なつかしさも感じさせる川俣正「通路」
村田真
「展覧会は通路である」「川俣正は通路である」
いきなりワケのわからないことを言い出したのは昨年11月14日、川俣正が横浜のZAIMでレクチャーをしたときのこと。「トリエンナーレ2005は『通路』だった」と題されたそのレクチャーで、ディレクターを務めた横浜トリエンナーレ2005の総括として、「結局ぼくはなにをやったかというと『通路』をつくっていた」と唐突なことをいう。そりゃまあたしかに作品をどこにどう置くかということは、観客をどのように歩かせるかという動線づくりにつながり、ディレクターの仕事とは「通路」をつくることにほかならず、つまるところ展覧会は「通路」、美術館も「通路」といえないことはない。
そこからさらに「自分は延々『通路』をつくってきた」と言い出し、「川俣正は『通路』だった」と結論づけたのだ。その後、東京都現代美術館で「通路」をつくるという話になり、結局レクチャーの目的がボランティア集めだったことがわかるのだが、それはともかく、川俣が美術館に「通路」をつくるというか、美術館を「通路」にしてしまう計画が明らかになった。
しかしこれは美術館に対する痛烈な批判ではないだろうか。展覧会や美術館というものはいうまでもなく作品を見るための場所。もちろん見るためにはそれなりに歩かなければならないが、可能な限り「見る」ことに意識を集中させ、「歩く」ことを忘れさせるのがいい展覧会であり、いい美術館といえるだろう。ところが川俣のプランでは見るべき作品はなく、観客をひたすら歩かせようとしているのだ。美術館でつまらない作品を見るより歩くだけのほうがよっぽど楽しいぞ、とはいってないが、そういいたげなコンセプトである。
美術館をスルーしてしまえ?
2月8日の内覧会に出かけた。美術館に近づくと、エントランス横の車寄せにパネルが何枚も立っているのが見えてきた。ベニヤ板を裏から角材で支え、土嚢を置いて倒れないようにしたものを向い合わせて通路のようにしてある。それが長大なエントランスロビーのなかに続き、展示室へと観客を導く。
しかし展示室内は1本の通路になっているわけではなく、何本も並行したり枝分かれしたり行き止まりになったりして、どっちかというと「迷路」状になっている。その要所要所に「通路」的な過去のプロジェクトの写真やマケットが飾られ、川俣の活動に関連するラボやカフェなどが併設されていて、けして通り過ぎるだけでなく、立ち止まって、見て、語って、楽しめる仕掛けになっていた。その意味でこれは、ただスルーするだけの「通路」というより、寄り道を楽しむ「散策路」というべきかもしれない。
美術館に散策路を設けるというのもかなり挑戦的ではあるけれど、「通路」ほど痛烈ではないだろう。実際、川俣自身も美術館を批判したり否定したりするつもりはないそうだ。しかしだとしたら、いったいなにをやりたかったのか。観客を歩かせるのは事実だが、ひたすら歩くことに集中させるわけではないし、過去のプロジェクトや現在進行中の活動も紹介するけど、回顧展というわけでもない。どこか曖昧さを残しつつ、キツネにつままれたような気分で出口にいたる。
しかしそんな気分になったのも、美術館といえば1点1点の作品に向き合う場所であり、展覧会といえば回顧展とかインスタレーション展とか、ついゴミのように分別してしまう悪いクセにとらわれているせいかもしれない。むしろこれは、美術館とはこういうものだという先入観を打ち壊し、なにをやってもいい自由な場所であることを示す、そのための展覧会と見るべきなのだ。
川俣正[通路]展示風景
撮影:安齊重男
隙間から30年前が見える!
いやそんなことよりも、しばらくなかを巡り歩いているうちに興味深いことに気づいた。それは、これらのパネルの連なりが初期のインスタレーションに似ていることだ。初期というのは、川俣が貸し画廊や美術館で発表していた1979年から81年ごろまでの最初期のこと。当時はパネルではなく、垂直に立てた垂木に貫板を渡して空間を仕切ったインスタレーションで、スノコ状の隙間から向こうが見えるという違いはあるものの、迷路のように空間を分節化していく構成はよく似ている。
なぜ似ているのかというと、それ以降の川俣が都市空間に出て建築の外壁に寄り添うかたちになったり、ファヴェーラや塔のように自立したかたちをとっていくのに対し、初期のものはギャラリーや美術館という内部空間を充填させるかたちをとっていたからだ。だから久しぶりに美術館内で木材を使ったインスタレーションを制作してみたら、図らずも貸し画廊時代の空間構成と似通ってしまったということかもしれない。
ところで、今回はパネルを使っているのでスノコのように向こうを透かして見ることはできないけれど、パネル同士は少しずつずらして置かれているので、隙間から向こう側を見ることはできる。以下の川俣のコメントは、これらパネルの設置に関連したものと思われる。
「キャンヴァスを立ててモデルを見るとき、その隙間から人が見えたり、その設定がおもしろい。キャンヴァスが壁になって、そこから人が出入りする。絵を描くのではなく、その関係の空間設定だけつくってみたい」(『川俣正[通路]』カタログp.63)
おそらく芸大(または予備校)のアトリエでキャンヴァスを立てて絵を描いていたころを思い出してのコメントに違いない。たしかに裏を角材で支えられたこのパネル、イーゼルに立てかけたキャンヴァスに似ていなくもないし、その隙間から見える風景は、なるほどアトリエの光景を彷佛とさせる。
そこで思い出すのは、もう20年以上も前に川俣に「なぜ木材を使ったインスタレーションを始めたのか」と聞いたときの答えだ。川俣はそのとき「絵画を成り立たせている構造を考えているうちに、キャンヴァスの木枠そのものを作品の基本単位として用いるようになった」と答えた。ところが、同じ時期にある建築史家の同様の質問に対しては、「作品の孵化するアトリエという場所に興味を持ち、その建築構造から派生してきた」と述べているのだ。相手によって答えを変えるのは一種のサービス精神と大目に見ることにして、重要なことは、キャンヴァスの木枠にせよアトリエの建築構造にせよ、あるいはキャンヴァスの隙間から見える風景にせよ、川俣の原点が絵を描いていた30年(またはそれ以上)も前の学生時代にあるということだ。
だからといってこれを学生時代への憧憬と見たり、デヴュー30年めの原点回帰などと結論づけるつもりはない。しかし今回の展覧会は、見る者によって30年の時をワープさせる作用があることはたしかだ。はたして「通路」とは、ドラえもんのタイムマシンのように時間をさかのぼる秘密の回路のことかもしれない。なーんてね。
左=《把捉-景2》田村画廊(1979)
©KAWAMATA+on the table
右=《デストロイド・チャーチ》ドクメンタ8、カッセル(1987)
photo©www.leovanderkleij.com
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川俣正[通路]
会期:2008年2月9日(土)〜4月13日(日)
会場:
東京都現代美術館
東京都江東区三好4-1-1/Tel.03-5245-4111
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むらたまこと・美術ジャーナリスト]
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