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「フェルメール展」を斜めに読む
村田真
 いま7点のフェルメール作品が日本で公開されている。現存作品が36点しかないといわれるフェルメールのおよそ5分の1が、フェルメールを1点も所有しない極東の国に、しかも通常の展覧会の約2倍の4カ月以上におよぶロングランで貸し出されているのだ。貸し出すほうからすれば、前後の準備期間も含めて半年近くフェルメールが不在となる。これがたとえば改修工事中の美術館からの出品であれば話はわかるが、今回は7点とも所蔵先が異なり、それぞれの美術館(1点は個人蔵)にとって目玉といっていい作品ばかりだから、よくぞ貸したもんだと驚いてしまう。
 それにもまして驚くのは、今年に限らずここ数年ほぼ毎年のようにフェルメール作品が来ていることだ。以下、これまでのフェルメールの「来日歴」を書き出してみる。

展覧会 作品
1968-69
レンブラントとオランダ絵画巨匠展
国立西洋美術館、京都市美術館
《ディアナとニンフたち》
1974-75
ドレスデン国立美術館所蔵 ヨーロッパ絵画名作展
国立西洋美術館、京都国立博物館
《窓辺で手紙を読む女》
1984
マウリッツハイス王立美術館展
国立西洋美術館、北海道立近代美術館、愛知県美術館
《ディアナとニンフたち》
《真珠の耳飾りの少女》
1987
西洋の美術展
国立西洋美術館
《手紙を書く女》
1999
ワシントン・ナショナル・ギャラリー展
京都市美術館、東京都美術館
《手紙を書く女》
2000
フェルメールとその時代展
大阪市立美術館
《聖プラクセディス》
《リュートを調弦する女》
《地理学者》
《真珠の耳飾りの少女》
《天秤を持つ女》
2000
レンブラント、フェルメールとその時代展
愛知県美術館、国立西洋美術館
《恋文》
2004
栄光のオランダ・フランドル絵画展
東京都美術館、神戸市立博物館
《絵画芸術》
2005
ドレスデン国立美術館展──世界の鏡
兵庫県立美術館、国立西洋美術館
《窓辺で手紙を読む女》
2005
オランダ絵画の黄金時代展
兵庫県立美術館
《恋文》
2007
フェルメール「牛乳を注ぐ女」とオランダ風俗画展
国立新美術館
《牛乳を注ぐ女》
2008
フェルメール展
東京都美術館
《マルタとマリアの家のキリスト》
《ディアナとニンフたち》
《小路》
《ワイングラスを持つ娘》
《リュートを調弦する女》
《手紙を書く婦人と召使い》
《ヴァージナルの前に座る若い女》
*作品名は現在の呼び名に合わせた。淺野敞一郎 『戦後美術展略史 1945-1990』、
乙葉哲「オランダ絵画と日本──そしてフェルメールの受容」、「フェルメール展」カタログを参照

 40年間でフェルメール作品を含む展覧会は12回開かれ、重複を除いて計16点が来日。このうち1999年以降に8回、16点が集中している。つまりわれわれはこの10年間、日本にいながらにして全作品の半数近いフェルメールを堪能することができたのだ。こんな国、ほかにあるか? 繰り返すが、フェルメールを1点も持たない非西欧圏の国で、いや、フェルメールを持っている西欧の国でさえ、これほどフェルメールを借り入れた国はおそらくないはずだ。なぜそんなことが可能なのか。
 そのことについては後に触れるとして、まずは展覧会を見てみたい。
フェルメールとその時代展 栄光のオランダ・フランドル絵画展 フェルメール「牛乳を注ぐ女」とオランダ風俗画展
左:フェルメールとその時代展
中:栄光のオランダ・フランドル絵画展
右:フェルメール「牛乳を注ぐ女」とオランダ風俗画展
ブツブツいいながら展覧会を見る
フェルメール展
 今回の「フェルメール展」は、サブタイトルに「光の天才画家とデルフトの巨匠たち」とあるように、フェルメールを中心に17世紀後半のデルフト派の作品39点を集めたもの。点数は多くないが、フェルメール以外の作品もけっこう充実している。
 展示は、デルフトの風景や教会内部をパースを効かせて描いたファン・デル・へイデンやハウクへーストらの建築画に始まり、レンブラントの弟子でデルフト様式の生みの親ともいうべきファブリティウス、フェルメールと影響を与えあったとされるデ・ホーホときて、フェルメールの7点が1フロアにゆったりと散らばり、最後はデ・マン、フェルコリエらの室内風俗画で終わる構成だ。
 肝腎のフェルメール作品は制作順と考えられるオーダーで並んでいる。すなわち《マルタとマリアの家のキリスト》《ディアナとニンフたち》《小路》《ワイングラスを持つ娘》《リュートを調弦する女》《手紙を書く婦人と召使い》《ヴァージナルの前に座る若い女》の順だ。《ディアナとニンフたち》と《リュートを調弦する女》を除く5点が初公開となる。
 初期の物語画(宗教画・神話画)から、風景画、風俗画とフェルメールの生涯のレパートリーをほぼカバーしており、よく集めたもんだと感心するが、もちろんこれらが代表作というわけではない。《マルタとマリアの家のキリスト》と《ディアナとニンフたち》の2点の物語画にはまだフェルメールらしい特徴が表われておらず、とくに後者に関してはフェルメール作を疑問視する論者もいる。
 風景画の《小路》は傑作の誉れ高く、これ1点だけでも展覧会が成立するくらいだが、それ以上に評価の高いもう1点の風景画《デルフト眺望》にはおよばない。ちなみに《デルフト眺望》はフェルメール作品のなかでも1、2位を争うほど評価が高く、これが日本に来たらもうおしまいだ(どういう意味?)。
 風俗画は4点。このうちもっともフェルメールらしさを備えているのは《リュートを調弦する女》だろう。左側の窓から光の射す室内で、ひとりの若い女が無心に楽器をいじっている。手前には椅子やテーブルが置かれ、壁にはヨーロッパの地図。典型的なフェルメールの絵柄だが、残念なことに絵具がはげ落ち、服の黄色を除いてほとんどモノクロームに近くなっている。
 《ワイングラスを持つ娘》と《手紙を書く婦人と召使い》もフェルメールらしい作品だ。しかし前者では、下心丸出しの男のしぐさや振り向いて笑う女の顔が、フェルメールには珍しく下品に描かれている。後者もフェルメールの典型的な作品のひとつだが、たとえば召使いの服のひだなどが単純化され、画力の衰える後期の作と見なされている。

フェルメールの「最新作」は真作か?
 最後の《ヴァージナルの前に座る若い女》はもっとも論議を呼ぶ1点だろう。90年代から科学的調査が行なわれ、キャンヴァス布や絵具の分析により真作と認められたフェルメールの「最新作」だ。2004年には競売にかけられ、約33億円で落札されて話題になった。筆者は2001年にロンドンを訪れたとき、たまたまこの作品をナショナルギャラリーでフェルメールの「参考作品」として見たが、一目でフェルメールとは違うと感じた。以下は研究者でもない好事家の勝手な意見として聞いてほしい。
 まず、この《ヴァージナルの前に座る若い女》の主題と構図は、晩年の作品といわれる《ヴァージナルの前に座る女》(「若い」がつかない)とほぼ同じだが、後者はほかの作品に比べて完成度が低く、なかでも演奏する女の手がぽってりとして不格好だ。その不格好な手を《ヴァージナルの前に座る若い女》はそのまま踏襲しているように見える。いってみれば、カンニングして間違った解答をそのまま写しちゃったみたいな。もちろん《ヴァージナルの前に座る女》が先に描かれたとしての話だが。
 ところで、《ヴァージナルの前に座る若い女》の主題と構図は《ヴァージナルの前に座る女》と瓜二つだが、細かい部分を見ると、赤い髪飾りとサテンのスカートは《ヴァージナルの前に立つ女》にも出てくるし、顔の色と陰影、巻き髪は《ギターを弾く女》と似ている。だとすれば、《ヴァージナルの前に座る若い女》がこれら3作に先行すると考えるより、この3作(またはそれ以上)の部分を寄せ集めて《ヴァージナルの前に座る若い女》を描いたと考えるほうが理にかなっているのではないか。
 さらにいえば、黄色いショールがとってつけたようで不自然だし、衣紋の描き方もズサンだ。いくら筆が衰えたとしても、とうていフェルメールの手になるものとは思えない。決定的なのは、女の顔が違うこと。この顔どこかで見覚えがあると思ったら、フェルメールの贋作者として知られるファン・メーヘレンの絵だった。つまり、ファン・メーヘレンの絵に感じるような違和感をこの作品にも感じるのだ。だからといって贋作だといいたいのではない。おそらくこの作品は、フェルメールと同時代に生きたごく身近な(たとえば弟子のような)画家によって、上記作品を手本に描かれたのではないか。
 繰り返し断っておくが、以上はなんの裏づけもない非学術的な意見にすぎない。この展覧会は、そんな勝手な意見をぶつけたくなるほどフェルメール好きの心をくすぐる展覧会なのだ、といっておこう。

だれが「フェルメール展」を組織したのか
 それにしても、なぜこんな展覧会が可能になったのか。だれがこれだけの展覧会を組織したのか。同展の主催は東京都美術館、TBS、朝日新聞社の3者だが、このうち資金があるのはTBS(次点:朝日)、ノウハウがあるのは朝日(次点:都美術館)、やる気があるのはTBS(次点:都美術館)で、3すくみ状態。実際にフェルメールを集めたのは3者以外だったらしい。
 企画監修にブルース美術館の館長ピーター・C・サットンと、ボイマンス美術館チーフキュレーターのイェルーン・ヒルタイの名が入っているが、彼らは展覧会の権威づけに駆り出された学者たちだろう。ちなみに筆者は寡聞にしてブルース美術館の名を知らなかったが、コネティカット州グリニッチにあり、正式名をBruce Museum of Arts and Scinceという。要するに田舎町にありがちな芸術も科学も一緒くたになった博物館のようだ。
 とバカにしてはいけない。調べてみたら、サットン氏は17世紀オランダ・フランドル美術の権威らしく、デ・ホーホやファン・デル・へイデンの著作もあり、1984年にはフィラデルフィア美術館で「17世紀オランダ風俗画の巨匠」展を組織していた。じつは筆者はこの展覧会がロンドンに巡回したときに見て、フェルメールに強く惹かれるようになったのだ。ついでにいえば、サットン氏には『偽造と贋作──ペテンの芸術』(原題=Fakes and Forgeries: The Art of Deception)という共著があるが、もう一方のヒルタイ氏の属するボイマンス美術館は、前述のファン・メーヘレンの贋作をフェルメール作品として買った前歴がある。
 話をもとに戻そう。だれがこの展覧会を組織したのか。カタログには「企画:財団ハタステフティング」とあり、どうやらこの財団がフェルメールを集めたらしい。サイトをのぞいてみると、ハタステフティングは、日本でのフェルメール熱のきっかけとなった2000年の「フェルメールとその時代」展をはじめ、レンブラント展やゴッホ展なども企画しており、どうやらオランダに強いコネクションがあるようだ。その一方、系列のハタインターナショナルは「ジョージ・ルーカス展」や「アート オブ スター・ウォーズ」展などを企画しているし、ハタコンサルティングは絵画投資のコンサルも行なっているというから、なかなか奥が深いようだ。
 ところで、今回の「フェルメール展」は最初から出品作品7点が決まっていたわけではない。当初《マルタとマリアの家のキリスト》《ディアナとニンフたち》《小路》《ワイングラスを持つ娘》《リュートを調弦する女》《絵画芸術》の6点だったが、途中で《ヴァージナルの前に座る若い女》が加わり、直前になって《絵画芸術》が取り止め、《手紙を書く婦人と召使い》が追加された。出品作品の追加や中止は珍しいことではないが、目玉作品がこれほど変動するのは異例のこと。好意的に解釈すれば、開催直前までねばり強く交渉していたに違いない。
 だいたい最後に出品の決まった《手紙を書く婦人と召使い》は、中止になった《絵画芸術》のかわりに借りてきたと思いがちだが、考えてみればわかるように、両者の所蔵美術館は異なっているからありえない話。つまり《手紙を書く婦人と召使い》はそれ以前からまったく別個に出品交渉していたはずであり、もし《絵画芸術》が不出品にならなければ計8点の出品となっていたかもしれないのだ。
 ともあれ、よくぞ7点も借りてきたものだ。これだけそろっていればツッコミどころも満点、まだまだほじくりたいところだが、そろそろ紙数も尽きてきたのでこのへんで。
むらたまこと・美術ジャーナリスト]
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