Dialogue Tour 2010
〈Web 2.0〉をモデルに
鷲田──「現代美術2.0宣言」というのは、このツアーで取り上げる活動の特徴をまとめたものです。いわゆる〈オルタナティブ・スペース〉、たとえば東京の「3331 Arts Chiyoda」はかなり一生懸命活動していて、助成金を獲得し、組織化し、広報もしっかりしている。それに比べて、こういったスペースはゆるいというか、比べられないくらいに弱小で、プライベートなスペースをちょっとパブリックに開いているくらいのあり方です。CAAKもそうですが、金沢だけではなくて、各地で似たような関心を持っている人たちが活動していると思って選びました。
〈2.0〉という言い方をしましたが、誤解されることも多く、評判のよくなかったタームでした。言いたかったのは、アーティスト、キュレーター、参加者、観客というような役割や関係がきっちり別れていなくて、誰がアーティストで、誰が参加者であっても構わないような、お互いの役割を交換・侵食しながら渾然一体となって、全体がつくられていく場のあり方です。CAAKのパーティも、CAAKがホストでお客さんをまねくというよりは、食べ物持ち物を持ち寄ったり、だれもが台所に立ったり、そこにいる人が一緒にその場をつくりあげています。それを〈2.0〉という言葉で、つまり〈Web 2.0〉の考え方をヒントにして、発信者と受信者のヒエラルキーがなくなっている状態を言いたかったんです。
後々田──このコンセプトに対して、具体的にはどんな反応があったのですか。
鷲田──青森の服部浩之さんには、〈Web 2.0〉をうまく理解できないうちは、どうしても〈2.0〉というのは1.0のバージョンアップを想起させると言われました。たとえば、美術館があって、それにオルタナティブ・スペースがあって、そのさきの形態として、Midori Art Centerがあるというような、なにか進歩主義的な価値観を思わせてしまうと。自分が活動しているときに、そういう進歩的なことは考えておらず、むしろ並列的に存在しているとみなしているし、「がんばってより先へ先へ」というような感覚は持っていないとおっしゃっていました。
辻さんからは、「現代美術2.0」というのであれば、まっさきに想起されるべき活動がほかにあるではないかというご指摘を受けました。具体的には「カオス*ラウンジ」とか。誰が表現者で誰がまとめている人かがわからない状態で、しかもプロと素人が渾然一体となっているような現象ですが、そういう活動が想起されるべきなのではないかと。
辻──ちょっと補足すると、Twitter上でカオス*ラウンジやニコニコ動画を例としてあげましたが、特にニコニコ動画の特筆すべき特徴は、フィードバックループがあることです。動画を見てコメントを書く、コメントは動画に上書きされるのでほとんどの人がそれを見ることになる、書かれたコメントに対してさらに応答するコメントが書かれる。コメントの連鎖は動画内容の補足としても機能するし、コメントが新たなテキストになって、コメント自体にコメントする連鎖も起きる。そういう動画の視聴体験とは別の体験のレイヤーが生じる。そういうフィードバックです。現代美術で一番の問題はフィードバックループのなさです。とりわけ日本の環境では、一回は批評があるけど、それに対する二次批評みたいなものがなくて議論が展開していかないという問題はよく指摘されます。カオス*ラウンジはまだそのようなループを実装しているわけではないですが、それを強く志向しています。肯定的か否定的かはさておき、少なくともかなりの観客/視聴者を集め、現代美術の観客以外からも多くのコメントが残されています。〈2.0〉と言うときにはそういうフィードバックループの作り方がもっと注目されるべきじゃないでしょうか。
対抗意識の有無
後々田──ところで、どうして進歩的じゃまずいんですかね。
辻──確かに(笑)。進歩的でいいじゃないって気がするんですけど。
鷲田──自分たちの活動をとらえる言葉として、しっくり来ないという意味です。仮想敵を乗り越えようという意識は希薄で、カウンターというスタンスではないのだから、進歩的なタームでくくられることに違和感があるという意味です。
辻──さきほども言ったように、現実としてここで取り上げている活動の多くは、経済的な関係において公立施設や大きな資本と共存・寄生関係にあるのは確かです。しかし、同時に、自律的な作品経験だけでなくその環境を重視する態度は、実質的には抵抗の身振りだと思う。アンチ美術館ではないにしても、それはある種の政治的対抗の意味を持つだろうと思います。
鷲田──そうですね。おっしゃるとおりです。そのときの「対抗」は、俯瞰的に見たときに、公的な形式に対する対抗であって、特定の組織や人に対する対抗ではありません。しかし、現実にイベントを行なおうとすると、両者は重なりあってきますので、たいへん気をつかいます。たとえば、パブリックな機関が主催するシンポジウムがA面としてある。そのパネリストに夜にCAAKに来てもらって、B面として学生とかと飲みながら話ができるという機会をつくるという場合、その人を招聘している組織には気をつかいますよね。勝手にゲストを流用しているということになりますから。そういうときは事前にCAAKの趣旨を説明して、チラシにも「協力」としてその主催者の名前を入れています。そのことで結果的にはB面であるCAAKのイベントに、A面の人も来てくれる関係になります。ビールの差し入れを持って来て下さったりもします。逆に、CAAKでもA面のシンポジウムを宣伝して、みんなで行くようにしています。
辻──「現代美術2.0」についてTwitterで批判的なコメントはしましたけど、〈Web 2.0〉を参照してそこで実現している機能を現代美術の環境を発展させるモデルにしようという方向性それ自体はよい取り組みだと思います。ウェブは発信者と受け手の区別をなくしてフラットにし、パブリックに発言するための参入コストを下げるというビジョンがありましたが、1.0ではあまりうまくいかなかった。その可能性をより開くために2.0の技術革新があって、当初の思想やビジョンを体現するものになった。実際、blogにしてもTwitterにしても、より個人の発言の効率が上がったという事実はある。現代美術でもそういう環境を志向して、2.0の議論を開く場所としてダイアローグ・ツアーがあればいいけれど、という期待はありました。