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2つの「EXTREME NATURE」
暮沢剛己
 2008年9月13日の朝、私はミラノからヴェネツィアへと向かう特急電車に乗っていた。仕事の都合で9月初旬からヨーロッパ各地を廻っていた私は、帰国直前の取材先としてこの日内覧会の最終日を迎えたヴェネツィア・ビエンナーレ建築展を訪れたのだ。しかし当日、サンタ・ルチア駅では、想定外の豪雨が私を待ち構えていた。水上バスに乗っている合間にも雨は一向に止む気配がなく、傘を持っていなかった私はずぶ濡れになりながら会場のジャルディーニ公園へと駆け込んだ。

建築展らしからぬプラン
 思い返してみれば、ヴェネツィアを訪れようという今回の決断は昨秋にまで遡る。周知のように、今回の建築展ではプランの選考にあたって初めてのコンペが実施され、総計6組の候補者のなかからコミッショナー=五十嵐太郎、出品作家=石上純也+大場秀章のプランが当選した。今回の日本館展示にあたって、彼らが提案したテーマは「EXTREME NATURE」。同展では今までにも「少女都市」「OTAKU」「路上観察」等々、建築展らしからぬテーマを掲げた展示が行なわれてきたが、記者発表の席でこのコンペの詳細を知ったとき、私は「また建築展らしくないプランが実施されることになったな」と直観したものだ。
 この直観には、主に二通りの根拠がある。ひとつは出品作家である石上の特異なポジションである。1974年生まれの石上はSANAA勤務を経て独立し、現在日本で最も注目されている若手建築家の1人であるが、彼が最初に注目を集めたのはキリン・アートアワードに出品した《table》であったし、また昨秋に東京都現代美術館で開催された「SPACE FOR YOUR FUTURE」展では、同館のアトリウムに巨大な《四角いふうせん》を浮遊させて観客の度肝を抜いた。美術と建築のボーダーレス化が進行している現在、建築家が美術展に出品することはもはや珍しいことではないが、それにしても石上の作品の建築「らしくなさ」は傑出している。その絶妙なバランス感覚や巧みな空間把握には確かに建築家としての片鱗も窺われるが、彼の作品は美術の文脈に位置付けたとしてもおよそなんの違和感もないだろう。そしてもうひとつが、今回のテーマでもある「EXTREME NATURE」の展示計画である。当たり前の話だが、絵画や彫刻の展示とは異なり、建築展では会場に実際の建築作品を設置することはできない。必然的に、会場内の展示は実物よりも小さな模型、図面、映像などによる代用を余儀なくされ、建築家はその制約を前提に展示プランを組み立てる。だが石上はその制約を潔しとしなかった。彼はあくまでも1/1のスケールの展示にこだわり、それを実現するために、あえてパヴィリオンの内部はがらんどうのままにして、その代わりに館の周囲に温室を仮設するという奇手を思いついたのだ。確かにこれならば、最低限の用地さえ確保できれば1/1のスケールの展示が可能である。この大胆な発想には、スケールへのこだわりと同様に、建築展というメディアに対する挑発も潜んでいるに違いない。
ヴェネツィア・ビエンナーレ建築展2008 日本館 ヴェネツィア・ビエンナーレ建築展2008 日本館 ヴェネツィア・ビエンナーレ建築展2008 日本館
ヴェネツィア・ビエンナーレ建築展2008 日本館
大胆にして繊細な展示
 およそ以上のような先入観を抱いて会場を訪れた私は、実際にその展示を見て、その大胆さと繊細さにあらためて驚かされることとなった。当初のプラン通り、日本館パヴィリオンの内部にはなにも設置されていない。吉阪隆正設計のこの空間に作品を設置した経験のあるアーティストは決まって「狭い」「使いづらい」と口を揃えるのだが、なにも設置されていない空間は思いのほか広く、なにか展示されていれば視界を遮るであろう壁の出っ張りも、むしろアクセントのように感じられるほどだった。ただ内部は純粋なホワイトキューブというわけでもなく、よく見ると四方を取り囲む白い壁には数多くの細密なミニアチュールが描きこまれている。残念ながら詳細は聞きそびれてしまったが、一見無機的な空間に物語的な要素を導入しようとしているのだろうか。
 一方、パヴィリオンのすぐ外側には、周囲を取り囲むように4つの温室が建っている。SANAA出身の石上らしく、これらの温室はいずれも薄いガラスと華奢なフレームによって構成され、また開口部を設けたり、空調設備を取り付けないなど、可能な限り密閉性を弱くする工夫が凝らされており、また温室の内部には、植物学者である大場の協力によって現地の植生が再現されている。記者会見の際の説明によれば、日本の植生が約4,000種に達するのに対して現地の植生は1,000種程度にすぎないということだが、ガラス越しに見る草花の瑞々しさや豊かな彩りは、あたかも温室そのものが呼吸しているようにも感じられ、到底そのようなデータ上の貧しさを感じさせない。なおジャルディーニ公園の奥まった斜面に立つ日本館は、小規模とはいえ、公園内に所在する各国パヴィリオンのなかでも唯一庭園のある施設であり、温室の設置にはささやかなランドスケープ・デザインとしての側面もあった。またコミッショナーの五十嵐によれば、このガラス張りの温室は歴史上初めての万博会場でもあったロンドンのクリスタル・パレスを連想させることで、新しい建築の可能性を考えさせる仕掛けともなっているという。この大胆にして繊細な展示は、いくつかの好条件が重なった偶然とそれを見逃さなかった戦略とが折り重なった成果であったということができるだろう。
 しかし好事魔多しと言うべきか、この展示の性格を考えれば、やはり内覧会の当日悪天候に祟られたのは返す返すも残念であった。激しい雨が降り注いだ結果、会場の地面はぬかるみ、観客の靴は泥にまみれてしまう。当然ながらその汚れはパヴィリオンの中にまで及んでしまうわけで、それによって繊細な空間の魅力は大きく損なわれてしまった。同様の指摘が、ガラスの水滴や曇りによって視界が遮られてしまった温室に対しても当てはまる。今回のビエンナーレでは、結局ポーランド館が国別参加部門の金獅子賞を受賞したのだが、日本館も前評判は高かっただけに、天候に恵まれるか、もしくは下足というアイディアを思いつくだけでも審査員の印象も大きく変わっていたに違いない。ようやく雨が小止みになってきた夕刻、一通り公園内の展示を見終えた私は、当日の天候までもが「EXTREME NATURE」であったことをなんとも恨めしく思いつつ会場を後にしたのだった。
ヴェネツィア・ビエンナーレ建築展2008 日本館 ヴェネツィア・ビエンナーレ建築展2008 日本館
ヴェネツィア・ビエンナーレ建築展2008 日本館
すべて提供=石上純也建築設計事務所
[くれさわたけみ・美術批評]
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