7月20日の大施食会(おせがき)に日程的に出席できないので、ちょっと早いが、浅草のお墓のお参りに行き、ちょっとふんぱつしてきっちりとしたしごとをしてあることで定評のある江戸前のすし屋で食事をし、その帰り道、すみだリバーサイドホール・ギャラリーで6月17日から7月18日まで開催中の照屋勇賢の個展「水に浮かぶ島」展に寄る。
紙袋やトイレットペーパーの芯から「木」を生み出す作品もすごいが、華やかな色合いが楽しげな雰囲気を視覚的に与える沖縄に伝わる紅型をつかった着物の作品《結い》(2002年作、同年VOCA展にて奨励賞を受賞)が、落下傘部隊のパラシュートとジュゴンであることを目視した瞬間に、その見た目の印象とはことなった世界をたたえたものであることに気づかされる。
そしてビニールハウス内を飛び交うオオゴマダラ《空の上でダイヤモンドとともに》2006年は、照屋が照準をあわせる世界観を今後、どのような表現メディアや手法をつかって現してくのか予断できないことを強く意識させる。
藤浩志がバングラディシュ・ビエンナーレで金賞をとるのは自分ではなく、照屋勇賢だと思っていたと予期せぬ受賞を驚いていたが、消費社会へのまなざしおいてはたぶんに類似する二人であはるが、持ち込まれた作風は180度の開きがあった。
片やいらなくなったおもちゃを展示し、またそれらをパーツに飛行機をも作ってみせた。
片やトイレットペーパーの芯から木を切り出してみせた。
その差は、コンセプトの強度の差というよりも、純粋に視覚的な豊かさを与えた作品に多くの支持があったと理解すべきなのかもしれないと、会場で《Rein Forest》2006年を見ながら、そのような思いがよぎった。豊かさ(=罪的な大量消費)を豊かさで視覚化した藤の作品は、彼の地ではひょっとして(おそらくまちがいなく)とても豊かな作品に見えたことと想像する。
そのような地において、彼(=藤浩志)の仕事が、コンセプトの深さとあわせて了解されたとしたらとてもすごいこと。改めて彼の受賞の意味と意義を思う。
そして、日常をテーマに日常に潜む問題を作品化することの難儀さをつくづく感じならが、向島から高速に入った。