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六本木にまたひとつ、エフェメラルな「美術館」が。 ──祝国立新美術館開館 |
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村田真 |
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つい4年ほど前まで六本木には美術館がなかった。それが2003年に六本木ヒルズに森美術館ができ、この1月には国立新美術館がオープンして、にわかに活気づいてきた。3月には東京ミッドタウンに移転したサントリー美術館が開館予定で、六本木は夜の歓楽街からアートの街に変身しようとしている……といわれている。本当かよ。
国立新美術館は、国立の美術館としては東京・京都の近代美術館、上野の西洋美術館、大阪の国際美術館に次ぐ5番目の施設。建物の設計は黒川紀章・日本設計共同体で、展示面積14,000平米と国内最大規模を誇る。展示空間の内訳は、公募展用が計10,000平米(1,000平米×10室)に、企画展示室が4,000平米(2,000平米×2室)。そのほか、レストラン、カフェ、ライブラリー、ミュージアムショップなどを備え、レストランにはポール・ボキューズが入る……なんて瑣末な話はどうでもいい。 |
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公募展のための展示施設
この美術館は(ほかの美術館も基本的にそうだが)巨大な展示空間がいくつか並んでいればことたりるわけで、基本構造は四角いハコ。しかしそれだけではあまりに芸がないので、ファサードをガラスのカーテンでおおってボヨヨンと波打たせてみましたみたいな。だからあのカーテンをとっぱらってしまえば、単なる四角いハコしか残らないことは、森美術館の展望台からも確認できる。
なぜ四角いハコなのかといえば、ここがコレクションをもたず、おもに美術団体の公募展のためのレンタルスペースとして使われるからだ。自館のコレクションを常設展示するならまだしも、人さまに貸すためのスペースだからデザイン的に遊ぶ余地はなく、展示優先のニュートラルな四角いハコに徹しなければならなかったのだ。
そもそもこの美術館、公募団体の要請に後押しされて建てられたようなもの。公募団体とは日展、二科会、日本美術院など美術家の組織したグループで、会員らが定期的に作品を発表するための場として、また、有望な新人を発掘する機会として、毎年公募展を催す。新人にとっては画壇への登竜門でもある。これまでおもに上野の東京都美術館を主会場とし、地方公立美術館やデパートを巡回先としてきた。
美術団体については別の場所でも書いたので詳しく触れないが、設立当初こそ存在意義があったもののいまや形骸化して久しい。にもかかわらず団体は増えこそすれ減る気配はなく、公募展以外では見かけることのなくなった“2段掛け”も健在だ。
そのため東京都美術館だけでは手狭になり、かねてより国立の展示施設建設が望まれていた。ただし、美術団体に貸すだけではさすがに文化庁もマズイと思ったのか、企画展示室その他をつけたしてようやく実現したものなのだ。おりしも2007年は日展の前身である文展(文部省美術展覧会)の開設100年に当たる年。偶然にしてはできすぎではないか(もっとも当初は昨年の開館を予定していたらしいが)。
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アートセンターとしての役割に期待
いずれにせよこの美術館、いくら企画展示室をオマケにつけたところで、メインはあくまでレンタルスペースにすぎない。このような施設を、少なくとも海外では「美術館」とは呼ばない。先日、森美術館主催のシンポジウム「大型美術館はどこへ向かうのか?」でも語られたように、美術館とはなによりコレクションありきだからだ。そのことは実は当の文化庁がいちばんよく理解しているようで、英語表記に「Museum」という語を使わず、「The National Art Center, Tokyo」としているのだ。
日本人向けには「美術館」と称し、外国人向けには「アートセンター」と呼ぶ。これはダブルスタンダードというものだろう。しかもアートセンターと謳うほどセンター的機能が充実しているとも思えない。もちろんまだ開館したばかり、きっとこれから国立のアートセンターとして充実を図っていくに違いない。期待して待つことにしよう。
ちなみに、先述のシンポジウムに出席したヴェンツェル・ヤコブが館長を務めるのは、ボンのドイツ国立美術展示ホール(Kunst-und Ausstellungshalle der Bundesrepublik Deutschland)。なにもミエを張って「国立新美術館」とか「ナショナルアートセンター」と名乗らなくても、「国立美術展示ホール」で十分ではないか。あるいはいっそのこと、これも何度も書いたが、「ナショナルレンタルギャラリー」というのがふさわしいのではないか。
ついでにいえば、森美術館もコレクションをもたず展覧会を打ち続ける施設だから、本来の意味では美術館とはいえない。つまり、いまだに(少なくともサントリー美術館が開館するまでは)六本木に美術館はないのだ。
その意味するところは、森美術館も国立新美術館も展覧会がストップすれば、単なる巨大な空き箱と化すということであり、いずれ別の用途に転用される可能性もあるということにほかならない。そう考えれば、森美術館も国立新美術館もまことに移り気な六本木の街にふさわしい“エフェメラルな美術館”(フランシス・ハスケル)といえるだろう。 |
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[ むらたまこと・美術ジャーナリスト ] |
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