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プライバシーステートメント
フォーカス
思いは揮発する
白坂ゆり
 3回目は雨だった。東京都現代美術館で開催中の大竹伸朗「全景」展をまた見に行く。薄曇りに煙る「宇和島駅」のネオン、美術館の壁面に映る建物がぼやけて、どこか異国のターミナルに降りたみたいだった。自動ドアを抜けると、白いワニが赤いビロードの口を開けている。《零景》の奏でるハワイアンに脱力する。
大竹伸朗
大竹伸朗
 展覧会オープニングの日の帰り、混雑した地下鉄の車内にエロ本が落ちていた。河原かと思った。スクラップブックや立体作品のディテールを見ているとき、子どもの時に河原に落ちていたグラビア本を開いてしまったことを思い出す。泥がついていて、ページをめくるときにペリッと破けたあの感じ。テレビのお色気ものとは違い、それが何かわかるまでに時間がかかった。そのとき、通りがかった自転車から「子どもは見ちゃダメだよ」というお兄さんの声がして心臓が飛び出しそうになった。違うよという気持ちと、その頃誘拐が多かったので怖くなり、何重にもどきどきした。
 作品を思い返してみると、女性を虐げるようなものはない。外国のポルノ雑誌やチラシなどの印刷もの、映画フィルムやプライベート写真など、隠されたものを見る緊張感も含めてインビな質感を思い起こさせる。
スクラップブック
《スクラップブック》
 3階から地階までの三層にわたり、子ども時代から51歳の現在までの作品約2,000点が時系列で並べられた「全景」展は、ワニと《零景》が入口であり出口だとすれば、本編の始まりはスクラップブックの展示になる。その次の子ども時代の部屋に《「黒い」「紫電改」》という作品もあるが、1977年にロンドンの蚤の市で買ったマッチラベルをノートに貼り付けていったことから、切ったり貼ったりすることが好きだということに気づき、以来ずっと制作の原点にもなっている。レオナルド・ダ・ヴィンチの画集に、印刷物やらを重ねて貼り倒していったという11,818ページ、重さ226.6キロのとてつもないスクラップブックもアコーディオンのように立っている。
 貼るのは、男ならヤマト糊。口紅みたいなスティックのりはダメらしい。ここには、よれる、染み出る、飛び出る、ほつれる、むける、かぶさる、摺り合う、かすれる、引っ掻く、ぶら下がる、破ける、はみ出す、波打つ、汚れる、留まる、反り返る、這い出る、しわやたるみ、気泡のような溜まりなど、ものとものとが関係し合う間の、にじみ出る匂いや蒸せるような熱気がある。下の層が見えなくても上の層に何かを及ぼし、効いている、密度の濃さ。それらは絵画表現においても随所につながっているように思う。
 最初はその物質の重量感に圧倒されていたが、やがて重さや厚みよりも、醸し出される風、砂埃、湿気、蜜、匂いのようなものを感じるようになってきた。少なくとも「いやー、よくやった」などという労働量や時間の長さに達成度をすり替えないようにしている潔さは伝わってくる(実際には敬服します)。


旅は続く、続きの夢
網膜
《網膜》
 展覧会はスクラップブックの後、10歳で画家になることを決めた子ども時代へ。1974〜75年、10代の終わりに武蔵野美術大学を休学して、北海道・別海の牧場へ。77〜78年、20代初めのロンドン滞在。80年代初め、ニューペインティングの旗手と注目されるが、画廊とのトラブルで発表が途絶え、80年代末から佐賀町エキジビット・スペー スでの個展を機に起死回生。88年、30代初めに宇和島に移住。40代前後から一般には卑下されるような日本のローカルな風景を実際に旅し、《日本景》として描く。間に、香港、ニューヨーク、ナイロビ、モロッコなどの旅の記憶を反映した作品が挟まれている。
 巨大な水槽に浸かっている気分。あるいは巨大なスクラップブックのなかを歩いたのか。思い返すと再び整理しきれない大きな「全体」になってくる。
 だいたい10年ごとのスパンで大きな変化があるのだろうか。そこに以前の体験が混ざってくるようだ。給水塔とモスクは似ているような気がするが、同じモチーフも何度か登場する。初期作では「人と人の間」がよくでてくる。しかし、モチーフそのものではなく、たとえば旅先で見た光景に受けたこの感じは何なのか、そこが知りたくて描いたり、つくったりするのだろう。大竹の著書には、「網膜、まぶたに映る風景」を紙に写すため、インクや色鉛筆を走らせている状態について時折書かれている。それは大竹が言う「夢」にも似ているのだろう。
 「全景」展で、ディテールを見ながら蟻になる夢を見た。板を剥がした時に間にいるような蟻、ああいうヤツになって、充満と空虚、猥雑と秩序のなかを歩く。《シップヤードワークス》のくり抜かれた円の中、油絵のでこぼこの上や《日本景》の紙の上。アンテナを折り曲げて空間を把握しながら、手足の触覚をスリスリして。
《女神の自由》《ダブ平&ニューシャネル》 シップヤードワークス
左:(右から)《ペインテッド・マターl(アトランタ)》《女神の自由》《ダブ平&ニューシャネル》
右:《シップヤードワークス》
積み重ねる時間、過ぎ行く時間
 ベイスギャラリーでの個展「旅景」も良く、ナイロビやイスラム、モロッコのモチーフのある場所にも惹かれるようになった。木炭や色鉛筆が好きだし、音の出る作品の、呪文のような音楽やくねるアラブ歌謡のせいかも。私は中東やアフリカに行ったことがないので知った風なことは言えないし、全部いっしょにするなと言われそうだ。ただ、著作『カスバの男』にも書かれているように、目の前の「いま起こっていること」に追いつかない、目に焼き付けてから写し取るまでの「ズレ」の感覚を浴びたくなる。あるいは、ビニールシートや台車などが描かれた色鉛筆画に見られる「街の隅」が好きだからか。この数カ月で、2人から「ケモノ度(野性味)が足りない」と言われたので、理屈が効かない経験がしたいのかもしれない。
 私は、長い年月を感じさせる錆や傷のついた鉄にも、掘建て小屋の安っぽい建材にも感情移入する。据え置かれるものには記憶を喚起させられ、仮置かれるものは記憶に留めようとするからかもしれないが、一方だけが価値があるとは思えない。彫刻とインスタレーションの振り幅とも似ているかもしれない。大竹伸朗の展覧会は、時の積み重ねと同時に時が過ぎ行く。流れるばかりではなく沈殿する。この感触は、もっと後のある日に浮かんでくるだろう。
ナイロビ ナイロビ
《ナイロビ》シリーズ
すべて筆者撮影
[ しらさかゆり・美術ライター]
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