なテーマであり、またそれらの作品が揃って映像のように見られるところに、奇妙な一致を感じる。
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スリットを通して三角コートをみる
写真はすべて 撮影:藤塚光政 |
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2人のアーティストの作品に浸ったあとは、先に一度通った三角コートに沿って設けられたスロープを下って次の場所へと向かう。といってもこのスロープと三角コートとの間には壁があり、目の高さに沿ってスリットが連続的に切られており、その薄暗い空間からその隙間を通して三角コートを見ることになる。また、これまでに通ったいくつかの長い通路は、揃って天井高が通常の倍くらいあり、自分が地中にいるという感覚を強めるように作用している。スロープを下り終えると、今度は三角コートの内側をその三角の壁の一辺に沿って歩くのだが、こちらのコートは頭の大きさくらいの荒々しく砕かれた石が全面を覆っている。これもまた先の四角コートと同様な抽象的な空間であるが、先が緑の植物であったのに対し、こちらが賽の河原をも連想させるグレーの石の風景というのは、生と死の組み合わせということか。
最下階に到達すると、最後にこの美術館で最も大仕掛けな構成を持つ、ウォルター・デ・マリアの部屋がある。入り口から中をのぞむと、またしてもその瞬間にはっとする空間がそこにはある。この10m×24mほどの平面を持つ空間は四辺の壁がコンクリートの打放し、天井が白いボールトとなっており、部屋一杯に大階段が広がっている。その大階段の途中の踊り場には、人より大きなサイズの、表面が磨かれた黒い石の球体が置かれている。部屋の四周の壁には、人の背くらいのサイズの金色に輝く彫刻3体が27箇所に配置されている。天井の中心にはトップライトが開けられ、そこからは鮮明な自然光が室内に落ちると同時に、存在といった命題や宇宙を連想させる黒い球はどの位置から見ても青い空と鑑賞者が映りこんでいる。大階段は通常のような階をつなぐという機能は持たず、空間を構成するための純粋な道具立てであり、直方体の単純な空間、球と立体という極めて単純化されたオブジェクトにより、この計算尽くされたことが瞬時に感知される空間は、たやすく聖堂といった宗教的空間を想起させるであろう。ここでも、極めて限定された要素の空間にあって、何か崇高ともいえる経験を観覧者にもたらすことに成功している。
アートと建築における純粋空間
先に見たタレルの部屋は、空間そのものが完全にアーティストの作品であり、モネの部屋にしてもモネの作品を第一に作られた空間であった。最後のウォルターの部屋は、一見安藤の空間にウォルターの作ったオブジェが配置されているように見えるが、実際はアーティストが安藤の建築をよくよく研究し、その上で部屋の形状からコンクリート・パネルの割付まで指示して実現したものだという。つまり3部屋とも、通常いわれるような建築家とアーティストの対等なコラボレーションではなく、あくまでもアーティストの作品の最適な状態を目指した結果できたものと言える。
では、ここでの安藤の役割は、アートスペース以外の共有空間を彼の作風で作ることのみに専念したと言えるのであろうか。そうではないところが、この美術館のすぐれたところであり、面白いところだ。
安藤はいままでにも数十もの美術館を手がけており、美術館建築家としてのその成功を疑うものはいないだろうが、実際それらの美術館や博物館は、外観やエントランスは安藤のものであっても、展示室はそれとはまったく異なる雰囲気を持つことが通常だ。それは、大きな話題となったフランク・O・ゲーリー設計のビルバオの《グッゲンハイム美術館》が、極めて大胆に建築家の外観をまとっている一方、展示室は世界中どこででも見られる白い箱となっていることと同様だ。つまり、安藤のものに限らず、多くの今日の美術館はブランド力を持つ建築家の意匠をまといつつも、その肝心の中身はそれとはまったく関係なく作られるという二重構造となっていると言えるのである。
ところが《地中美術館》においては、この建物が隅々まで安藤の手法によって構成されていることが平面図から見て取れる。言い換えれば、これほどまでに安藤らしさが存分に発揮された平面を持つ建物は、まれである。特定のアーティストの特定の作品を半永久的に展示するというごくまれなプログラムがあって、このような美術館が可能になったわけであるが、これまでに記述してきたように、安藤の空間にしても3人のアーティストの空間にしても、揃って極めて完成度の高い、純度の高いものとなっている。そして、この建築家とアーティストとのそれぞれの空間が極めて純粋に作られ、その強度がこの迷宮ともいえる美術館を巡る中で、一度も途切れることなくめくるめくように展開する。それが、この美術館の4人の登場人物の幸福なコラボレーションの証であるといえよう。 |