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2006年10月31日

上海から釜山

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30Km7分20秒。料金は50元(バスの17元はいったいなんだったんだ。ちなみに上海のタクシーの安さは感激もの)。9時発に乗り込むと3分ちょっとで431km/hの最高速に。でも400km/hを超えたとたんかなりの揺れ。列車の擦れ違い時には音と揺れに驚き、すれ違ったことを知り目で追うと既に車輌はかなり遠のいていた。初リニア体験。

3時ごろ、釜山のホテルに着いて知り合いに連絡。西面(ソミョン)駅から地下鉄2号線で最寄駅まで行き、合流し、夕刻5時から釜山ビエンナーレの第2会場ほかを襲撃。
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ここから車で移動して、駐車場に立てられたマンションショールーム的空間内の間取りに作品が展示されたリビング館的展示手法を見てしばし思いにふけつつ、そこからまた海雲台(ヘウンデ)地区の海岸リゾート地、砂浜に移動し、台風にも負けずに残るちょっと素敵な2作品をチェックし、釜山初日の調査を終える。食事をしスタバでお茶した後、車で送ってもらう。
今日も早々と消灯。日本に居るときのような何気ない細かい用事もなく、また果たせるわけもないでの連日夜が早い。


2006年10月30日

上海二日目

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人民広場で朝から太極拳ならぬ隊列の訓練にみっちり励む一群の気合の入った声が響く。
宿から徒歩で上海美術館につながる人民広場内のスターバックスでコーヒーを飲み目覚め、上海ビエンナーレ会場である上海美術館に向かう。
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第6回上海ビエンナーレのテーマは「超設計=ハイパー・デザイン」(「9月5日から11月5日。つまりほとんど駆け込み組み鑑賞者)は、「デザインと想像」「日常生活の実践」「未来の歴史構築」の3カテゴリーで構成されている。朝2時間お昼を挟んで午後2時間。しっかりした展覧会でじっくりと楽しむことができる。アメリカンスクールらしき一群の子供たちが鑑賞レポートノートを手にわいわいいいながら見ている。会場に居る限り上海にいることを忘れてしまう。
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遺跡から発掘されたかのように見えるものの、良く見ると見慣れたアイコンが刻み込まれている。やるなぁ〜。

1階から4階まで並ぶ作品を見、隣の美術館の展示も堪能し、夕刻部屋に戻り一休み。蟹粉小籠が昨日の夕食だったが、今宵も軽く汁ソバで済ませる。

食後の腹ごなしの散歩にタクシーで出向いた外難(バンド)にて凧が空に舞う姿に遭遇。
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明日は、釜山に向けて移動。

2006年10月29日

上海初日

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2時間ほど寝てからトランクに荷物を投げ込みバスで成田に向かう。空港のラウンジで見かけた俳優の中井貴一さんと同じフライトだった。17元のバスでのんびりと市内に入り、新世界最寄のクラッシクホテルにはそこから初乗りでタクシー。
一息入れてタクシーで肩慣らし(目ならし)に「M50」に向かう。
上の写真はその入り口にあるカフェの外壁に掲げられていた石のプレート。
下の写真はそのエリアの立体マップ。
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シュアーな画廊ShanghARTから美大のアトリエのような空間までが軒を連ねる。ここだけでかなり満腹することができる。軽い夕食を済ませ、早めの床につき熟睡。

2006年10月28日

一本の注射

8月末に作業中、右膝部分をいためた。そのうち直るだろうとその軽い痛みを気にしながら放置していたら、いつの間に歩行も下手になり階段の下りは勘弁してくれて、上りもきつい、そんな右足の男になってしまっていた。近くの整形外科に行ってみたが気休めにもならない診断を受けさっさと辞し、評判の整体治療師のもとに2回。左右の足が4センチずれているといわれて骨盤のゆがみを直してもらい、軽くなったものの、ちょっとまたきつくなったので再び訪れで鍼を打つ。確かに軽くなったものの痛い場所はそのまま、歩行の不安があるのでぎこちないまま。
こうなったらお世話になっている知り合いのスポーツをする人が言っていた愛知にあるスポーツ医療センター(そんなような名称のところ)に行くしかないかもと、芸術館のスタッフとランチをしながら話をしていたら、なんと水戸にも腕のたつ整形外科がある!とのこと。やっとめぐり合ったか、重要情報にと歓喜。連絡先をしっかりと受け取る。

それを聞いた翌日の今日、お休みなので取り急ぎ朝一番で診察に行く。あっという間に確信感ある診断。実力のある医師はすばらしい。躊躇せず膝裏の筋肉に注射を1本。すっかりそれで楽になり、階段の上り下りも見た目にもスムーズになった。
先生曰く、「ここ(僕のところ)に来てよかった。」それは僕のセリフです。

明日から上海・釜山・光州・ソウルと展覧会の調査に出かけるが、滑り込みセーフ。どうやら膝に爆弾を抱えた不安を解消して行かれそう。戻ったら再診を受けに行くことになっている。そんな必要がいらないほどに完治していたらいいが、しばらくはもってほしいと正直願っている。

手すりのありがたさ、エレベータやエスカレータのありがたさを知った数十日間だった。

朗報
欲しいと思っていて、いったん無理となったものが、僕のところに回わせる旨の連絡が入る。いちもにもなくお願いする。
足(膝)の事といい、ちょっとうれしいコトが続いた。そんな日もあっていい。感謝。

2006年10月27日

クリテリオム69

デザインがアップしてくる。テキストを翻訳にまわす。
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以下がテキストの全文
クリテリオム69 森 太三
紡ぎ出される「風景」
日常の中からイメージを抽出し、喚起力のあるものに置き換える。2006年になってから森太三は、「風景」を部屋の中に出現させる術を会得した。5月に《Sky mountains》を発表し、続く2作目が《Sea Sky》と題された本作品である。そして《Sea Sky》を造り終えた森は間を空けずして別の会場に向かい同様のやり方で3作目の制作に入った。
《Sea Sky》は、会場の床面を30分割したサイズのベニヤ板に1ヶ月半かけてパルプに凝固剤を混ぜた固めの紙粘土を起伏ある形状に造詣する下準備したものを持ち込み、養生した床にそれらを敷き詰め、継ぎ目にパルプを入れ一体化させた後にコーティングし、仕上げに青味がかった白色の樹脂塗料で着色したものである。このような明け透けな創作プロセスの開示が《Sea Sky》の視覚体験の喜びを色あせさせることはなく、目にするたびに純粋な視覚的体験として楽しむことができる。その理由は明白で集積されたパルプはもはやパルプではなく、時々に表情を変える「風景」へと変態しているからだ。
1週間の展示作業で空間はパルプを敷き詰められた作品部分と入り口部分と壁で2分され、入り口部分はさらに手前と奥に2分され、鑑賞者は奥の空間に立ち前方に広がる《SeaSky》と命名されたパルプの集積を見る仕立てになっている。仕切り壁は外光を遮り、波打つ床面の作品にきれいな陰ができるように照明をコントロールする物理的な目的のほかに、来館者が入り口をくぐり作品に出会うようにするためのものだ。この操作は作品を大きく拡がりのあるものに感じさせる役目と、鑑賞者の日常性を断ち切らせる結界の役目を担う。
鑑賞者の日常性の断ち切りとは全方位的な拡散した意識を、無自覚の内に見ることに集中する姿勢をとらせることを意味する。しかし森は《Sea Sky》の波立つ形状をモノとしてではなく、「風景」として眼差すことを求め、光を制御し均一ではない陰影で表情を際立たせる。
《Sea Sky》のタイトルが示すように、目にした鑑賞者は、さざなみ立つ海を想起し、空から見下ろした連山を想起する。どこの場所という特定感のない情景的な記述ゆえに、目に心地よいリズムの表層を視野にするうちに、鑑賞者はたやすく自己のイメージの世界に深く沈んでいく。《Sea Sky》は、風景として機能することで、鑑賞者の意識から日常性を拭いさる装置としての役割を果たす。
単純で単調な作業を集積させ、行為が表現に飛躍する瞬間を森は手を動かしながら待つ。しかし、そのような時間のすごし方は、傍から見るほどには単純で単調なものではなく、ましてや退屈な時間でもない。行為が表現に変態する時をまさに知る造形作家としての時の過ごし方を、森がなにかのきっかけで会得したことを2006年になって発表する一連の
作品が教えてくれている。森太三自身も変態し力ある作家へと脱皮した。このあと、どのような仕草で日常から日常性を拭い取り、「風景」を鮮やかに出現させる作品を手がけていくのだろう。《Sea Sky》を目にするつどに、楽しみな作家に出会えた確信を「風景」とともに味わっている。

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写真は2点とも齋藤剛の撮影。いつもお世話になっているプロカメラマンの撮影。

2006年10月26日

漠然とした打ち合わせ

作家のアトリエを尋ねる。

2008年の開催を視野に展覧会をお願いした作家のアトリエを訪ねる。3時間ちょっとの懇談。急いで形にしたり結論を出す段階ではなく、展覧会を開催することを前提に何かを考える気持ちになってもらうことが目的。風呂敷はかぎりなく大風呂敷がよくて、それを実現可能にする筋道をあれこれイメージしながら、なにが一番楽しくなにが一番大切なことかを洗い出していく。初回の懇談としては実のあるものとなった。今後このようなキャッチボールを続けながら、形にする芽を選びながら検討を重ねることになる。楽しいことになりそうな予感を抱きつつ、アトリエを辞す。

2006年10月24日

ポジフィルムの切り出し

展覧会がオープンした翌週は、学芸の部屋もどことなく安堵感に満ちた落ち着きを取り戻す。僕はクリテリオム会場を撮影したポジが届いていたのを切り出し選び、デジタルデータの写真とあわせてデザイナーに渡す準備をする。
デザイナーの平井さんは20日の撮影時に立ち会ってくれてデザインイメージを固め、それにそっての撮影を行っている。ポジは純粋な作品の押さえ的な側面もあるが、採用にならないとも限らない。
連絡を入れて取りに来てもらう段取りをして、守衛さんに受け渡しを託す。

この日も前日の雨のため常磐線が不通状態。車で通勤する。おかげで部門会議に少し遅れる。

2006年10月23日

全館停電

電気施設の保全点検(だったと思う)で全館停電。よって、完全営業停止日。でも施設管理の事務職スタッフは、それゆえに当然出社。お疲れ様です。

2006年10月22日

チョコ★いも

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おみやげプロジェクトのひとつである、「チョコ★いも」。茨城県特産品である「干し芋」に手をかけて商品開発したもの。
もうひとつのおみやげプロジェクトは「チョコ納豆」。味は4種。お試しください。

2006年10月21日

オープニング 竹村真一VS佐藤卓

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展覧会オープン!

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オープニングトーク。息の合った二人の90分間のバトルはまさに洗練されたトークショー。
ポスターやカタログを担当したデザイナーのカズヤコンドウとレセプション後、軽い食事をしながら懇談する。ちょっと忙しくしていて48時間サイクルで仕事をしているとのこと。お疲れ様です。

*薄暗い会場での撮影データを補正したらお二人にマンレイ的光の輪郭が。

2006年10月20日

クリテリオムの撮影風景

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立っているのが齋藤カメラマン。床に座り見ているのがデザイナーの平井さん。本展の齋藤卓展の展示作業の仕上げが続くなか、早々と8時前には、森コンビで近くの中華屋に繰り出し、ささやかな宴会。

2006年10月19日

日比野克彦応答せよ!! 

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岐阜県美術館での日比野克彦個展オーニングレセプションに出席。開会は10月20日から12月24日。
忠節橋が浮いている。床や壁もダンボールで覆われた会場は、まさに一面、日比野ワールド。
新たにデザインされたユニホームのトレーナもなんとも魅力的。(売店にて発売中)

この日は朝一番で、名古屋市美術館での藤本由紀夫展を見て、お昼を挟んで豊田氏美術館でガーデン展を堪能、遅刻しつつ岐阜県美術館に駆けつけ、レジデンスでの打ち上げにちょっとだけ参加し、20時の新幹線で戻る日帰り。

明日、21日はクリテリオム69の会場撮影や内見会などでばたばた。

2006年10月18日

完成目前

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10月18日の作業風景。明日19日、気合を充実させて完成のための手順を踏むハズ。追い込みにかかっている。

2006年10月17日

順調な展示

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いい感じで準備が進んでいる。20時に切り上げ、夕食に行き、軽い慰労会。

2006年10月16日

森太三 設営順調

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クリテリオム69の森太三が作品と資材持ち込んで13日に到着。16日の朝までで、ここまでの作業を終える。

2006年10月13日

運び出し

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日比野克彦「ハンズハビッツ」の水戸青年会議の有志の面々の寄託預かりとなっていた作品郡を保管してあった東水ビルから岐阜県立美術館への搬送するための運び出し。
写真に移っているのが、乗り物と窓枠。といわれも何のことか分からない人もいいだろうな。
日比野展の一人万博では大変お世話になり東水ビルの8階で制作された品々。20日の岐阜での個展で特別展示される。日比野さんの心意気というもんだろう。

2006年10月12日

作家来館

10月7日に予定したのが電車不通のためにダメになっての仕切りなおしで、テストピースをもって来館。4時間ほど滞在。もろもろやり取りをする。クリテリオムの空間が空の状態は今日まで、明日からは搬入があり、テストができないのでギリギリの来館。作家自身が思うところができたらしく、再度で直してプランの決定をすることにして終える。11月中には決めないと。

会議場では佐藤卓さん同席でおみやげプロジェクトの記者会見が行われていた。前の展覧会がオープンすると次の展覧会は待ったなしのタイミング。

2006年10月11日

滋賀・大阪・兵庫

京都に泊めてもらったので、振り替え休を取って、関西の美術館を駆け足で見ることに。
あいにくと朝から雨。最初の目的地である滋賀県立美術館に着いたときにはかなりの降り。10時過ぎに会場を回り終えたら、最後の部屋で個展開催中の中ハシ克シゲさんが黙々と制作を行っていた。そこに三々五々友の会のお手伝いの人たちが出かけてきていた。会話のやりとりかお世話になったことが見て取れる。地域の協力が得られないと実現しないタイプのひとつともいえる。会場の作品はすべて美術館の別の場所で制作したとのこと。京都芸大の彫刻家の教員ととし移籍しため比較的時間が自由になるのでやりくりできているとのコト。何よりだと思う。
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ZEROs―連鎖する記憶展は、2007年4月-5月の会期で鳥取県立博物館にこのあと巡回する。


大阪に向かいでまず2年ぶりの野村仁個展。2年まえの作品も収録された作品集「野村仁:偶然と必然のフェノメナ 見る」(赤々舎)が刊行されていた。野村作品の攻略には必須の1冊が作家自らの手で用意されたタイプの本。
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新作「宇宙樹’06」

信濃橋画廊で、久しぶりに森口まどかさんと会い、作品を見せてもらい、お茶をもらって一服。

申し訳ないぐらいの滞在時間で辞して、国立国際開催中の「ESSENTIAL PAINTING」展を調査。そうそうたるメンバー計13作家の作品が展示されている。

そこから伊丹市美術館に向かい、今村源個展を堪能。
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ノマルエディションから刊行されたアーティストBOOKとしてのカタログも魅力的。中ハシ克シゲ展のカタログも充実した内容のものだ。

本で重みを増したカバンに絶えかね、タクシーで空港に向かう。この時にはすっかり雨もあがっていた。搭乗予定時間30分ちょっと前に着いたのだが、乗る予定の便の到着が出発時間頃になるというアクシデント。他社便に振り替えてもらい30分遅れで、東京での約束の場所に着く。そこでやっとまともな食事にありついた。

2006年10月10日

京都造形大学

クリストの講演会が10月28日の京都造形大学を皮切りに、横浜や目黒や北海道といった国内各所で予定されている。その招聘元である京都造形にてクリストに関するお話をするために呼ばれて出かける。アンブレラをクリスト夫妻が実施したときに、展覧会を担当したからだ。あれから10数年。月日の経つのは本当に早い。

1週間前に水戸芸術館でのCACトーカーのための研究レクチャーに来ていただいた福のりこさんやバッタの設営で2日前に水戸でお世話になった椿昇さんと食事をする。彼らは京都造形大学の先生達。
講師控え室に戻ったら、やはりここで先生をしている藤本由紀夫さんが講義日で来てたからと顔を出してくれて、ちょっと嬉かった。

2006年10月09日

バッタ撤収

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2日目の公開を終えて16時からの撤収作業。きれいにたたまれる前の顔の部分。


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細いロープ状にまで小さくしてから、40人近い人手で運び入れる。作業が終了した頃には日はとっぷりと暮れて真っ暗。
みなさんお疲れ様でした!

ライフ展も本日で終了。明日からは撤去が始まる。

2006年10月08日

巨大バッタ秋の空

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秋空のもと、久しぶりに巨大バッタを展開する。

2006年10月07日

常磐線のダイヤの乱れ

先日の雨のために、朝から常磐線が不通状態。東京に出ていたスタッフは尺取虫状態の常磐線に閉じ込められたかたちになり4時間以上かけて辿りつた。

夏への扉展のために会場下見に入る予定であった、2作家のうち、1作家は東京駅で断念してもらい仕切りなおしに、もう一人は行って帰ってもまだあまるくらいの時間をかけて会場に来てくれた。打ち合わせをして茶の間で食事をする。

土浦の花火大会も河川敷の水嵩が引かないため14日に延期となった。

2006年10月06日

大雨

朝11時からの一つ目の打ち合わせの時にはすでに激しい降りになっていた。その雨の中、表参道から日本橋に移動し、西村画廊での小林孝亘「ものとこころ」を見に向かう。独自の画風を淡々と極めているさまの作品群を堪能してから、今日のメインイベント的打ち合わせの会場の広尾に移動する。

打ち合わせを終えたときには雨も風も最高潮に達し、上野駅に着いたら強風のために運転見合わせでホームとコンコースは人垣でざわざわ。常磐新線のTXとバスを乗り継いでの迂回ルートで岐路に着く。

なんとも雨風に弱い常磐線だ。

2006年10月04日

日程組み

来週(11日)と再来週(19日)に予定する移動行程を組上げる。1日で5箇所、3箇所とかなり移動距離のある場所にもかかわらず効率良く旅程を組上げるのは簡単ではない。電話帳のような時刻表を括りながらそれをしていた時代からすればナビタイムという優れて便利なサイトにデータを入れればなにが無理でなにが可能か即座にわかる。一番困るのが、訪問先の取捨となる。会期間際ものものから、絶対に落とせないものが優先されて、あれとこれとと組み合わせていくのだが、多くはきれいに組み終えた後で、見落としていた展覧会の存在に気づき、再調整をする羽目になる。11日行程は久しぶりの力作。昼食をとる時間を組み込んでいない僕としては画期的なもの。

2006年10月03日

もろもろ手配

夏への扉展のためのもろもろの手配を同時進行で平行して進める。

2006年10月02日

パスポートの申請

パスポートの期限が残り3ヶ月ちょっとになっていたので、10年パスポートの申請に行く。けっこう費用がかかもんだ。
久しぶりに見たパスポートに残る旅の記録が、記憶を思い起こさせる。国内旅行よりも海外旅行のほうがお安いことがままあるご時勢ならが、その恩恵にあずかることも少ないなと改めて思う。