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ここらでいちど立ち止まったって感じの国際展
村田真
失敗? にしても果敢なドクメンタ12
 なんだこれは!?
 岡本太郎ではない。ドクメンタ12の会場をめぐっていたときの感想である。
 驚いたというより、あきれたというニュアンスだ。こんな投げやりな感想をもらすのは、自慢じゃないがドクメンタ6回目にして初めてのこと(そうか、ドクメンタ全12回のうち半分は見たことになるのか。そっちのほうが驚き、あきれるわい)。
 ともあれ、こんなにウキウキワクワクしなかった国際展はドクメンタ以外でも珍しい。あるとしたら第1回ハマトリくらいだ。理由を列挙したい。
 第1に、出品作家の大半が知らないアーティストであること。そもそも今回はオープニングまで出品作家名が伏せられていた。名前だけで判断してほしくなかったからだろうが、情報を制御することで期待感を高め、アートイベントとして盛り上げていく計算もあったかもしれない。だとしたら失敗でしたね。前評判がまったく聞かれず、逆に盛り下がってしまったからだ。実際、今回ほど閑散としたオープニングは初めてだ。
 そのオープニングの日に作家リストを一瞥して、愕然とした。109人の出品作家のうち、名前を聞いたことがあるのはわずか13人、1割ちょっとにすぎない。あのー、いちおうぼくも美術ジャーナリストなもんで、国際展に出てくるアーティストの半分くらいは知ってなきゃいけないんですけど……。でもこれは、いくら最近海外事情に疎いとはいえ、ぼくの責任じゃない。たぶんみんな知らないと思うよ。
 第2に、知ってるアーティストでも、国際展を華やかに盛り立てる「スター」や「巨匠」クラスの常連アーティストが見当たらないこと。強いてあげれば、今年75歳のゲルハルト・リヒターくらいか(しかも出品は30年前の小品1点のみ)。そのかわり、ほぼ30年ぶりに名前を聞くミニマルアートのジョン・マックラケンや、具体美術協会の創立メンバー田中敦子(故人)らが旧作を何点も出していて、重要作家のあつかい。こんな懐メロ大会では盛り下がるわなあ。
 もっとも、知らないアーティストが多いこと自体は悪いことではない。むしろ新しい才能と出会える機会として歓迎すべきこと。といいたいところだが、どうやらここでは未知のアーティスト=新しい才能という等式は成り立たず、むしろマックラケンのように忘れられた、または日の目を見なかった過去のアーティストもずいぶん含まれているようなのだ。
 第3に、そうした未知のアーティストに関する情報が少ないため、とりつくシマがないこと。作品の横のプレートには名前は書いてあっても、生年や出身国は記されていない。これも先入観を排して作品を見てもらうための配慮だろうが、たとえば戦争の写真や宗教がらみの絵の場合、どこの国のどんな立場の人がつくったかによって作品の読み方が180度変わる可能性だってある。カタログの巻末にはデータが載っているけど、展覧会を見ながら照合するわけにはいかない。要するに作品を理解するための手がかりが乏しいのだ。
 とくに今回はこれまで以上に東欧、アジア、アフリカ、中南米のアーティストが多く、名前を見ただけではどこの国の人かわからないし、どう発音するのかさえ定かでない。ではここで問題。Oumou Syはどこの人で、どう読むか? Alina Szapocznikowは? Annie Pootoogookは?(正解は順に、セネガル、ポーランド、カナダのイヌイット。読み方は不明)。
ブルース・ナウマン《正方形のくぼみ》
左:ジョン・マ・クラケン《火》。13点出品されたうちの、これは2007年の最新作
右:田中敦子《作品》。1955年の作品で1986年に再制作。奥は仮設パビリオン
 第4に、すでに少し触れたが、いつになく旧作が多く、新作が半分くらいしかないこと。国際展では、少なくとも70年代以降は、アーティストが現地で制作したり展示したりする「新作主義」「現場主義」が主流となり、それが国際展ならではの臨場感を高め、商品をあつかうアートフェアとの差別化をもたらしてきたのだが、今回はこれに逆行している。
 そして第5に、首をかしげたくなるような展示が多々見られること。1室にひとりしか展示してない部屋もあれば、10人くらいつめ込んでいる部屋もあるし、同じアーティストの年代や作風の異なる作品が別の会場に分散されていたりもする。
 とりわけ広場に建てられた仮設パビリオンが死にそうなほど変。無骨なカマボコ型の倉庫を連ねたかたちはまあ許すとして、信じられないのは窓を大きくとりカーテンをかけていること。しかもその上に絵を展示しているのだ。そうかと思えば、照明が当たらず暗くて見えにくい作品もあって、展示の条件はてんでバラバラ。一見デタラメに見えるが、もちろん計算ずくなのだろう。しかしその意図は理解できないし、成功しているとも思えない。少なくとも作品本位の展示ではないことはたしかである。
イサ・ゲンツケ 雑然とした仮設パビリオン内の展示風景。左に春木綾子の作品が見える
 以上、あきれた理由やウキウキワクワクしないワケをタラタラ述べてきたが、しかしひるがえって、これらははたして本当にあげつらうべき弱点なのか。ひょっとしたらこれら諸々の事態こそ過去のドクメンタから訣別し、新たな国際展を確立していくために仕掛けられた革命なのではあるまいか、との思いもふと頭をかすめる。
 すなわち、バブルに踊るアートマーケットに背を向け、世界中から未知のアーティストや忘れられたアーティストを発掘し、国際展のお祭り騒ぎに冷や水を浴びせ、新作主義・現場主義のインフレに待ったをかけ、ホワイトキューブが当たり前という風潮からの脱却を図ったと。そう考えれば、なんとも果敢な、いや無謀なドクメンタであることか。たとえ失敗に終わっても、このように果敢・無謀な試みを、およそ19万ユーロ(約30億円)もかけてやってしまうドクメンタは、やっぱり懐が深いなあ。


女性原理に支配された彫刻プロジェクト
 次に訪れたミュンスター彫刻プロジェクトも、いつになく地味な印象だった。出品作家33人は前回の半分以下だし、超有名アーティストもわずかしかいない。だが、展覧会としてはドクメンタよりうんと親しみやすく、ノーテンキに楽しめる。
 この彫刻プロジェクトの最大の特徴は、市内各所に点在させた作品を、観客が地図を片手に探しまわるというオリエンテーリング方式だ。ミュンスターが編み出したこの方式は、いまや世界中に浸透しつつあり、日本では越後妻有アートトリエンナーレに受け継がれている。
 もっともこの彫刻プロジェクトの最大の「楽しみ」は、実は10年に1度という長い間隔にあるのかもしれない。これを毎年やられてもだれも見に行かないだろうし、5年に1度だったらドクメンタの「おまけ」でしかない。やはり私生活にも社会情勢にもアートの動向にもはっきり変化が見られる10年に1度くらいがリーズナブルなのだ。これを浦島スパンと呼ぶ。呼ばないって。
 だから彫刻プロジェクトの正しい楽しみ方は、10年ごとにこの街を訪れてその回の作品傾向を知り、過去10年のアートの動きを顧みると同時に、街や自然環境の変化を肌で感じ、振り返って息切れがする自分に気づき、あと何回ここに来れるか指折り数えて暗澹とした気分に浸ることだ。
 実際、街の変化や本人の老化はともかく、作品の移り変わりはわりとはっきり感じられる。ぼくが最初に訪れた1987年は、リチャード・セラの2枚の鉄板を向かい合わせに立てた巨大な作品や、ダニエル・ビュレンの4色のゲート、キース・へリングの真っ赤な犬の彫刻など、いわゆるパブリックアート的な野外彫刻が多かったが、1997年になると、イリヤ・カバコフの詩を書いたアンテナのような塔、ハンス・ハーケの板塀で囲われたメリーゴーラウンド、フアン・ヨンピンの東西の美術を融合させた千手観音など、仮設的でメッセージ性の強い作品が目についたものだ(つけくわえれば、1977年の第1回は、ドナルド・ジャッドの円筒やクレス・オルデンバーグの巨大な球のように、ミニマルな傾向があきらか)。
 これに対し、では今年の特徴はなんだろう。考えると、唐突だが、女性原理の勝利、という言葉が浮かんでくる。どういうことか。
 いまあげたリチャード・セラからフアン・ヨンピンまでの作品は、いずれも大地からぬっくと屹立する彫刻であり、いってみればファロス(男根)的で、男性原理に基づく作品といえる。え?彫刻はみんな男性的じゃないの? と思うかもしれないが、そうでないことは今年の作品をいくつか見ればうなずけるはず。
 たとえば、地面をゆるやかな逆ピラミッド形に掘ったブルース・ナウマン《正方形のくぼみ》(ただしプランは1977年に発表)をはじめ、公園を掘ったら教会の尖塔が発掘されましたみたいな設定のギョーム・バイル《考古学的サイト》、冗談か本気か知らないけれど湖のほとりで温泉を掘るマネッテ・ヴェルマン《アー湖の温泉》、街の中心の広場に男女の地下トイレをつくったハンス・ペーター・フェルドマン《ドーム広場のWC》……。これらはいずれも大地を掘り下げたいわばヴァギナ的、女性原理の作品といえるのではないか。
ブルース・ナウマン《正方形のくぼみ》 ギョーム・バイル《考古学的サイト》
左:ブルース・ナウマン《正方形のくぼみ》
右:ギョーム・バイル《考古学的サイト》
 穴を掘るわけではないが、橋の下で歌声を流すスーザン・フィリプス《失われた反響》と、空き店鋪でささやき声を聞かせるスーチャン・キノシタ《中国人のささやき》は、どちらも凹型の空間を利用した音の作品だ。ちなみに両者とも女性作家である。
 もうひとつ、これは直接女性原理とは関係ないけれど、草原にキャンプしながら観客と対話するマリア・パスク《ビューティフル・シティ》や、彫刻のかわりに人が立ち観客と物々交換するドラ・ガルシア《乞食オペラ》は、ブツではなくコミュニケーションに主眼を置いた融和的な作品といえる。こちらもふたりとも女性だ。
 こうした女性的傾向をもっとも顕著に体現していたのがイサ・ゲンツケンだ。彼女はこれまで垂直に屹立するミニマルな彫刻で知られていたが、今回は打って変わって教会の脇に何本も傘を立て、その下に赤ちゃん人形を置くというインスタレーションを発表。これを、教会に置き去りにした赤ちゃんととらえれば女性原理の「勝利」とはいえないが、それにしても彼女の極端な変化をいったいどう考えればいいだろう。
 いずれにせよ、女性原理が前面に出てきたとすれば、それは、攻撃的な戦勝記念碑からパブリックアートまでの野外彫刻に対する批判であり、また、資本主義に踊らされたマッチョなアートビジネスへの警鐘ととらえられるのではないか。ムリヤリ結論にもちこむようだが、どうやら国際展はここらでいちど立ち止まって考え直す時期に来ているのかもしれない。
イサ・ゲンツケ イサ・ゲンツケン「無題」
すべて筆者撮影
[ むらたまこと・美術ジャーナリスト]
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