マルセル・デュシャン、または階段を降りるモニュメント
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マルセル・デュシャン《階段を降りる裸体 No.2》
1912年 油彩、キャンバス 146×89
(c)Succession Marcel Duchamp/ADAGP,
Paris&JVACS,Tokyo,2004
(c)Philadelphia Museum of Art:
The Louise&Walter Arensbergcollection |
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この美術館の開館記念展は、「マルセル・デュシャンと20世紀美術」展だった。オープニング展として、20世紀美術に絶大な影響を与えてきたデュシャンを持ってきたことは、この美術館の並々ならぬ意欲が伺える。地下3階全体を会場としたこの特別展では、《階段を降りる裸体》を始めとするデュシャンの初期作品から始まって、20世紀におけるもっとも難解な美術作品と言われる《彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも》はもちろん、多くの論争を巻き起こした「レディ・メイド」の作品などが一挙に公開され、きわめて密度の高い展示となっていた。中でも、デュシャンの死後に公開された有名な《遺作》が、ビデオ映像とステレオ画像によって再現されているのは、一見の価値がある展示だった。
しかしこれらの展示に加えて興味深いのは、デュシャンに影響を受けた多くの現代作家たちの、デュシャンをめぐる作品が多数展示されていたことである。荒川修作や瀧口修造、ジョセフ・コスース、ゲルハルト・リヒターなど、一線級の美術家たちによる、デュシャンへの熱いオマージュを表現した作品が高い密度で展示されており、デュシャンという知的で諧謔的で高踏的なアーティストが、20世紀現代美術に対して、どれほど多くの影響を与えてきたのかを、ヒリヒリと肌で感じることができる。
その延長で、地下2階の常設展示展に足を運べば、ピカソや日本の戦後美術をも視野に入れることができ、より立体的な現代美術の潮流を感じ取ることができるだろう。イギリスの《テート・モダン》やフランスの《ポンピドゥー・センター》に見られる、圧倒的な作品密度にはいまだ及ばないものの、その美術館の意欲は十分に伝わる展示であり、今後の展開に期待したい。
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マルセル・デュシャン《彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも》
1915-23/1980年
(c)Succession Marcel Duchamp/ADAGP,
Paris&JVACS,Tokyo,2004 |
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デュシャン展の鑑賞を終えた後、美術館を出て地上の広場に出た。その頃には夕闇が広場を染め始め、エントランスゲートのステンレス群が、内側から鈍くライトアップされていた。その姿は、まるで黄金色に発光する硬質な生き物が、地下へとゆっくり下降していくようにも見えた。それを見ていて、「ああ、そうだったのか」と気づいた。
この美術館こそ、デュシャンの、《階段を降りる裸体》のメタファーと言えるのではないか。この美術館は、9年という長い歳月をかけてゆっくりと創られたのだが、《階段を降りる裸体》もまさに、「遅延」が主題だったのである。そしてまた、この美術館は、ひたすら地下へと降りていくための空間である。《階段を降りる裸体》もしかり。さらに、生物のダイナミックな動きを多重に写し取り、それを金属の中に閉じ込めたかのようなエントランスゲートは、機械の美学において人間の動きを表現しようとした、《階段を降りる裸体》のモチーフに、そのままぴったりと織り重なるではないか。
20世紀現代美術の嚆矢をなすデュシャンの絵画は、21世紀の都市を牽引するこの建築において、きっと、高度に反転的に翻訳されたのだ。
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