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加速する遠心性──2006年アートシーンの一断面
福住廉
 昨年のアートシーンを振り返ってみて、真っ先に思い浮かぶのは東京・銀座のメゾンエルメスで催された西野達の個展「天上のシェリー」である。エルメスの旗艦店の最上部に常設されている騎士のオブジェは銀座のランドマークともいえるが、これを簡素な仮設小屋で丸ごと包み込み、少女風にアレンジされた室内の部屋に入るとベッドの上にその白馬の騎士が現われているという仕掛けだ。外部にあったものを内部に取り込むという発想は赤瀬川原平の《缶詰》を彷彿とさせるが、ここで興味深いのは外部が内部化されるのと同時に隠されていた内部が外部化されるという点である。つまり地上から日常的に見上げていた「花火師」を間近で見直すと意外に粗雑なつくりであることが判明したのに加えて、同じように安っぽい部屋で白馬の王子を待ち焦がれる少女の夢物語が階下のブランドショップで蠢く欲望の物語と接続されることによって、現代の消費文化のなかで生きる女性の「内面」がありありと浮き彫りにされたのである(ちなみに会場へと上がる店内の小さなエレベーターがシンドラー社製だったことも発見だった)。美術館ではありえない、ファッションブランドならではの好企画だった。

求心性から遠心性への志向転換
「天上のシェリー」チラシ
「天上のシェリー」チラシ
 思えば、昨年はエルメスの後を追うように、さまざまなファッションブランドがアートに参入した年だった。同じく銀座にはシャネルがギャラリースペースを設けていたが、ポール・スミスやヒステリックグラマーも青山にアートスペースをオープンさせた。いずれの場合にも共通しているのは、ブランド本体からの自律性が相対的に低いという点である。エルメスや、最近報道写真展を企画したシャネルはむしろ例外的で、ほとんどの場合、ブランドのイメージ戦略の一環としてアート展が催されていることが多い。企画の内容面でのより一層の努力と飛躍が望まれるところだが、とはいえ、ファッションブランドによるアート展が従来の美術業界とは異なる潮流を生み出していることはまちがいない。アートの領域はたしかに拡張しており、多様化している。このことをいくぶん図式的に要約すれば、美術館に代表されるアートの求心性の構造から離れようとする、あるいは無関係に実践しようとする遠心性の志向といえるだろう。
 たとえば、遠心性のアートのもっとも代表的な事例は「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2006」である。都市型アートの終焉を説く北川フラムによって組織された同展は、里山の共同体に作家が入り込み、その場でサイトスペシフィックな作品を制作して発表することをねらっている。だが、それ以上に重視されているのは、当地の地域住民が同展を触媒として活性化したり、あるいは当地での非日常的な経験や自己実現を目指して都市から多くの老若男女が訪れ、そこで新たな交流が派生することだ。すでにアートプロジェクトが作品を物質からプロセスに解放したように、遠心性のアートは「作品」概念を次々に転位させていく。であればこそ、それを評価する批評の基準も、物質と対峙する批評眼からプロセスの経緯と結果を客観的に見定める冷徹な眼差しへと変容しなければならない。里山の美しさや地域住民の温かさを今さらのように述べたところで、遠心性のアートを厳密に評価することはできない。
日本大学芸術学部彫刻コース有志《脱皮する家》 クリスチャン・ボルタンスキー《旧東川小学校》
左:日本大学芸術学部彫刻コース有志《脱皮する家》
右:クリスチャン・ボルタンスキー《旧東川小学校》
増加するオルタナティヴな活動
 別の例を挙げれば、昨年は非営利のオルタナティヴな活動が盛んに見られた一年でもあった。すでに活動していた横浜市の「BankART 1929」は美術にかぎらず、舞踏や写真、建築といった多様なジャンルの展覧会やイベントを催す一方で、スクール事業や行政との連携事業なども手掛け、全国でも稀に見る大規模かつ多様な活動を今年も精力的に展開した。また同じく横浜港湾地区の「北仲BRICK & 北仲WHITE」は今年10月で惜しまれつつ閉鎖されたが、そこを拠点にしていた活動のいくつかは近隣の「ZAIM」「本町ビル45(シゴカイ)」に居を移して継続している。横浜を含む東京近辺に限って見ても、バングラディッシュ・ビエンナーレのコミッショナーを務めた「Arts Initiative Tokyo」をはじめ、全国のオルタナティヴ・スペースのネットワ ーク化を進めている「Art Autonomy Network」、お金とコミュニティについて考えるプロジェクト「Survivart」、ウェブ上で展覧会のレビューを手がける「MUSEUM OF TRAVEL」などが積極的な活動を見せている。地方の動向も視野に収めれば、その数はかつてないほどに膨れ上がっていることだろう。
 こうしたオルタナティヴの活動に比較的多く見られる特徴は、展覧会という形式にそれほど拘泥していないという点にある。「越後妻有アートトリエンナーレ」が基本的には展覧会という形式を保持しているのに対して、オルタナティヴにとってそれは必ずしも有効な形式ではないようだ。それに代わって彼らが熱心に取り組んでいるのが「イベント」や「トークショー」、あるいは「ワークショップ」である。とりわけゲストスピーカーを招聘して、レクチャーなりディスカッションを行なう場を設けるという形式が、ここ数年眼に見えて増加してきた。そこに作品が展示される場合もあるが、それにしてもメインイベントとして位置づけられているわけではない。主要な関心はあくまでも肉声を聞くというライブ感覚なのだ。
BankART 1929 BankART 1929
左:EIZONE@BankART1929「EIZONE Media ART Market」(2006年7月)
右:福住廉「アートの綴り方」(同、6-7月)
提供=BankART 1929
アートの遠心性の醍醐味
 だが、こうした方向での遠心性に疑問がないわけではない。むろん大学などに限定されていた特権的な声を拝聴できることに価値がないわけではないけれども、しかし多くの場合、「イベント」や「トークショー」という形式であったとしても、スピーカーと聴衆という関係は温存されたままであり、それは従来の作家と鑑賞者という近代的な関係性をなぞっているにすぎない。アートの遠心性とは、美術の因襲的な作法をどこかで根底的に覆す可能性を秘めているからこそ評価できるのであって、それをないがしろにしたままでは遠心性の志向といえども、いつのまにか求心性に反転してしまうということになりかねない。つくる/見る、話す/聞く、教える/学ぶといった固定的な役割分業を錯綜させ、それらが渾然一体となった運動体を生成させること。そしてそこから新たな遠心性のダイナミズムを生み出していくこと。ここにこそ、アートの遠心性の醍醐味があるのではないだろうか。これまでにないほど求心性が弱体化している今となっては、こうした遠心性の傾向は今後ますます加速していくだろう。その道筋は四方八方に広がっているが、歩むべき道はしっかり見極めなければならない。
[ ふくずみれん・現代美術/文化研究]
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