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ル・コルビュジエはどこへ──複数の多面体が見せる輝きへ
松田達
なぜル・コルビュジエは何度も不死鳥のように蘇るのか?
 あのパリ16区の瀟洒な集合住宅が立ち並ぶ通りを幾度か折れ曲がり、エクトール・ギマールによるアール・ヌーヴォー建築の脇を抜け、路地の突き当たりにL字に配置された真っ白いラ・ロッシュ=ジャンヌレ邸の手前のル・コルビュジエ財団事務所側、すなわち予約を取って研究などを目的に立ち入ることができるジャンヌレ邸にはじめて入ったとき、真っ先に目に入ってきたのは、32巻組の『The Le Corbusier Archive』、ガーランド社とル・コルビュジエ財団によって1982年から84年にかけて出版された、32,000点の膨大な図版を掲載した本と、それをいく人かの学生や研究者と思しき人たちがひっきりなしにめくっている姿だった。
 ウィリ・ボジガー編集による8巻組のいわゆる「全集」をル・コルビュジエのすべてだと思わされていたわれわれは、このめったにお目にかかることのない巨大な「アーカイブ」と出会うことによって、まったく新しいル・コルビュジエの全貌に出くわしてしまう。そして、つい最近2005年から07年にかけて、その「アーカイブ」を上回る資料を組み込んだ16巻組のDVD「PLANS」が発売された。ル・コルビュジエは何度もその全体像を塗り替えている。
 夥しい数の作品とテキスト、資料と伝説を残したル・コルビュジエについての新しい展覧会を見る驚きとは、このような体験に似ている。生誕120周年を経て、なお彼についての研究や紹介はとどまることはない。そしていまだにその全貌に迫ることなど不可能に近いといえるほど、彼が残してしまったものは多い。なぜル・コルビュジエ展は何度となく行なわれ、その度に彼は不死鳥のように蘇ってしまうのか? いま東京、六本木の森美術館で開かれている「ル・コルビュジエ」展は、生誕120周年を経た2007年の目から見た、新しいル・コルビュジエの姿を映し出している。


人間、ル・コルビュジエ
ル・コルビュジエ
ル・コルビュジエ
1950
©FLC
 それでは果たして今回のル・コルビュジエ展は、彼のいかなる像を描き出そうとしているのであろうか? ル・コルビュジエと長く付き合っている世代であれば、これ以上ル・コルビュジエについていったい何を展示するというのだろうかと思われるかもしれない。確かにこれまでの主要な展覧会を挙げるだけでも、1960年から61年に大阪市立美術館と国立西洋美術館で開かれた「ル・コルビュジエ展」、89年に日本建築学会ル・コルビュジエ展実行委員会によって開かれた「ル・コルビュジエ展」、91年に東京国際美術館と大成建設特設ギャラリーで開かれた「知られざるル・コルビュジエ展」(87年のル・コルビュジエ生誕100周年にスイス、ローザンヌで開かれた同名の展覧会の巡回展)、96年から97年にかけて、セゾン美術館、神奈川県立近代美術館、広島市現代美術館で開かれた「ル・コルビュジエ:モダニズムの精神(エスプリ)──光と空間の20世紀」展、2001年にギャラリー間で開かれた「住宅のル・コルビュジエ──全プロジェクト模型と家具」展などがあるほか、96年からギャルリー・タイセイでは、さまざまなテーマで幾度となくル・コルビュジエを取り上げている(年間4つ程度開かれる企画展のほとんどがル・コルビュジエに関するもの)。
 要するに、ひっきりなしにどこかでル・コルビュジエ展が開かれているのだ。しかし、その違いは何か? 96年にセゾン美術館で開かれた展覧会は、今回の展覧会に次ぐ大規模の展覧会であり、筆者は大学4年のときに足を運んだことを覚えている。その時のル・コルビュジエは、「20世紀を代表する建築家」としての姿に焦点があっていたような気がする。だとすれば今回、2007年の森美術館での展覧会であてられていた焦点は、その副題「建築とアート、その創造の軌跡」が示すように、建築家でもあり芸術家でもあり、その両者を通して創作を続けた「人間、ル・コルビュジエ」にあるのではないか。全体的な印象としては、英雄という10年前の印象よりは、必ずしも成功はしなかった画家としてのル・コルビュジエに注目したり、建築として注目される作品より、彼の自宅兼アトリエの一室や、死の直前まで用いていたカップ・マルタンの休暇小屋を原寸大で再現したりと、私生活を含めた人間としてのル・コルビュジエを捉えることができる作品にも注目した展覧会になっていたと思う。

いくつかの切り口から
 今回の展覧会の特徴を見ていこう。ル・コルビュジエは、切り口を変えれば異なった相貌を見せる。彼ついての展覧会は、展覧会の大きさというより、その切り口こそが重要になってくるといえるだろう。その意味で、今回の展覧会は、あらかじめル・コルビュジエを包囲するかのように配置された4人の企画委員(南條史生、山名善之、千代章一郎、林美佐の各氏)によって、多様な輝きを見せる多面体としてのル・コルビュジエが、極めて巧妙な複数の切り口で切り取られたといってよいのではないか。
 例えば、今回出展された三つの原寸大模型、ナンジュセール・エ・コリ通りのアトリエの一室、マルセイユのユニテの二階建て一戸分、南仏カップ・マルタンの小さな休暇小屋のうち、特にユニテを再現することができたのは、長さ22メートルというユニテの大きさをちょうど包含できる広さを森美術館が持っていることに気付いた森美術館館長南條史生氏のアイディアによると聞く。また、そもそも森美術館はル・コルビュジエの絵画などを多く所有しており、今回ル・コルビュジエ展がここで開かれることになったのは、生誕120周年という時期的な必然性をともなっていたという。今回の展覧会の副題は「建築とアート、創造の軌跡」であるが、山名善之氏はル・コルビュジエが二つの創作時間──アートに割り当てた午前(造形的遊動)、建築に割り当てた午後(建築的遊動)──を繰り返すことによって探求し続けた「詩情(ポエジー)」を想像する機会を、われわれは与えられているという。2006年にロンシャンの礼拝堂、ラ・トゥーレット修道院に続く、最後の宗教建築フィルミニの教会が、助手であったジョゼ・ウーブルリによって完成した。最後の新作であるこの教会の誕生を伝えることこそ、今回の展覧会の目玉のひとつであることは間違いない。長くル・コルビュジエの宗教建築について丹念に研究していた千代章一郎氏は、この教会の建設の経緯について詳細に紹介している。そして今回の展覧会の特徴であるアートについて多くの絵画と彫刻が、詳細な解説と共に、これだけつぶさに紹介されているのは、ギャルリー・タイセイにて長くル・コルビュジエの絵画を中心とした研究に携わってきた林美佐氏の尽力があってのことに違いない。
ル・コルビュジエ《アトリエ 再現模型》 ル・コルビュジエ《マルセイユのユニテ・ダビタシオン 再現模型》
左:ル・コルビュジエ《アトリエ 再現模型》
右:ル・コルビュジエ《マルセイユのユニテ・ダビタシオン 再現模型》
ともに「ル・コルビュジエ展:建築とアート、その創造の軌跡」 展示風景
撮影=渡邉修
写真提供=森美術館
複数の多面体としてのル・コルビュジエへ
 展覧会の詳細についても紹介しておこう。ここにはさまざまなものが結集されている。1955年に製作され、当時の文化大臣アンドレ・マルロー氏に寄贈されて以来、3回しか貸し出されなかったロンシャンの礼拝堂の石膏模型、ル・コルビュジエが生涯に描いた450点あまりの油彩画のうち41点のタブロー、絵画のモチーフとして用いた貝殻やグラス、愛用していた眼鏡、キセル、パレットなど、89年に黒川紀章が各大学などへ呼びかけることによって製作された22点のル・コルビュジエの建築作品の模型のうち20点の模型、ソヴィエト・パレスの非常にクオリティの高いCGアニメーション、森アートコレクション所蔵による多くの絵画やデッサン、そして細かいところでは例えば吉阪隆正のル・コルビュジエ事務所での給与明細までもが集められている。またあらためて今回の展覧会にあわせて出版されたカタログには、槇文彦、磯崎新、黒川紀章、安藤忠雄らをはじめとして多くの建築家、研究者による書き下ろしのテキストが掲載されている。さらに詳細に読んでいけば、これまでのル・コルビュジエ関係の資料に比べて、情報の精度が格段に上がっていることも明らかになるだろう。2007年におけるル・コルビュジエ学の成果がここに現われているといえるのではないか。
赤いバイオリンのある静物 女と雀
左:ル・コルビュジエ《赤いバイオリンのある静物》
1920、100×81cm、油彩、カンヴァス
 右:ル・コルビュジエ《女と雀》
1957、220×223cm、タペストリー
ともに©FLC
 われわれは今回の展覧会を通して、企画委員の4氏をはじめ、多くの関係者によるさまざまな切り口を見ることができるだろう。それら鮮やかな切り口の後には、切り取られた断面としてのル・コルビュジエを見るのではなく、その結果、再び別の複数の多面体が新たに切り出されたかのようでもある。より複雑な輝きと反射を増すル・コルビュジエ。そこに像が重なり合い、互いに干渉し、新たな像を生む。宝石のような輝きをともなって、その多様な姿をわれわれに見せる。一人の人物の仕事としてはあまりに途方もない。けれども、われわれはその中心のどこかにル・コルビュジエという一人の人間がいたことを知るだろう。そして生誕120周年を経て、なお新たな姿を何度でも現わすこの人物の魅力を見出すことができるだろう。ル・コルビュジエの全貌を必ずしも知る必要はない。ル・コルビュジエという人間を、この展覧会を通してそれぞれに感じればよいのではないだろうか。
[ まつだたつ・建築家]
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