世界に数あるビエンナーレのなかでも、同傾向の内容で同規模の展覧会を探すとなると、そう簡単には見つけられない。ところが、その意味でまさに双子と形容したくなるようなビエンナーレが立て続けに開催された。8月までシドニーで行なわれたビエンナーレと、9月から開催中のシンガポールのビエンナーレである。
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多文化主義という尺度の検証
とはいえ、この二つのビエンナーレで似ていない点ならすぐ見つかる。場所(開催地)と空間(会場)のみならず、ビエンナーレ自体の歴史がまったく異なるのだ。つまりシドニーのほうは今年で15回目を迎えたのに対して、シンガポールはまさにいま産声を上げたばかりの第一回目の展覧会ということである。また文化的な出自や環境の異なる人間が企画する以上、コンセプトが類似していても、キュレーターによって選出されるアーティストのリストが完全に一致することはありえない。
しかし世界の現代美術が急速にグローバル化している現状では、美術活動が必然的に引き受けざるをえないコンテクスト(背景)もグローバル化していることはたやすく予想される。その背景とは、世界中に浸透する大きな流れの多文化的状況である。美術において多文化主義的な運動として現われるこの潮流は最近に始まったことではなく、1990年代後半から顕著になってきたが、21世紀に入ってすっかり定着したと判断してもよいほど、ビエンナーレのような定期的に開かれる国際展に、この種のアイデアが色濃く反映されてきた。
だが多文化主義的な傾向の展覧会が増えてきた、言い換えれば現代美術の判断基準としてその尺度が不可欠になるばかりでなく、文化の解釈の参照枠に用いられるからといって、それが実態にそぐわなくなったり、イデオロギーとして固定化し現実を解読するどころか逆に紛糾させるようになるとすれば、われわれは多文化主義という一般に通用する観点を捨て去る決断をしなければならない。
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二つの試金石/「Zone of Contact」と「belief」
そのような省察を行なうには格好の試金石になったのが、シドニーとシンガポールのビエンナーレである。まず時間的に先行して開かれたシドニーについては、オーストラリアという地理的な位置が大きく作用していることは、今回の展覧会に招待されたアーティストの出身地ではっきりと分かる。というのも、現代美術がすでに欧米を中心とする活動ではなくなったことを確認するだけでなく、いまや欧米以外の地域出身のアーティストの作品に優れたものが多くなり、そうした彼らの目覚しい活躍を例証するには、オーストラリアが好都合な場所にあるからである。オーストラリアの文化は、その起源は欧米にあるが、地域的にはアジアに近い特異な位置にあり、したがってその両方を等距離に視界に収められる有利な地点にある。「Zone of Contact」という今回のビエンナーレのタイトルは、そのように世界中に拡大した現代美術の活動を、複数の文化の接触という視点から検証しようという意欲の表われと見なせるだろう。実際、その接触面で生じるものは一体何か?
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シンガポール・ビエンナーレ、オープニングレセプション
中央が南條氏 |
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さてシンガポールのビエンナーレのキュレーターに指名されたのは、南條史生である。その彼と、彼を選出した主催者に多文化的状況に関する共通の問題意識が存在していたことは確かだろう。というのも、記者会見やオープニングのレセプションでの彼らの発言が、まずシンガポールの「多様性」を強調していたからである。文化とりわけ民族や宗教の多様性は、シンガポールという一都市一国家の最大の特徴と言ってよい。それを如実に示したのが、ビエンナーレのために指定された会場である。そのなかには、市の中心部に密集する各宗教(キリスト教、ユダヤ教、イスラム教、仏教、ヒンズー教)の教会や寺院があり、それらを参加アーティストのために開放したのだ。ほとんど隣り合わせに立ち並ぶ各宗教施設は、多文化的状況をさらに凝縮して、シンガポールこそそのメッカだと高らかに宣言しているように見えた。
これが、シンガポールで多文化主義を掲げるビエンナーレが行なわれる最大の意義だろう。会場については、それ以外にも、かつては日本軍の降伏調印が行なわれ、最近まで最高裁判所だった旧市庁舎、病院として使用されていた軍の元キャンプ施設、隣国マレーシアの管轄する、さびれたしかし味のあるシンガポール駅、細長い形の古い公営アパート、そして開館したばかりの新国立図書館といった、普段は展覧会場としては使われないシンガポールの歴史的・文化的なランドマークが当てられている(改築された国立美術館も会場に含まれる)。
それら会場の設定だけでも、多文化主義的なメッセージを発するには十分なお膳立てが整ったが、そこに作品を置くことでさらに文化間の「対話」を促進しようというのがキュレーターの狙いであることは理解できる。そこで焦点が当てられるのが、ビエンナーレのタイトルとなった「belief」である。信仰から信念、信用、そして単に信じることまで広範な意味を含むこの言葉は、多様性が日常化しているシンガポールのような文化環境で、「belief」がどのようにして成り立っているのか。またシンガポールを含めて、そもそも多文化的社会で、それが上辺ではなく真に成り立つ可能性はあるのか、といったことまで考えさせる。つまり、「belief」は文化の接触面で生じる重要な心理的メルクマールであり、その必要性と不在、そしてその理由を、いまいかに取り扱うかが問われている。
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美術の目的を問い直す
確かに、南條の言うように美術は問題を解決できなくても、それを提起することはできる。しかし昨今の世界情勢は、「belief」をめぐるさまざまな問題に回答を出すことを求めているのではないか。それが決定的に失われたように思われるからこそ、また不信と虚無が世界を征服してしまったように見えるからこそ、早急に回答を提出することが美術に課せられているのだ。美術の目的そのものが、問い直されなければならない。
もし回答が提出されるとすれば、二つのビエンナーレの共通点ではなく相違点である参加アーティストの作品に捜してみるのがよい。シドニーとシンガポールの両方に出品したアーティストは皆無だが、ここでは参加アーティストの多さが両方に共通する日本人に関して少し調べてみよう。シドニーの日本人アーティスト、森山大道、束芋、竹村京、宇治野宗輝は、文化的な多様性を今一度カオスに還すことで、文化間に生じるコンフリクトを解消する方途を編み出し、シンガポールに出品した草間彌生、杉本博司、原高史、坂茂、森万里子、栗林隆、松蔭浩之、会田誠は、スタティックとショッキングの違いはあれ、鑑賞者に反省を喚起して多様性がもたらすストラグルを乗り越える道を模索するよう促している。
多文化主義をめぐる問題は、文化の多様性を不変的に固定することでも、多様性の増大を無条件で賛成することでもない。まず「Zone of Contact」のように、文化と文化の間で生じている事実を把握し、ついで「belief」のように、その多様性を抑圧するのでも強制するのでもないインタラクティヴなやり方を手探りし、最後にこの不可避的な交流や交換の果てに見えてくるものを先取りすることである。それが、現在に生きる美術の役割であることは言うまでもない。 |
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左:杉本博司《The Last Supper》/右:原高史《Signs of Memory-City Hall Pink Windows》 |
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左:坂茂《Paper House》
右:森万里子《Tom Na H-iu》 |
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左:松蔭浩之《STAR》
右:会田誠《Harakiri School Girls》
写真提供すべてSingapore Biennale 2006 |
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[ いちはらけんたろう・美術批評] |