「関心」のこと。この概念は、とくにカントの美学以降、美学あるいは芸術理論で決定的に重要な意味をもつ。カントによれば関心とは「われわれが対象の現存の表象と結びつける適意」であり、これは「いつも同時に欲求能力と関係している」。ところが美についての、「いささかでも関心が混在している」判断は、「きわめて偏頗であり、なんら純粋な趣味判断[=美を判定する能力]ではない」。だから「いささかでも事象の現存に心を引かれてはならず、この点にかんして全く無頓着」でなければならない(『判断力批判』/宇都宮芳明訳)。つまり、ものがあるということに気をとられているうちは、わたしたちは美を正しくとらえることができない、とするのである。現代美術批評との関連で言えば、この「趣味判断の無関心性」の問題は、マイケル・フリードの「芸術と客体性」に遠く響いている。というのもこのエッセイでは、作品が実在する客体として鑑賞者の「関心」を惹き続けることが、「演劇的」だと強く批判されているからだ。リテラリズム[=ミニマル・アート]の作品は、退屈どころかひたすら面白い=関心をよぶ(interesting)ものだ、というフリードの批判は、(一部の)ミニマル・アートの作品に対してはもちろん、その後次々に登場することになるインスタレーション作品に対しても有効だろう。
(林卓行)
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