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東京-ベルリン──美術が捕らえた「都市の幽霊」
田中純
 「東京-ベルリン/ベルリン-東京 展」という名からは、1977年の「パリ-ニューヨーク 展」を皮切りにポンピドゥー美術館で開かれた、「パリ-ベルリン 展」(1978)、「パリ-モスクワ 展」(1979)といった二都展シリーズが連想される。しかし、文学から音楽、建築、デザインまで幅広く取り上げて、20世紀初頭の都市文化の交錯をテーマにしたかつてのパリの展覧会ほどの野心がここにあるわけではない。その目論見とは、昨年から今年(2006)にかけて開催された「日本におけるドイツ年」の最後を飾るべく、日独の文化交流に絡めて、それぞれの「首都」を冠にした二都物語を編んでみせたというところだろうか。名前に欺かれ、あらぬ期待を抱いて会場を訪れた、筆者のような勘違い者もたまにはいるかもしれない。

もうひとつの美術史の系譜
エルンスト・ルートヴィヒ・キルヒナー《ポツダム広場、ベルリン》
エルンスト・ルートヴィヒ・キルヒナー
《ポツダム広場、ベルリン》
1914、油彩、カンヴァス
200×150cm
所蔵:ベルリン国立博物館群
ベルリン国立美術館
(for works by E.L Kirchner)
by Ingeborg & Dr. Wolfgang Henze-Ketterer, Wichtrach / Berne
 展示会場の入り口で主催者挨拶を読み、ドイツにおける会場であるベルリン新国立美術館を「日本趣味の感じられる建築」と称した部分にまず、何やら媚びめいたものを感じてしまう。設計者ミース・ファン・デル・ローエの作品に日本建築に通じる要素を見る論者はたしかにいないわけではないが、「日本趣味」とは誤解を招く表現だろう。
 展示の内容それ自体は、19世紀末から現在にいたるまで、美術における交流関係を含んだ、日独両国のごくあっさりとした美術史的概観とでも言えばよいだろうか。ドイツにおけるジャポニスムと西洋が日本絵画に与えた影響に始まり、1914年に東京で開かれた「シュトゥルム木版画展」の衝撃、ダダとマヴォ、1920年代におけるモガやモボの都市風俗、1929-1931年の「独逸国際移動写真展」、バウハウスとブルーノ・タウト云々と、日本およびドイツにおける前衛芸術運動の歴史や同時代風俗が足早にたどられてゆく。最初のセクションから例に挙げれば、ドイツからはキルヒナーのベルリン風景やマルクの動物たちなど、見るべきものがそれなりに幅広く集められていることは認めるにしても、東京およびベルリンという都市の固有性がそこで際だつとも言えず、そもそも二つの都市と直接関係のない作品も多い。
マックス・ベックマン《死》
マックス・ベックマン《死》
1938、油彩、カンヴァス
121×176.5cm
所蔵:ベルリン国立博物館群
ベルリン国立美術館
Photo:Jög P.Anders, Berlin / Jahr: 2001
 もちろん、都市名など象徴に過ぎず、同時代における芸術の影響関係や並行性が示されればそれで十分なのだ、と考えればよいのだろう。その意味でこれは、第二次世界大戦前においてはパリ中心でなく、戦後についてはニューヨーク中心でない、もうひとつの美術史の系譜を浮き彫りにしようとする、きわめて啓蒙的な展覧会なのである。日本ではいまだに認知度の低い巨匠マックス・ベックマンの《死》のほか、ハンス・グルンディヒの《熊と狼の戦い》など、ナチ体制との対決として描かれた力強い作品を目にすることができるのも貴重である。
 一方の日本側については、1920年代ではベルリン留学後に夭折した和達知男のコラージュや自画像、戦後は山下菊二の《あけぼの村物語》や《新ニッポン物語》が選ばれているように、同時代ドイツとの共振を重視した作品選定が独特である。1950-60年代が実験工房にフルクサス、ハイレッド・センター、横尾忠則で代表されてしまうというのも、コンパクト過ぎるほどにコンパクトながら、いっそわかりやすい歴史の要約だろうか。
 この展覧会は東京とベルリンで逐次開催されるが、現代美術については展示内容が大きく異なり、東京展ではベルリンのアーティストの作品に絞られている。そのなかに「ベルリン8時間観光ツアー」のビデオ作品があるのは、展覧会名へのせめてもの配慮だろうか。ベルリンでは「東京観光ツアー」のビデオを流すのだろうか。協賛に名を連ねているわけでもないBMWのブースが展覧会場内にあることといい、こうした趣向を平然と行なうことができる感覚にはいささか当惑させられる。

無惨な空虚の露呈/《共和国宮殿──ホワイト・エリア》とミースのフォトモンタージュ
 ともあれ、この展覧会で個人的に最大の収穫だったのは、現代美術セクションのニナ・フィッシャー&マロアン・エル・ザニによるビデオのダブル・プロジェクション《共和国宮殿──ホワイト・エリア》である。向かい合う二面にほぼ実物大で映写された映像は、ベルリンの中心部に位置する、かつての東ドイツ(ドイツ民主共和国)の「共和国宮殿」内部である。この建物は人民議会の議場であるとともに、展示会場やダンスホールをもつ総合文化施設でもあった。1990年のドイツ統一後、アスベスト汚染を理由に閉鎖され、アスベストが除去されたのちは、鉄骨とコンクリートが剥き出しの空間がイベントなどに利用された。
 《共和国宮殿──ホワイト・エリア》は、ひたすら横にカメラを移動させながら撮影された、この何もない内部空間の7分間の映像である。飾りや被膜が剥ぎ取られたコンクリートや鉄骨は、寒々しく虚ろな印象を強める。時折、薄汚れたガラス窓を通してベルリン中心部の風景が望めることもある。カメラの移動する方向に、あるいは、それに逆らってブースのなかを歩くと、互いの運動の相互関係によって映像の速度が変化するようにも感じられ、奇妙な身体感覚を覚える。
 この共和国宮殿が建つ場所にはかつて王宮があった。第二次世界大戦で損傷した王宮は修復されることなく、プロイセン軍国主義のシンボルとして、1950年代に当時の東ドイツ政府によって爆破されてしまう。そして、王宮の代わりに1976年、「人民の家」としての共和国宮殿が建設された。
 このような歴史ゆえに、ドイツ統一後、共和国宮殿を撤去し、ベルリン宮殿を再建しようという動きが起こった。2002年にはドイツ連邦議会でこの再建が正式に決定されている。シュプレー川の中州に建つ共和国宮殿は、撤去にともなう周辺地盤への影響が大きいため、今まさに、長期に及ぶ慎重な解体過程の最中にある。
 《共和国宮殿──ホワイト・エリア》が示すのは、プロイセン王国、ドイツ帝国、そして東ドイツの権力の中心となったこの場所がいまや露呈している無残な空虚である。裸にされた建築の残骸以外、そこにはもはや何もないからこそ、この場には歴史や土地の霊といったものが蠢いているように感じられる。王宮再建とは、見せかけの過去の再生によって、そんな霊たちを封じ込めようとする悪魔祓いではなかろうか。それとは逆にこの作品は、ベルリンのただなかに開いた不可視の霊に満たされた空虚を、冷徹に記録しようとしているのである。
 その映像に最も近い建築のイメージとは、ほかでもない、ミースが新国立美術館の建造過程で作ったフォトモンタージュである。大理石の壁が林立するだけで、床は未完成の雑然とした状態のままの、荒れ果てた印象を与える内部空間。ミースにとっては、この空虚さこそが、新国立美術館でまず第一に「展示」されるべき対象だったに違いない。だからこそ、機能上は不当にも、この美術館で収蔵作品はすべて地下に追いやられているのである(新国立美術館については拙著『ミース・ファン・デル・ローエの戦場』286-302頁参照)。
 ミースの建築空間が孕む空虚は、時としてジャパネスクな「空」に通じるものであるかのように錯覚される(「日本趣味」!)。しかし、とりわけこの新国立美術館の空虚は、そんな「空」とはほど遠く、ベルリンという都市の記憶が大地から吹き出してくる予感に突き動かされ、不安定に揺れ動いているかのようだ。その点で《共和国宮殿──ホワイト・エリア》が再現する空間と共振するのである。
 もちろん、場所を複製することはできない。しかし、《共和国宮殿──ホワイト・エリア》は、それが撮影した空間自体が幽霊じみたものであったがゆえに、場の幽霊を映像による複製という死後の時間のなかへと、幾ばくかは捕らえることに成功したのではないだろうか。その意味でここには「ベルリン」がある。その都市としての固有性が映像に捕捉されている。そしてこの都市の幽霊は、六本木ヒルズという日本の資本主義的ゼロ記号の拠点に、多少なりとも異質な時空をもたらしていたようにも思う。

もうひとつの「東京-ベルリン/ベルリン-東京 展」
 新国立美術館の不安定に揺れ動く空虚に満たされた建築空間のなかで、では、日本の現代美術はどんな「都市の記憶」を現前させることができるのだろうか。ベルリンで6月に開幕するその展示内容の実態は知らない。ただ、ミースの「空虚」内の展示空間デザインは伊東豊雄にゆだねられるという。日本的な「空」もまた十分政治的であり、そうした歴史をもってきた以上、東京という都市に内在するそのような「空」によって、新国立美術館の空虚との差異こそが顕在化されうるかもしれない。そんな思いつきに耽りながら、「交流」や「影響」、あるいは「同時代性」の歴史といった関係だけではなく、それぞれの都市の記憶と現在が、互いに互いをその異質性によって触発するような、もうひとつの「東京-ベルリン/ベルリン-東京 展」を夢想するのである。
東京-ベルリン/ベルリン-東京 展 東京-ベルリン/ベルリン-東京 展
写真左:
エルンスト・ルートヴィヒ・キルヒナー 《ポツダム広場、ベルリン》 1914
所蔵:ベルリン国立博物館群
ベルリン国立美術館
写真右:
エルンスト・ルートヴィヒ・キルヒナー《エルナと和傘》 1913
所蔵:アールガウ州立美術館、スイス
(for works by E.L. Kirchner) by Ingeborg & Dr. Wolfgang Henze-Ketterer, Wichtrach / Berne
写真左:
岡本太郎 《重工業》 1949
所蔵:川崎市岡本太郎美術館
写真奥:
石井茂雄《暴力シリーズ:快楽》1957
所蔵:横須賀美術館準備室

左右ともに
「東京-ベルリン/ベルリン-東京 展」展示風景
2006年1月28日〜5月7日
写真:渡邉修
写真提供:森美術館
[ たなか じゅん・表象文化論、ドイツ研究 ]
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