Dialogue Tour 2010
ゲストハウスへの関心
中崎──かじこは、ゲストハウスといっても展示スペースやオープンスペースがあってあいまいな空間だったり、それ自体が期間限定のひとつのプロジェクトとも言えます。アーティストや研究者という立場として、それぞれのいちばん最初の興味のありかはどのあたりでしたか。
三宅──3年くらい前に松山のゲストハウスに泊まったことがあって、そのときに「あ、ゲストハウスをやろう」と思ったんです。僕は個人でも作品をつくっているんですけど、いわゆるモノではなくて、フレームをつくってそのなかに人を入れて、人と人の接点を一瞬つくるみたいなものが多くて、たぶんゲストハウスに泊まったときにそれに近いものを感じたからだと思います。今回のきっかけとしては、瀬戸内国際芸術祭があるから、人の流れが多いところでやるとより実験的にできるなと思ったのと、久しぶりに会った高校の同級生の両親が旅館をやめて建物が残っていると聞いたことが大きいです。そこでは事情があってできなかったのだけど、小さくてもいいからとその流れで何人か誘って動きはじめました。
蛇谷──2年くらい前に大阪のトークイベントをディレクションしたときに、ゲストハウスを経営している方をお招きしたことがありました。彼女は営利目的なんだけど、旅人のために喜ばれるビジネスの仕組みを一生懸命、柔軟に考えていて。その話を聞いて、お金を介在させるにも工夫すればおもしろくできることを知りました。私も大人になったらゲストハウスやりたいと思って、Twitterでも「わたしゲストハウスやる」ってつぶやいたりして。
中崎──蛇谷さんは自分で作品をつくる一方で、仕事でNPOのスタッフとして運営側にまわることもあるけど、興味の中心はどちらだったんですか。
蛇谷──両方だった気がする。自分の作品のときも、ひとりでつくるんじゃなくて、他の人も関わる環境をつくってから中で自分も遊ぶというつくり方が多い。だからかじこも枠を3人で決めて、完成したら中で遊ぶという考え方です。だから両方行き来していた感じはあったかな。
小森──僕は、ギャラリーとか美術館とか、作品が置いてある場所について研究してきたので、新しいかたちでの場所づくりということに関心がありました。暮らしの場所であるゲストハウスを使うことで日常生活に作品をインストールするという三宅くんのアイデアを聞いて、おもしろいと思いました。滞在費を1,000円引きにすることでイベントを誘発させる仕組みとか、当初の個人的な関心は、そういう企画・システム設計のほうに向いていましたね。瀬戸内国際芸術祭と同じ期間でやろうと言っていたこともあって、人の移動、アートツーリズムももうひとつの関心事で、それに対するオルタナティブな場づくりやオルタナティブな芸術祭ということも意識していました。なので、はじめは二人とは関心がちょっと違っていたと思っています。
中崎──そもそものきっかけはなんですか。ゲストハウスをやりたいふたりが中心だったのですか。それとも岡山出身のふたりが地元でなにかやろうと話していたのか。
三宅──最初は僕がさきほど話した高校の同級生から物件の話を聞いて、小森もちょうど岡山に帰ってきていたので、一緒に見に行って、そこをベースに企画を考えていたんです。その時期は、NPO山口現代芸術研究所(YICA)のレジデンスプロジェクトに招へいされて、蛇谷と「いいね!」というユニットを組んで、よくやりとりしていたので、話をしたら、蛇谷もやりたいやりたいっていう反応で……。
蛇谷──去年の秋、助成金の応募シーズンだということで、企画書を書いて進めているうちにその場所は事情があってできなくなって、でも企画書はそのまま活かして、小さい規模でもいいからやりたいねっていっていろんな不動産にあたりました。宇野港の空き家や岡山駅のすぐ近くのも調べました。
小森──宇野港は直島に岡山側からわたる港町で瀬戸内国際芸術祭へ行くには便利ですが、岡山駅からは電車で20分くらいかかって、ちょっと遠いんです。
蛇谷──かじこの場所は駅から徒歩20分くらいの人が来るか来ないか微妙なところを狙いました。わざわざ来てくれた人を歓迎しようと思って。
管理人としての振る舞い方
中崎──それで、100日以上続けてみてどうですか。
三宅──僕はかじこにほぼ住んでいました。市内に実家はあるけど、たまに郵便物を取りに帰ったりするくらいで、20〜30分でまたすぐ戻る。かじこでは誰かと毎日生活しているので、ほぼノープライベート。せっかくこういうところに来ているから遅くまでワイワイしたいんでしょうけど、かじこは「23時就寝」を原則としていたはずだったのですが、全然23時就寝じゃない……。夜2時、3時まで飲んでも、みんな瀬戸内をまわりたいから朝早く出るし。僕はこれまでも東京とかで滞在しながら作品をつくって移動生活していたり、いろんな人に会ったりしていたのに、逆にずっと同じ拠点を構えて生活をし、いろんな人に会える感じがすごく新鮮でした。なにか僕が岡山にレジデンスしているみたいな状態。それから、拠点があるとみんなが繋がりやすくなる。場所があるから人を誘いやすいし。そういう場所の強さも感じました。
中崎──かじこ自体は三宅君にとっては作品というイメージがありますか。
三宅──作品じゃないです。アートスペースと言っているのも、旅館ではないから。滞在スペースとして過ごす場所として客と賃貸契約をしています。だからあえてややこしくならないようにアートスペースと言っています。なので、要は、僕はアートではないと思っているんですけど。とはいえ、現代美術の呪いみたいなもので、一周まわった末に、やはりこれはアートだろと言われたら、そうですと言いたくなる気持ちもあって、その呪いをどう解くかっていうことを今後は考えていきたいなと思っています。
中崎──いい応答ですね。アートな感じがしました(笑)。蛇谷さんは。
蛇谷──私は大阪に拠点があるので、かじこの管理人をするために岡山に行って、働くために大阪に戻ってと行き来をしていました。生まれも育ちも大阪市内で、大阪のNPOとかアートシーン界隈で仕事をしていて、そういった生活と仕事の日常的なリズムもおもしろいんだけど、岡山がのんびりした町ですごくよかったり、ちょっと寒くて不便だったり、川が近くて自然があったりとかじこは私にとっては非日常的な立地でした。大阪でのマンションの一室で窓を開けたら道路しかない生活とのギャップが大きくて、自分も生活することについてはすごく考えさせられて、どちらが日常かわからなくなるくらいでした。
大阪で、企画しているイベント本番に合わせて準備をしたり、展覧会のために作品をつくるという非日常をつくる側の仕事をしているなかで、その結果、なにが残っているのか不安をずっと抱えていましたが、かじこは自分が居続けたり、自分の中でなにかが蓄積されていく感覚があって、安心感がありました。かじこはハードとしても家だから、ハレの日もなにもない普通のケの日も同じ場所で取り込められる状況がすごく気持ちよかったんだと思う。とはいえ、本当にプライベートがなかったから、次場所をやるならもう少し体制を考えたい。かじこは期間限定だったけど、より常設として街にあり続けられる方法を考えてから出直したいなと思って帰ってきました。
中崎──もし続けていいよと言われたら続けたかったですか。
蛇谷──やっぱりいまと同じ仕組みでは無理ですね。夏休み期間やで芸術祭があってのあのかたちだと思うから。平日も土日も誰か来たりしたから、個人とかプライベートみたいなものがなくなって、それがすごくしんどかった。常に三宅君が隣にいたりする感じとかも(笑)。パブリックのなかでのプライベートな立ち振る舞い方を鍛えないとなと思いました。ずっとハイテンションでいることは心が持たない。
小森──僕は普段は東京にいて、岡山に実家があります。今回は最初の1カ月間は岡山にいて、その後いろいろ用事があったので、あとはクロージング前の1週間と終了後の後片付けをするという関わり方でした。三宅がほとんど常駐していて、蛇谷さんは大阪と岡山を行き来しながら手伝っていたのに比べて、僕はテンポラリーにしか携われなかったのでだいぶ違うんだけど、管理人をしていて、前半と後半で自分のかじこでの立ち振る舞いが変わったのがおもしろかったです。前半は1カ月もいたのに、かじこの仕事と個人の仕事をどうやってこなそうかとか、そのチャンネルのつくり方に全然慣れなかった。かじこにいたら友達も来るし、おもしろい人もいっぱい来るし、イベントも参加したいものが多くて、でも、うまく遊べないしうまく仕事もできないってなってしまって。でも後半は、すごくいい友達ができて、その違いがどこから来たのかというのがおもしろかったですね。僕らは立ち振る舞い方とか、パブリックな場とプライベートな場の特殊なかたちを変わったふうに経験できて、場所というものについて考えるきっかけになったなという意味で貴重な体験でした。