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2005年世界の現代アートを総括する
市原研太郎
現代アートの二極化
 2005年、世界のアートの状況に二極化の傾向がはっきりと刻印されるようになった。それが以前からなかったわけではない。しかし同一のアーティストや作品が登場するという意味で、異質な活動の間にまだ交流があったのである。現代アートが、現在二つの勢力に完全に分割され、その溝がますます広がりつつある。この二つの勢力を代表するものとは、世界の各地で開かれているビエンナーレのような国際展と、おもに欧米で行なわれているアート・フェアである。
 現代アートは、ここ数年の世界的な好景気を背景にして、巨大化したマーケットをめぐって再組織化されている。そして、そこで流通可能なものとそうではないものとに峻別され、一方(アート・フェア)では享楽や投機、他方(ビエンナーレ)では批判や変革を目的にして、人々に作品が供されるのである。もちろん例外がないわけではない。アート・フェアに参加しながら、ビエンナーレにも出展される作品を扱っているギャラリーもないわけではない。しかし私が知るところ、二つの領域を横断して活動しているギャラリーは、チューリッヒに拠点をもつキルヒマン・ギャラリーだけである。
 この二極現象をどう捉えたらよいだろうか? それについては、グローバル化した世界のなかにアートをどう位置づけるかによって、異なった結論が引き出されるだろう。一口で言えば、アート・マーケットを支配する資本主義に対する態度によって、この二極のどちらに与するかが決定されるのだ。それらの間でバランスをとったり、融合を夢見たりすることはもはや許されていない。というのも、マーケットに包摂されたアートは、資本以外の普遍的な価値を提起する能力がまったく欠けているからだ。言い換えれば、アート・フェアに並べられる作品は資本に去勢されてしまっているというのが、2005年のアートの哀れにも惨めな姿なのである。

衰退する「多文化主義」
 これに対抗すべく活動を先鋭化させてきたのが、ビエンナーレという展覧会システムである。これは、ヴェネチィア・ビエンナーレのように100年以上の歴史のあるものもあるが、そのほとんどが1990年代から始まった。このようにアートの展示方式としては新参だが、ギャラリーだけでなく美術館も保守的傾向を示す昨今のアート界では、貴重な存在と言えよう。資本の囲い込みから逃れて、アヴァンギャルドのように自由を満喫できるほとんど唯一の展覧会が、ほかならぬビエンナーレなのである。それゆえ、ビエンナーレに対する一部の期待は大きく、近年この種の国際展が世界各地で開催されるようになってきた。しかしビエンナーレが増えてきた理由は、より自由な空気をアートが渇望したということに尽きるわけではない。それが行なわれる地域の活性化に役立つという名目で、国際展が強引に開催されることもある。
 2005年の初めに第1回が開かれたモスクワ・ビエンナーレは、このような例に含まれるだろう。これは、大規模な国際展を行なう条件が整っていないままに開かれたが、内容はともかく次回の開催を危ぶむ声も聞かれるほど、さまざまな軋みを生じた。横浜トリエンナーレも同様の問題を抱えて、1年遅れでようやく開催にまで漕ぎつけた。しかし、その準備不足は隠しようもなかったように思う。それを逆手に取ったテーマを打ち出したディレクターの手腕は買うにしても。
 今年最大の現代アートのイヴェントであったヴェネチィア・ビエンナーレは、その規模で他を圧倒しているので、つねに見ごたえはある。しかし、2000年代に入ってヴェネチィアで行なわれた数回のビエンナーレのなかでは、個々の作品に優れたものもあったが、もっとも貧弱な内容だったのではないだろうか。このように物足りない展示になったことの根底には、10年以上にわたって現代アートの強力な思想的背景になってきた「多文化主義」が行き詰まりをみせ、それに裏打ちされてグローバルに拡大してきたアートと、それらを積極的に紹介してきたビエンナーレが、一時の勢いや活気を失ったことがある。ヴェネチィアは、国別のパヴィリオンという展示形式が奏功して、この間の牽引役を担ってきた。そのため今回の展覧会では、東欧や中央アジアといった未開拓の地域の作品を除いて、不可避的に凋落の印象を残す結果になったのである。21世紀初頭の危機的状況は、それに敏感に反応するアートのテーマや形式を求めている。
ブルー・ノイズ・グループ ウィリー・ドハティ
左:ブルー・ノイズ・グループ出展作品(モスクワ・ビエンナーレ)
右:ウィリー・ドハティ出展作品(ヴェネチィア・ビエンナーレ)

イスタンブール・ビエンナーレという希望
フセイン・アルテキン
フセイン・アルテキン出展作品
(イスタンブール・ビエンナーレ)
 そのような停滞を打破するビエンナーレが、今年出現したことは一番の収穫と言ってよい。それは、第9回目を迎えたイスタンブール・ビエンナーレである。まず、そこに展示された作品は、リサーチとドキュメンタリーを基本的な表現方法とし、メタファーの効果を操って社会や政治に働きかける表現が大半を占めていた。そうした表現の構造が現在の苦境を打開しうるのは、「9・11」以降の逼迫した世界情勢が、現実にただ接近するのみではなく、そこから新たな発想を汲み取ることを要求しているからだろう。それは、現実の悲惨さを受動的に記録することではなく、現実世界をメタファーとして新たな角度から照らし出し、そこから未知の意味と豊かな力を導いて、現実を変革することを目指すのである。
 それは、グローバリズムとローカリズムのコンフリクトから、「多文化主義」という文化的な民主主義では不可能な、それを乗り越える道を模索することにつながる。イスタンブールもまた、そうした文化的なコンフリクトを長い歴史のなかで経験してきた。それゆえ、今回のビエンナーレがこの都市で開かれることに十分な意義がある。と同時に、作品が提示する理念の実現可能性も、そこでこそ芽生えるのではないか。イスタンブールに生きる住民に対する信頼に貫かれたフィル・コリンズの写真が、新しい人間像を創出する不可欠のヒントとなるように思われるのも、このような理由による。
 今年開かれた展覧会のなかでも、とりわけ記憶に残るムンクの自画像展やダイアン・アーバス展を挙げるまでもなく、人間の再考を迫る機運が、現代アート界にも及んできたことを痛感させられた1年だった。
フィル・コリンズ フィル・コリンズ
フィル・コリンズ出展作品(イスタンブール・ビエンナーレ)
写真はすべて筆者撮影

[ いちはら けんたろう・美術批評 ]
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