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プライバシーステートメント
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都心に埋蔵されたホワイトキューブ
南泰裕
都市にコミットする完全地下型美術館
国立国際美術館外観
国立国際美術館外観
 姿の見えない美術館が、大阪の都心に誕生した。シーザー・ペリの設計による、《国立国際美術館》である。もとは大阪郊外の万博公園内にあった同美術館だったが、その老朽化にともない、まったく新しい装いを帯びた美術館として、大阪の中之島に移転されたのである。
 現代美術の展示を主体とするこの美術館の特徴は、なによりもまず、完全な地下型美術館だということである。だから、案内図を頼りに美術館へと近づいても、その姿はまったく見えない。代わりに、川沿いにしつらえられた広大な広場と、空へと突き刺さる竹林のようなステンレスパイプのモニュメントが見えるのみである。
 シーザー・ペリと言えば、《NTT新宿本社ビル》や《愛宕グリーンヒルズ》など、きわめて高い象徴性を持ったハイライズ・タワーや、街のランドマークとなりうる大規模公共施設の得意な建築家として、日本でもよく知られている。だから、シャープな装いのスカイ・スクレイパーを十八番とするペリが、こうした地下型美術館を設計したというのは、一見意外に思える。けれども実際に訪れてみると、それがきわめて合理的に創られた建築であることが見えてくる。
 地上1階、地下3階からなるその全体の空間構成はきわめてシンプルで、展示スペースは完全に地下化され、地上部分は公共広場として完全に解放されている。広場のコーナー部分に、エントランスゲートと呼ばれるステンレスパイプの群れが置かれ、この内側にガラスのホールが配されて美術館の入り口となっている。エントランスゲートは、現代美術の発展をイメージした有機的な形態のモニュメントとして、広場を彩ると同時に人々を美術館へと誘うシンボルとなっている。だからそれは、遠目には都市広場に設置されたパブリック・アートのようでもあり、近づいて見ても透明なガラスの塊が都市の風景を透かし込んでいるので、その存在が場所を威圧することはない。
 エントランスゲートをくぐって中に入ると、すぐに地下へと降りる階段やエスカレータが来館者を迎える。あとは、ひたすら地下へと下降していくだけ。地下1階のパブリックゾーンを経て、地下2階および地下3階の展示室へ。動線の主体をなすエスカレータ部分は、地上部のエントランスゲートに連続しており、上部全体が大きなトップライトとなって自然光が降り注ぐ。そのため、地下2階までは自然採光が可能な展示室となり、地下3階は完全な人工採光による展示室となっている。
 平面計画も明快で、隣接する既存の大阪市立科学館を取り囲むように、L字型に計画され、その片側が事務スペースや収蔵庫等のサービス部門、もう一方が展示スペースという形に集約されている。そのため、初めての来館者にとっても分かりやすい動線で、視認性の高い空間構成となっている。さらに、展示スペース自体は可変的なフリースペースとして計画され、建築自体が空間の使い方を制約することのない、ほぼ完全なホワイトキューブとして計画されている。

国立国際美術館地上広場 国立国際美術館内観
左:国立国際美術館地上広場/右:同館内観
「消失という主題」の消失
 こうした地下型美術館の系譜は、これまでにもなかった訳ではない。よく知られている事例としては、I・M・ペイによる、パリの《ルーブル美術館》のガラス・ピラミッドによる増築や、ギュンター・ベーニッシュによる、フランクフルトの《ドイツ郵便博物館》などがすぐに思い浮かぶ。安藤忠雄による、直島の《地中美術館》や、ダニエル・リベスキンドによる、ベルリンの《ユダヤ博物館》も、部分的にはそうした事例にカテゴライズすることが可能だろう。
 こうした地下型の美術館がこれまでに多く構想されてきたのは、地下空間と美術館というビルディング・タイプの相性が、実は意外にいい、という理由がある。第一に、美術作品は原則として自然光をきらうため、窓のない空間で人工的な環境下において展示する方がよい。第二に、地下空間は温熱環境が比較的安定しているので、適切な空間を計画できれば、美術作品の保存にかなった場所とすることができる。第三に、地下は遮音性がきわめて高いので、静かに美術作品を鑑賞する上では快適な環境を作りやすい。そして第四に、美術館は劇場のような空間と異なり、一時に大他数の人が出入りすることが少ないため、避難計画の観点から見れば比較的、地下空間を計画しやすい。
 こうした理由から、地下型美術館の構想自体はめずらしくないように思えるのだが、ペリによるこの美術館は、それまでの地下型美術館とはっきり異なっている点がある。そしてこの点こそが、この美術館のもっとも重要で新しい部分ではないか、と考えられる。
 それはこの美術館が、「建築を消す」という主題自体を消している、ということである。
 これまでの地下型美術館や、「建築の消失」を意図した美術館は、その多くが「建築を消す」ことを主題としながらも、その主題自体を消すことはなく、むしろその主題をひとつの意図として表出していた。だからそれらは、「建築が消えているようなデザイン」という審級に依然とどまり、むしろそれをデザイン上の戦略として過剰に表現していたのである。けれども、ペリのこの美術館は、その意図自体をきれいに消している。だから、「あたかも建築が消えているような美術館」という表象の次元が存在していないのである。
 磯崎新はかつて、ポストモダン以降の建築のゆくえについて、「主題がない、という主題」について語ったが、ここでは「消す、という主題を消すこと」が目論まれたのである。
 建築の、完全な地下化と完全な消失。だから、そこには建築のエクステリアは見出せず、純然たるモニュメントと、フラットな広場と、地下化されたインテリアがあるのみである。
 しかし、これらはデザイン的な志向の先で導き出されたのではなく、「集まるための場所」という都市の要請によって合理的に導出されている。だからこそ、ここでは「消すという主題を表出すること」自体が、エレガントに消えているのだ。それによりこの美術館は、都市に最も必要とされているはずの広場を、きわめて完全な形で創り出すことに成功している。しかも付言すれば、ここには二重に広場が創出されている。地上の広場と、地下1階のパブリック広場である。こうした広場が、たとえば「ヴォイドの創出」として、あからさまに表現されているのではない。そのような表現の審級を徹底的に遠ざけることで、都市のアトラクターとして最も重要な、「誰もがそこに無目的に滞留することのできるオープンスペース」が、効果的に生み出されているのである。
 自律的な建築が、自らを過剰に表現するのではなく、空間を都市の地下へと埋蔵することで広場を創りだし、それを人々の集まるアトラクターへと反転させること。都市論の文脈から見て、この建築の技法は積極的に評価されていい、と思う。

マルセル・デュシャン、または階段を降りるモニュメント
マルセル・デュシャン《階段を降りる裸体 No.2》
マルセル・デュシャン《階段を降りる裸体 No.2》
1912年 油彩、キャンバス 146×89
(c)Succession Marcel Duchamp/ADAGP,
Paris&JVACS,Tokyo,2004
(c)Philadelphia Museum of Art:
The Louise&Walter Arensbergcollection
 この美術館の開館記念展は、「マルセル・デュシャンと20世紀美術」展だった。オープニング展として、20世紀美術に絶大な影響を与えてきたデュシャンを持ってきたことは、この美術館の並々ならぬ意欲が伺える。地下3階全体を会場としたこの特別展では、《階段を降りる裸体》を始めとするデュシャンの初期作品から始まって、20世紀におけるもっとも難解な美術作品と言われる《彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも》はもちろん、多くの論争を巻き起こした「レディ・メイド」の作品などが一挙に公開され、きわめて密度の高い展示となっていた。中でも、デュシャンの死後に公開された有名な《遺作》が、ビデオ映像とステレオ画像によって再現されているのは、一見の価値がある展示だった。
 しかしこれらの展示に加えて興味深いのは、デュシャンに影響を受けた多くの現代作家たちの、デュシャンをめぐる作品が多数展示されていたことである。荒川修作や瀧口修造、ジョセフ・コスース、ゲルハルト・リヒターなど、一線級の美術家たちによる、デュシャンへの熱いオマージュを表現した作品が高い密度で展示されており、デュシャンという知的で諧謔的で高踏的なアーティストが、20世紀現代美術に対して、どれほど多くの影響を与えてきたのかを、ヒリヒリと肌で感じることができる。
 その延長で、地下2階の常設展示展に足を運べば、ピカソや日本の戦後美術をも視野に入れることができ、より立体的な現代美術の潮流を感じ取ることができるだろう。イギリスの《テート・モダン》やフランスの《ポンピドゥー・センター》に見られる、圧倒的な作品密度にはいまだ及ばないものの、その美術館の意欲は十分に伝わる展示であり、今後の展開に期待したい。
マルセル・デュシャン《彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも》
マルセル・デュシャン《彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも》
1915-23/1980年
(c)Succession Marcel Duchamp/ADAGP,
Paris&JVACS,Tokyo,2004
 デュシャン展の鑑賞を終えた後、美術館を出て地上の広場に出た。その頃には夕闇が広場を染め始め、エントランスゲートのステンレス群が、内側から鈍くライトアップされていた。その姿は、まるで黄金色に発光する硬質な生き物が、地下へとゆっくり下降していくようにも見えた。それを見ていて、「ああ、そうだったのか」と気づいた。
 この美術館こそ、デュシャンの、《階段を降りる裸体》のメタファーと言えるのではないか。この美術館は、9年という長い歳月をかけてゆっくりと創られたのだが、《階段を降りる裸体》もまさに、「遅延」が主題だったのである。そしてまた、この美術館は、ひたすら地下へと降りていくための空間である。《階段を降りる裸体》もしかり。さらに、生物のダイナミックな動きを多重に写し取り、それを金属の中に閉じ込めたかのようなエントランスゲートは、機械の美学において人間の動きを表現しようとした、《階段を降りる裸体》のモチーフに、そのままぴったりと織り重なるではないか。
 20世紀現代美術の嚆矢をなすデュシャンの絵画は、21世紀の都市を牽引するこの建築において、きっと、高度に反転的に翻訳されたのだ。
[ みなみ やすひろ ]
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