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美術館の遠足5/10
京都コンテンポラリーダンスラボ4 木ノ下智恵子[神戸アートビレッジセンター] |
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●未美術館の遠足5/10 「美術館の遠足」とは、1997年より毎年、西宮市大谷記念美術館で開催されるサウンドアーティスト藤本由紀夫氏による1日だけの展覧会だ。この催しは今や、私を含む多くの美術関係者や鑑賞者にとって「これを見なきゃ年を越せない」といった年中行事になりつつある。5/10という分母と分子が示す通り、このプロジェクトは2006年までの10年間の継続を予定している。そんな訳で私ごときが今更本展について記することはないのかもしれないが、り返し地点であることを含め、過去の軌跡をたどるという視点から定点観測をさせて頂く。
藤本氏という一人のアーティストが1年に1日だけ、しかも10年間の継続を前提とする展覧会とは、綿密な調査期間を含め長いタームで準備するのが主流の公立の美術館ではかなりイレギュラーな展開だ。この美術館における実験的な試みは、1996年の秋に4週連続で行なわれた学芸員を対象とした藤本氏のワークショップの慰労会で交わされた藤本氏と担当学芸員との酒の席での会話が発端ということだ。この優れたアーティストとプロデューサーの軽やかな閃きが、美術館・展覧会のあり方や可能性について吟味する場となった。 鑑賞者の操作によってあちこちで鳴り響く様々なタイプのオルゴール作品。バニラエッセンスの臭いが封じ込められた空気の彫刻。微妙な和音の共鳴が心地よい日本庭園に点在するキーボード。床に敷き詰められた枯葉の匂いと踏みしめる感触と音が一体となる展示ケース空間。壁の解体や掃除を経て独特の展示空間へと再生させ毎年趣向を変えたお披露目が成される蔵など。展示室、ワークショップルーム、学芸員室、機械室、収蔵庫といった美術館施設はもとより、日本庭園、茶室、蔵など大谷家の宅地邸宅と美術品の寄贈を元に設立された『西宮市大谷記念美術館』特有の空間を含むあらゆる場で展開される作品を、鑑賞者は自由気ままに散策する。美術館というフィールドにおいて、視覚に頼った鑑賞法によって鈍化した感覚を呼び覚ます為の目、耳、鼻、肌の遠足だ。インスタレーションなどの作品展示に加え、藤本氏自らの音声電卓やカードレコーダーの演奏パフォーマンス、ゲストによるコンサート、トーク、レクチャーのプロデュースなど、多岐に渡るジャンルのイベントも充実している。 この催しは過去5回、10月、6月、12月、7月、11月の昼から夜までの1日を舞台に繰り広げられてきた。ここでは、四季折々の季節感や1日の移り変わりを環境装置に取り入れた心ニクイ演出と、夜間開館といった時間の配慮が施されている。1日中じっくりと過ごす。あるいはアフターファイブに訪れるなど個々の楽しみ方は様々だが、毎年、驚異的な来館者数を記録している。また、毎回、異なる趣向で制作されるカタログの発行や『美術館の遠足』だけを支援する期間限定の友の会「香炉園倶楽部」など、ドキュメントやマネジメントのシステムも熟慮されている。 「美術館の遠足」がもたらす“目から鱗の恩恵”は、単に鑑賞者だけではなく美術のシステムにも精通し、俗世とかけ離れた美術館の時間軸や運営側の意識の軌道修正をさらりと成し遂げている。その証として「先例のない、常識を覆す、可能性に挑む」などの評価の言葉がこの試みの意義について表明している。 一方、視覚芸術が主流の美術展において、本展のように五感を鋭敏にさせて体感するアートは鑑賞者の能動的な態度が求められる。「作品にはお手を触れないで下さい」というエクスキューズや監視員の目線から解放された時、ビギナー、リピーターにかかわらず、通常の展覧会と比較してかなりのパーセンテージで作品の行く末を観客に委ねざるをえない。事実、作品の本質を見極めるためというよりも、むやみやたらに作品に触れることに執着している人を見かけた。自由と責任の表裏一体な関係は芸術の創造と鑑賞という点においても大きく関与していることを改めて実感した。 藤本氏と西宮市大谷記念美術館という才知のコラボレーションによる「美術館の遠足」は、単なる展覧会という枠組みを越え、美術館、作家、鑑賞者のそれぞれの在り方や可能性を示唆するメディアとなっている。 本展の発案者であった当時の担当学芸員の篠氏は1999年に出版されたブックレットの中で「このプロジェクトー美術館の遠足ーが終了する頃には、美術や音楽、または演劇などさまざまな視点からなるこ浩瀚な藤本由紀夫論が刊行されることでしょう」と記している。この予見からわずか2年後の2001年、藤本氏は歴史ある美の祭典「ベネチアビエンナーレ」で日本代表作家として参加し、環境彫刻として空間を支配する【音】という表現メディアの可能性を呈示した。 その藤本氏のライフワークとも呼べる『美術館の遠足』をリアルタイムで体感できる我々は、キュレーター、アーティスト、マネージャーなどマルチな才能をしたたかに発揮する藤本流のマジックに魅了され続けるだろう。
●京都コンテンポラリーダンスラボ4――京都クリエーターズミーティング
この私の持論を裏付けてくれるアーティスト達の実践「京都クリエーターズミーティング1」が、2001年12月に京都芸術センターで繰り広げられた。京都は関西地区において最も芸術系大学が多く、學びやを卒業した表現者達は引き続きアトリエや居を構えて活動の拠点をおいているアーティストは数多く存在している。京都芸術センターはそういった背景を反映させた芸術創造の現場として、京都の街中の小学校(廃校)を様々なジャンルに対応した発表+創造スペースとして再生させた複合文化施設である。私の身勝手な持論の裏付けだけではなく「ジャンルの枠組みを越えた表現者達の積極的なコラボレーションが発生する為の場の提供」というセンターの設立目的を体言した催しが「京都クリエーターズミーティング1」だ。
●学芸員レポート 「KAVC ARTLINK シリーズ」 vol.3 『Nature Art Campドキュメント展』 vol.4『クッキング・アクション「麺の道」』 2001年の美術の動向は日本初の国際展「横浜トリエンナーレ」の開催を含めどのような発展を遂げたのだろうか。年末年始を迎えるにあたって、1年というタームを大きな文脈で捉えようとする気はないが、自分の仕事を通じて果たした役割について吟味する必要はあると思っている。 2001年6月/須磨離宮公園との2会場で展開したプロジェクト「島袋道浩展 帰ってきたタコ」や11月/関西在住の若手アーティストのセルフマネジメントのトレーニングの場「神戸アートアニュアル」(9月/11月の学芸員レポート参照)の2つのメイン企画を終えた。しかしながら、カレンダーの進行ではなく1年の区切りが4月〜翌年3月であるのでまだまだ気が抜けない。本年度の終了までの3カ月弱は、各国の文化センターや教育機関等とのレクチャーやWSの共同企画、作品制作や出版など、対象や内容によってシステムを変え、有効なアートネットワークを築いていくための共催プログラム「KAVC ARTLINK シリーズ」を予定している。
ここでは、ドキュメント展とレクチャー&ワークショップの2本の企画を実施するが、いずれも芸術の創造普及活動の十八番として定着しつつある“ワークショップ”に着目している。 1月下旬の展覧会「Nature Art Campドキュメント展」は、2001年9月、六甲/摩耶山上の「自然の家」を舞台に展開された4名のアーティストによる小学生を対象としたワークショップを展覧会によって振り返ると共にアーティスト、WS参加者の父兄、学校関係者などによる座談会を開催する。木々で組み上げたトンネルが今も森の小道に残ってる「風(大久保英治)」。湖面と空に描いた絵を互いに眺め合いながら親子の新たなコミュニケーションを試みた「景(岡山直之)」。森や湖畔のあちこちに鏡を設置して昼と夜の異なる景色を眺めた「光(椎原保)」。居心地の良い場所に自分の寝床を藁で作って素敵な夜を過ごした「月(服部滋樹/graf)」。 4名のアーティストの導きによって展開された子供とアートの出会いを事例に、近年、頻繁に行われる子供の為のワークショップの意義について検証する。子供にとってアートが必要な理由や美術の教育普及が一過性のものにならないための継続した場など“子供とアートの関係性”について様々な立場の大人達が考察していく。 更に、2月初旬の「クッキング・アクション『麺の道』」は、大阪府のアーティスト・イン・レジデンス・プログラム「ART-EX」で来阪するドイツ人アーティストのクリスティーネ・ベルンハルト氏を講師に迎えてレクチャー&ワークショップを行なう。「他人と自身の味覚 テーブルマナー」、「考古学ビュッフェ」、「絵画の味覚」といった過去の展覧会やプロジェクトのタイトルが示すとおり、ベルンハルト氏は日常生活に欠くことの出来ない“食”をテーマに様々な試みをヨーロッパ各国で展開してきた。“食”は有効なコミュニケーションツールとしてのみならず、国籍、生き方や生活レベル、ステイタスなどを映し出す文化史そのものと言える。誰もが当たり前の習慣として日々経験している料理や食事を文化の違いや豊かさを実感するための有効なメディアとしてアートに変換する彼女の過去の作品のスライドレクチャーに加え、世界で最も好まれている食材である「麺」のルーツ、種類、調理法などに着目した「麺の道」を提供していただく。日常に潜む創造性に気づくと共にアートがより身近に感じられる有意義な時間となるであろう。 この2つの催しが、老若男女問わず繰り広げられるワークショップの実体について検証する機会となることを目指し、日々準備に励んでいる。 そして、今年度の成果についてはこの試みを終了した後に改めて吟味してみようと思う。
[きのした ちえこ] |
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