日本で「反芸術」と称される動向が登場するのは第2次大戦後を待たねばならないが、西洋美術史における「アンチ・アート」の起源はもう少し古く、一般には第1次大戦直後のダダがその嚆矢とされる。その不条理で性急な価値観の追求や、廃材などのアサンブラージュによるその制作技法が、合目的的・唯美的なモダニズム芸術観との対極にあったためだが、100年弱の年月を経て、そうした「アンチ・アート」の試みが芸術としてきわめて高い評価を得ているのは逆説的な皮肉と言うべきか。ダダが「アンチ・アート」の先駆と見なされた理由の一端は、過激な表現もさることながら、その一連の作品が商品性を拒絶し、美術館への回収を拒む性質を持っているところにあった。その意味では、戦後のコンセプチュアル・アートやアースワークなどの試みにも「アンチ・アート」としての側面を指摘しうるし、また従来のハイ・アート/ロウ・アートの垣根を取り崩した、ポップ・アート以降の展開もまた同様である。
(暮沢剛巳)
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